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昨年来、新型コロナウィルスのパンデミックを受けて、イベント開催や農体験の受け入れに関して、農場スタッフおよび、その家族と共に何度も話し合い、独自の数値基準を設けて運用してきましたが、一年が過ぎ、社会全体で、この感染症との付き合い方、予防対策などが定着してきたと考え、今後は、受け入れの条件を以下のように変更いたします。


☆受け入れできる条件

来場者の住まいが、緊急事態宣言の指定地域外であり、加えて、以下の3つの要件のうち、どれか一つにあてはまる


1) PCR検査or抗原検査で陰性の結果が出ている(来場する3日以内)

2) ワクチン接種済みである

3) 以下の条件にすべて当てはまる

  ①職場でコロナ対策がされている

   (対策例:外出後の手洗い、手指消毒、時差通勤、テレワーク、フェイスシールドなど)

  ②(来場予定日の)2週間以内に家族や職場に濃厚接触者・陽性者が出ていない

  ③(来場予定日の)1週間以内に不特定多数の人と密になる場所に行く予定はない

   ※電車通勤・通学は該当しません

  ④(来場予定日の)1週間以内に大勢での飲み会、食事会に行く予定はない

  ⑤家庭以外で人と室内で話すとき、マスクを着用している

  ⑥電車内など不特定多数の人が出入りする場所では、マスクを着用している。

   ※マスク着用について個別に事情がある方はご相談ください


上記の基準に沿って、見学や農体験(宿泊も含む)の受け入れを行っていきます。何かご不明な点があればお気軽にお問合せください。

団体利用についても別途ご相談ください。

なお、来場時は以下の点についてご協力をよろしくお願いいたします。


<来場時のお願い>

1)発熱、体調不良の場合は来場をお控えください

2)室内に入ったら、手洗い・消毒にご協力ください

3)マスク着用にご協力お願いします (個別に事情がある方はご相談ください)

  ※外作業中の着用はこの限りではありません


注)茨城県内で「緊急事態宣言」が出された場合は受入を中止いたします。



# by kurashilabo | 2021-06-20 08:47 | お知らせ(告知)

暮らしの実験室やさと農場 濃密☆見学会 毎月開催中_c0177665_15061879.jpg


コロナ禍で息苦しい日々が続いていますが、暮らしの実験室では、少しでも農場を体験してもらいたい、知ってもらいたい、という考えから、農場見学会をひらくことにしました。

当日はスタッフが熱く濃密な内容で農場をご案内いたします。

また、コロナ対策として人数を限定することで、より一層の濃密さを目指します。

・農場を積極的に活用していきたい
・農場をライフスタイルに取り入れていきたい
・農場のお野菜を食べたい

とお考えの方にぜひご参加いただければ幸いです。

<概要>
●日程:毎月第2土曜か日曜 午前10時~12時
 昼食は含みません。
 お弁当などをご持参いただき農場内で食べていただくことはできます。

●定員:1組 大人4名まで
(子どもは定員には含まれません)

●参加費:1組 2,000円
お土産に農場の野菜セットSサイズ+卵6個が1セットお持ち帰りいただけます。
野菜セットの個数を人数分に増やすこともできます。金額は1セット2000円です。

●お申込み方法
 以下のフォームにてお申込みください。

★申し込み多数の場合は、次回以降の回をご案内させていただきます。

※7月は11日(日)に開催予定です。
 
〜コロナ対応〜
●お住まいの地域で「まんえん防止重点措置」や「緊急事態宣言」が発令された場合はご参加をお控えください。
●茨城県内で「まんえん防止重点措置」や「緊急事態宣言」が出された場合は開催自体を中止いたします。

~ご来場時のお願い~
1)発熱、体調不良の場合は来場をお控えください
2)室内に入ったら、手洗い・消毒にご協力ください
3)マスク着用にご協力お願いします
(個別に事情がある方はご相談ください)


# by kurashilabo | 2021-04-19 15:11 | お知らせ(告知)

【募集】谷津田再開拓地共同作業_c0177665_16454975.jpg

谷津田再開拓地は2015年から開拓団を結成し再開拓を進めてきましたが、自然の力は圧倒的で、未だ活用できていない部分も多くあります。
開拓をさらに前へ進め、再びこの土地から多くの恵みが得られるよう整えていくため、開拓の共同作業に参加する方を募集します。

なお、共同作業に参加するには参加費等は特に無く、こちらからお礼などを用意することもございません。
”開拓って、楽しい!”というアソビゴコロあふれた方の参加をお待ちしています。

*2015年の開拓の様子はこちらで見ることができます。


■ 参加要綱 ■

▼日程
原則毎週日曜日 9:00~12:00
※やさと農場のスケジュールの都合で実施しないことがあります。ご了承ください。
上記以外で日時の希望がある場合はご相談ください。

▼参加方法
前日までにメールや電話等で参加の意思を伝えたうえで、当日やさと農場まで来てください。
※作業の内容は、天候などの都合により直前でも中止、延期、変更されることがあります。ご了承ください。

e-mail:kurashilabo@gmail.com
電話 :0299-43-6769

▼持ち物
(必須)軍手(ゴム背抜きタイプ推奨)、マスク
(推奨)長靴(深めのもの)、飲み物、自分のおやつ

▼新型コロナウイルスの感染拡大対策について
・お茶、おやつ等の共有はご遠慮ください
・マスク、軍手の着用にご協力ください。
 ※個別に事情がある方はご相談ください。

▼その他
開拓地にはトイレがありません。用は出発前に済ませてください。
あるいは気持ち次第で野原をトイレとして使えます。道具は貸し出します、方法はお伝えします。

▼参考
<直近の作業予定>
〇4月18日 竹の橋づくり/山菜(フキ、ヤブカンゾウ)植替え
竹林への入口に、竹の橋を再建します。
〇4月25日 用水路護岸工事
竹を使って用水路の削れ防止工事をします。

両日とも、参加人数次第では田んぼの排水路整備

<その他の作業予定>
・用水路整備、清掃
・イノシシ防護柵の補強
・渓流護岸工事
・山菜等植付・植え替え
・果樹等植付(イチジク、クコ、ヘーゼルナッツなど)
・橋の再建
・タニシ移入
・花の種取り(レンゲなど)
・花の植付(ヒガンバナなど)
・不要木伐採
・トイレ建設
・草刈り
・生き物調査

# by kurashilabo | 2021-04-05 16:49 | お知らせ(告知)

2021年度研修生募集のお知らせ_c0177665_16254986.jpg

暮らしの実験室やさと農場では、有機農業や循環型の暮らし、共同生活、半農半Xなどに関心があり、自給的な暮らしの経験や実践を積みたいという人を受け入れています。

田舎移住や地域おこし活動を考えている人や、今の暮らしを見つめなおす機会を求めている人など、様々な人にこの農場を使っていただけたらと思っています。興味をもたれた方はお気軽にお問い合わせください。

▼当農場の研修生の位置づけ
①研修といっても何かプログラムがあるわけではありません。研修生は農場で行っている野菜の栽培、豚や鶏の世話、耕作放棄地での稲作などを、各担当スタッフと共に作業して自主的に学びます。
②農的な暮らしの技術、イベントの作り方や、農場の運営方法、自給的暮らしのヒント、加工品作り、工具の使い方やDIY、樹木の剪定など、それぞれのスタッフが持っている技術や思想など、興味があることを積極的に追及してください。
③畑や田んぼを一部自主耕作することも可能です。

<期 間>
1年間 (2021年3月以降随時)
※期間は相談に応じます。短縮・延長も可能。
※正式受け入れの前に4日~1週間程度のお試し滞在をしていただきます。

<募集人数>  
1名

<条件>
ⅰ)スタッフやその家族との共同生活が送れる。
ⅱ)性別、国籍、農業経験は問いません
ⅲ)18歳以上であること 
 ※未成年者は保護者の同意を得たうえでご相談ください。
ⅳ)週5日作業に参加してください。土日は基本的にお休みになります
ⅴ)共同生活の観点から新型コロナウィルス感染予防に努めること
 ※猫と同居しています。動物が苦手な方アレルギーがある方はご遠慮ください。

<待遇>
・住み込み可
・部屋代や光熱費、食費など、滞在に関わる費用はかかりません
・1万5,000円の生活手当が支給されます。
・傷害保険に加入します
・部屋は相部屋になることもあります
・農閑期は相談の上連休も可能です
・作業時間は季節や天候によって変わります。詳細はお問合せください。

<応募方法>
まずはメールかお電話でご連絡ください。 折り返し、応募シート(フォーム)を送らせていただきます。お試し滞在をしていただいた後、受入の可否を決定いたします。
1週間滞在することが難しい方はご相談ください。

■連絡先  E-mail:kurashilabo@gmail.com
      TEL :0299-43-6769  担当:姜(かん)




# by kurashilabo | 2021-03-03 16:13 | お知らせ(告知)

(会員の井野さんより、週報に投稿いただいたものを掲載します)
週報より:『人新世の資本論』感想 井野博満_c0177665_09284366.jpg
 ”ORGANIC FARM WEEKLY ”Vol.821号(2020/12/5)の「イバコラム」拝見。札幌のナガタま・さんも「湯浅欽史さんを偲ぶ会」へのメッセージでこの本の一節を引用し、偲ぶ会の受付近くでも誰かが話題にしていたのですね。
 皆が読んでいて評判になっている本は読んでみたいという一種のミーハー精神を、私も人一倍もっていて、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平、集英社新書、1020円)を早速買って読みました。書いてあることにはほとんど同感です。すっきりと思い切った論を臆せず展開するすばらしい若手(1987年生まれ)だなと感心しました。自分の著書に「資本論」と銘打つとは、相当の自信家なのでしょう。

 著者は、1年前にも『未来への大分岐-資本主義の終わりか、人間の終焉か?』というセンセーショナルな表題の本を編集・執筆しています。こちらは、マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソンという世界的に著名な三人の論者との対談をまとめたものでした。これも結構面白かったのですが、対談相手の議論の流れに応じての発言をしているので、斎藤氏自身はどういう考えであるのか、はっきりとはつかめないところがありました。その点、本書は主張が明確です。

 人間の活動が限界を超えて地球環境を破滅させつつある現状を「人新世」(ひとしんせい)という最新の地球年代史用語で示し、経済成長から逃れられない資本主義にはそれを止める力はない、晩年のカール・マルクスが提起した脱成長コミュニズムにしか解決の道はない、と結論しています。驚くほどストレートで「過激」な主張です。
 本書の基本の道具立ては、目新しいものではありません。全世界を危機に陥れている環境破壊の凄まじさは、1970年代の『成長の限界』(メドウズ、1972)で予見されていたことです。それにもかかわらず成長を止めることができず、気候変動の危機の瀬戸際に来てしまったことが、現在の新しい事態と言えばその通りです。
「資本論」におけるマルクスの主張やエコロジー思想は、1960年代から1970年代にかけて思想形成をしてきた私にとっては、馴染みの主張です。しかし、社会主義国家の崩壊や変質によってマルクスの思想が打ち捨てられ、エコロジー思想もまた1980年以降の新自由主義思潮のもとで片隅に追いやられて、現在の追い詰められた現実があります。
 なぜそうなってしまったのか。著者斎藤幸平は、旧来のマルクス主義やそれに親和的な運動については否定的評価をしています。前著の対談の締めくくりには、「「社会運動・市民運動が大事」という左派の念仏が人々の心に届かなくなって久しい」という一文があります。それに違いはないけれど、頭ごなしにこう書かれると、私などは反発したくなります。70年以降、(たまごの会をふくめて)さまざまな社会的活動・運動が試みられてきて、その中には新しい秩序を生む芽になるすばらしい試みが多々あったはずですから。しかし、確かに結果は無残な現実が残りました。「力及ばず」だったのか、やり方が間違っていたのか。
 マルクスの思想のなかで著者斎藤幸平が大事だと考えるのは、「コモン」あるいは「コモンズ」(共有資源)という概念です。アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが提起(『マルチチュード』、NHK出版、2005年、などを参照)して注目され、日本でも一部の人たちには馴染みの考えです。そういえば、『場の力、人の力、農の力。たまごの会から暮らしの実験室へ』(茨木泰貴、井野博満、湯浅欽史編、2015)の出版社の名前は「コモンズ」です。マルクスが想定した共産主義(コミュニズム)社会は、ソ連型の全体主義的独裁国家ではなく、人びとの協働によってつながる助け合いの社会=コモンだと著者は言います。「たまごの会」もそういう社会の実現を念頭に置いた活動の場だったともいうことができます。農と食べ物、共同農場、対等な関係性のなかでの運営方式、それらは、コモンの重要な構成要素になるはずです。
 私が関心を持っているのは、そういう共生社会においてどういう技術が中心になるのかの問題です。産業革命以来、石炭などの化石燃料を動力としてきた技術の体系をどう変え得るのか、という問題です。この本では、『エコロジスト宣言』(緑風出版、1983)などで知られるアンドレ・ゴルツ(1924-2007)の晩年の考えを紹介しています。ゴルツは、「開放的技術」と「閉鎖的技術」という区分を立てます。開放的技術は、コミュニケーションや協業、他者との交流を促進する技術であり、閉鎖的技術は、人々を分断し、生産物やサービスを独占する技術であると述べています。閉鎖的技術の代表格である原子力発電は、情報が秘密裏に管理され、トップダウンの政治を要請する。このように、技術と政治は結び付いていると指摘します。
「閉鎖的技術」と「開放的技術」という区分は、湯浅欽史さんが反技術の思想のもとで実践した活動領域の区分、①技術批判・解体を実践する自分の専門分野(土木工学)、②近代の技術が貫徹しにくいイキモノの属性が直接効いてくる営みの場(子育て、食と農)、という区分にほぼ重なっているのではないかと私は考えます。
 このことに関連して難しい問題は、産業革命が生んだ分業の問題です。職人の技に依拠した手工業から、科学的知識にもとづく分業・協業という工場システムへと変わりましたが、この分業の原理は今も続いています。それは、人格と一体だった労働を分解し、単純労働と精神労働、肉体労働と頭脳労働という分化をもたらし、技術者という階層を生み出しました。このことが閉鎖的技術の根幹にあります。これをどう変えてゆけるのか。
 最近発掘された晩年のマルクスの著作や研究ノートから、著者はマルクスがエコロジーを重視し生産力重視の進歩主義を捨てていたことを明らかにしたと述べていますが、マルクスの後継者には、ごりごりの国家社会主義者たちだけでなく、このゴルツのようにエコロジーとの結合を考えてきた人たちもいたことは確かです。
 さて、著者は冒頭から、「地球温暖化」は経済成長を前提とする資本主義システムでは防ぐことは出来ない、と強調しています。確かに、今、各国が約束している温暖化防止対策としてのガソリン車全廃や2050年までの二酸化炭素排出ゼロなどの政策が、各国の国益や巨大資本の利害を背景としたものになっていて、トゥーンベリ・グレタさんなどの若者世代から本気なのかと痛烈な批判を浴びています。1990年代からの「持続的開発」(Sustainable development)が環境危機の悪化防止と二酸化炭素排出量の削減に成功しなかったという負の「実績」もあります。
 私は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の地球温暖化予測が絶対的に正しいとは確信していません。この予測法の手順を自分では追認できないからです。しかし、世界中の多数の専門家たちが築き上げた予測を無視することはもちろんできません。となると、予防原則(悪いことが起こる可能性があればそれを防ぐ努力をする)の立場に立って、国際協力の下での温暖化防止対策の取り組みを重視すべきと思います。
 しばらく前までは、もっとも害のない廃棄物質だと考えられていた二酸化炭素の排出量が地球の限界にまで達したということは、人間の活動が環境全体にいかに大きな影響を与えているかを示すものです。しかも、例えば、ある国の森林伐採や鉱山の廃液による環境破壊などの深刻だが個別的な問題と違って、地球全体の問題として出現しているゆえに、すべての人びとが責任を持たねばならない国際的課題になっていることの意味が大きいと考えます。国際的協調が不可欠な課題として立ち現れているからです。
 気候変動対策の中心的課題は、大量の化石燃料消費システムからいかに脱却できるかですが、化石燃料は産業革命の基本的エネルギー源です。それを使わないということは産業革命後250年の技術の体系を根本から見直すということです。電力に限ればすべてを太陽光や風力などの自然エネルギーに変えることはそう難しくないように思われます。しかし、船や飛行機の運航から化石燃料を追放することは簡単ではありません。長距離輸送を減らすしかないでしょう。また、鉄鋼製錬に石炭を使えず、プラスチックの原料である石油が使えないとなれば、産業構造が一変します。大量輸送が無くなり大量生産がなくなれば、大量消費・大量廃棄もなくなります。マイクロプラスチックによる海の汚染もなくなります。そういう資源消費の縮減に経済成長を前提としてきた資本主義が適応できるかどうか。気候変動対策を成長戦略の一環としておこなうなどと寝言を言っているスガ内閣がまともに対応しないだろうことは目に見えています。

 感想を簡単に書くつもりが、長々と持論を述べてしまいました。この著書が最後に述べている「脱成長コミュニズム」の柱は、使用価値経済への転換、画一的な分業の廃止、生産過程の民主化、エッセンシャル・ワークの重視、などで、いずれも納得できるものです。また、この間、生活と環境を大切にするさまざまな市民の活動が育んできたものでもあります。
 著者斎藤幸平は、前著では従来の左翼運動に否定的な書きぶりでしたが、この新著にはそういう嫌味はありません。また、前著では、ポール・メイソンの議論に引きずられて、情報技術の進化が資本主義を崩壊させるという類の主張に賛意を表していますが、この著書では資源と環境を重視した議論に立ち返っています。
 著者は、結論的部分で、人びとのなかの3.5%が本気で立ち上がれば世の中を動かす力になるというある政治学者の研究を紹介し、市民活動へのエールを送っています。この著書を「暮らしの実験室」の会員の方がたはじめ、多くの人に読んでほしいと思っています。

追伸。茨木さんが週報Vol.822(2020/12/12)で、この本の感想として、「そうか、たまごの会だったんだ!」と書いておいでです。そう言ってもいいのでしょうね。鈴木文樹さんの「農場=神社論」は、会の精神的存在意義を述べたものですが、茨木さんは未来につながる会の社会的存在意義を「目が覚める思い!」で気づいたということですね。いいですね。


# by kurashilabo | 2021-01-05 09:24 | 週報からの抜粋