今年もオープンファームデイを開催します!

開催日時はこちら↓

【日時】
4月28日(土)10時~17時
4月29日(日)10時~17時 
4月30日(月祝)10時~17時
*一日ごとの開催ですが、宿泊も可能です。
*30日の夜以降延泊も可能です。但しイベントはありません。農作業の手伝いなど歓迎。

プログラムは調整中。
決まり次第またブログやFaceBookなどで更新いたします!

新緑のやさとで楽しい時間をお過ごしください。
参加申し込みお待ちしています。

<3日間の基本のタイムライン>
10:00~ 農場案内
      昼食作り
12:00~ みんなで昼食いただきます!
13:00~ ライブ
14:00~ 体験プログラム①
15:30~ 体験プログラム②

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*各回の食事は畑で収穫してきた野菜を使って希望者と一緒に作ります。こちらもお楽しみに。
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【参加費】
日帰り 2,500円/一人
1泊2日 5,000円/一人
2泊3日 9,000円/一人
*ごはんは別途1食につき500円をいただきます。
*会員は-500円/日になります。
*子どもは、3歳まで無料、4-5歳は1,250円、6歳以上は1,750円です。(1日の場合)

【申し込み】
https://goo.gl/forms/2yD06iGkHgfwLJfF2
こちらのフォームからお申し込みください。
*フォームの登録ができない場合は、お手数ですが以下のメールアドレスに「お名前、参加日時、同行者、電話番号」を記載の上、ご連絡ください。
e-mail:kurashilabo@gmail.com

【宿泊定員】15名
*プログラムによっては定員を設けるものがあります。
*定員になり次第締め切りますのでお早めにお申し込みください。
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# by kurashilabo | 2018-03-12 14:58 | お知らせ(告知) | Comments(0)

先日、お味噌仕込みの会があり、今年に入って久しぶりに農場案内をしました。そこで、農場の豚を紹介するにはどんながいいかなー、と思ってまとめたものを載せたいと思います。しかし、説明ばかりの案内だと楽しくないので、実際には、残飯パンをあげてもらったり、ワラを部屋に入れてもらったり、とエンターテイメントを盛り込みながら、タイミングを見計らって話せそうな部分だけ話す、というスタイルにならざるをえません。情報量が多すぎるのも考え物なので、適当な部分を掻い摘んで、ということです。以下、農場の養豚の特徴を3つにまとめました。

1.見学できること
お肉は日常的に食べているものですが、その飼養現場はほとんど見学できません。表向きには伝染病が持ち込まれないように、ということになっていますが、見せたくない、ということも理由の一つにあると思います。養豚の場合だと平均飼養頭数は2000。そこでは人が手で餌を与えたり、掃除をすることはなく、"飼う"というよりも"管理する"という表現の方が近いかもしれません。特に飼養の密度が高い養豚場の多くは、仮に見学が可能だったとしても、見ていて気持ち良いものではないのだと思います。
家畜には人間のように労働基準法や守るべき衛生基準がないので、どこまでも人間の都合(経済性)を押し付けることができます。動物にも権利があり、無理な飼い方はしてはならないよう呼びかける"動物福祉"の考え方でさえ、「豚1頭につき0.6㎡(1m×60cm)は確保しましょう」と、非常に密な印象を受けます。
農場の養豚は、木造の豚舎、外界との接触、自然交配、残飯利用、頭数、など、1960年代の様式(20-30頭の小規模の養豚)でストップしたままになっており、無理のない飼養がどこか牧歌的でもあり、いつでも人に見ていただくことができます。

2.餌
豚は雑食で、人が食べられない残飯やクズ野菜、穀類、草、木の実、土の中の何かを食べてあっという間に大きくなる性質から、古くから世界中で飼われてきました。
家畜は英語で"live stock"といいますが、訳せばズバリ"命の蓄え"(或いは"生きた保存食"(屠るまで腐らない)となり、人にとってどれほど重要な存在だったかがよく分かる表現だと思います。
しかし、飽食の現代においては、そうした切迫感もなくなり、安価なたんぱく源として、あるいはグルメ・嗜好品として大量に生産されています。豚を大量に飼うためには、元々あった、人が利用できない食べ物を与えるという方法ではなく、豚を育てるための餌を栽培することになりますが、そこには様々な問題があります。大量の餌を日本国内で生産することは不可能なので、主にアメリカなどの広大な土地で栽培することになります。単一生産の過度な土地利用による環境汚染、生産性のさらなる向上を図る遺伝子組み換え技術、収穫後の保存に使われるポストハーベスト問題、国内の低自給率問題など、表向きにの安さにひきかえ、こうした様々な問題を生み出すことになりました。
農場の養豚は、茨城県内の農家さんから直接買い受けた小麦、大麦、米のクズを配合したものと、学校給食の残飯、野菜クズ、青草を与える方式で、地域で得られる人が利用できないものを利用するという、昔ながらの飼い方を続けています。こうした餌はまとまった量がある訳ではないので、大規模な畜産では利用できませんが、小規模な畜産では十分に利用が可能です。

3.1頭を分け合う
通常の養豚では、飼い始めて10カ月程度になれば、どの豚も屠場に運ばれお肉になります。それはその時期が肉質、成長速度からみて最適ということです。
一度に何十頭も運ばれた豚はその後、別の流通会社の手に移り、いくつかの段階を経てスーパーなどのお店に並び、最終的に消費者の手に届きます。
農場の豚は自分たちで食べるために、屠場に持ち込んだ後、そのお肉を再び引き取り、小分けにカット処理し、食べたいという希望がある会員さんの元へ届けます。1頭の豚をみんなで分けるために、部位の指定はできず、何が届くか分からないお楽しみ方式になっています。
また、農場の場合、月に1頭しかお肉にしないために、仮に一度の出産で8頭が出てきたら、10ヶ月から出荷を始めて最後は18ヶ月と、お肉として適期に出荷できる訳ではありません。上で説明してきた通り、農場のお肉はグルメのために飼っている訳ではありません。私たちの命の源として大切に育て、私たちの体の一部になるものとして大切に食べる。農場の豚肉を食べることは、私たちの生き方の表明なのだと思ります。しかしだからといって美味しくない訳ではありません。むしろ、豚肉はこんなに美味しいんだと驚くほどだと思います。どれだけ計算された合理的集約的生産よりも、何も図っていない牧歌的な生産物の方が美味しいということもあります。そしてそうした選択肢が現に今もこうして残されている、ということに大きな意味があるのだと思います。 養豚担当 茨木

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# by kurashilabo | 2018-02-24 16:17 | お知らせ(告知) | Comments(0)

2018新年のご挨拶

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明けましておめでとうございます。

畑の野菜や土の下で生きる虫、微生物、鶏や豚にとっては、いつもと変わりない冬の日々ですが、人にとっては一つの節目。
2018年が明けました。

世の中は人やモノを消費することで成り立つ大きな経済システムによって維持されているように見えますが、消費だけでは人類が暮している地球は、もはや維持できないことは誰もが知っていて、一人ひとりの意識的な変容は必至のことだと感じています。

暮らしの実験室では、消費だけでなく、創造すること、自分の生活を支えるモノ・コトを自らの手で作り出すことの面白さ、楽しさ、ワクワクを感じてもらう場として、これからもあり続けたいと思います。

今年も、農場が実験している様々な暮らしの一部をみなさんと分かち合う機会を作っていきます。
どうぞ、お気軽に農場に遊びに来てください。


※私たちと一緒に農場暮らしを実践してくれる研修生を募集しています。
 興味、関心のある方はお問合せください。詳細はコチラ

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# by kurashilabo | 2018-01-08 12:10 | お知らせ(告知) | Comments(0)

 日本各地の里山はどこでも似たようなものだと思うが「開拓地」周辺の山も多くは針葉樹林(ヒノキ・スギ)だ。人里近くの針葉樹林は困りものである。間伐もされない林内は暗く、冬に落葉もしないので植物相や動物相は一般に貧弱になる。林内だけでなく南側に林があると畑であれば日照が得られず、広く使えなくなる。住宅であれば尚更困ったことになる。

 この農場の豚舎裏は50年生位のヒノキ林で、そちらが南面になるので豚舎には一年中全く陽が当たらない。冬の冷え込みは厳しくコンクリ床の豚たちにはつらい時期となる。南東側も土地の境界林としてヒノキが一列植えられていて農場内を暗くしている。またこの居住棟の南面と東面は建設当時は桑畑で明るく開けていたが、その後栗林となり、その栗林も十年程前に放棄され、ヒノキが植えられてしまった。そのヒノキがすでに栗の高さを越えて成長し、年ごとに農場に陽が当たらなくなっている。ボクの部屋は農場では朝日が一番よく当たるところだったが、段々と陽が入らなくなっている。(このままでは遠からず農場は暗い日陰に入ってしまう。早急に話をして切ってもらわなければならない)

 人里近くがこれ程スギ、ヒノキだらけになったのは古いことではない。主に戦後のことだ。第1の理由は50年代から60年代にかけての燃料革命で、田舎でも薪炭から石油・ガス・電気にエネルギー源が変わり、里山が無用になったこと。低木林や草地だったところにスギ、ヒノキが植栽された。次は70年代前後、全国的に蔓延した松枯れ病で枯れた松のあとにスギ・ヒノキが植えられた。その頃はまだスギ・ヒノキを植えておけば将来金になると誰もが考えていたのである。2000年代に入ってから畑にスギ・ヒノキが植えられたのは(農場前のようなところ)全く別の理由で、土地の地目を畑から山林に替えたいからだろう。(地目が農地のままだと宅地として売りにくい)。また日常目にすることはないが、奥山地帯では「拡大造林政策」で広大に天然林が皆伐され、スギ、ヒノキが植栽されている。
 ま、こうした様々な理由で至るところに植えられたスギ・ヒノキが価格低迷や担い手不在などにより放置林として繁茂し、「負」動産化している訳である。いわば山の耕作放棄地だ。

 政策レベルの大きな話しはとりあえず置くとして、「開拓地」で直面している問題は3つある。ひとつは何度かの大雨で東側の山すその小さな谷が深くえぐられしまい、結果その上の山の斜面が一部すべり落ち(土砂崩れ)ヒノキが十数本倒れ込んでいる。何をするにせよ邪魔なので切らねばならない(が、危険作業となる)。針葉樹は根が浅いのでしばしばこういうことが起こる。二つ目は70年代の減反と同時にヒノキを植えた田が一部にあり、それが故にまわりの日照が広く遮られ(仮に開拓しても)使えなくしてしまっている。切るにしてもすでに40年以上になる木であり、数も多く大仕事となる。また現状では運び出しの道もない。(しかし皆伐し、材とすることができれば小さな住宅なら何棟か建てられそうではある)3つ目にはボクたちが道として、あるいは広場や小屋予定地として使わせてもらっている山の斜面の南側が約2反ヒノキ林(30年程度)となっており、それ故こちら側の土地の半分はまともに使えない。

 このように人里近くの針葉樹林は迷惑なものだが、もし自前の製材能力をもてるならば話は俄然違ってくる。ジャマだジャマだと思っていたものが資源になる(間伐材ならタダの)。 むろん現在の林業、製材、流通システムからすれば量的にも質的にも取るに足らないようなものではあるが、自前の製材能力は魅力である。(有機農業だって主流の流通からみれば取るに足らないようなものではないか?)それは経済の問題ではなく、主権の問題だ。

 林業や製材は長らく山主や森林組合、製材所等々の占有領域で素人(市民)は口も手も出せないと考えられてきた。しかしわずかな経験だが間伐材の利用という入口からのぞいてみると、必ずしもそうでもなく、そこにはオルタナティブな(市民的な)森林への関わり方や製材・木材の流通という可能性が開けてきているようなのだ。「きらめ樹」間伐の活動にそのようなことを教えられた。 S
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# by kurashilabo | 2017-11-25 16:38 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

 先日、「きらめ樹」間伐をすすめているグループ(NPO法人・森の蘇り)の全国キャラバン隊の4人が来場した。宿泊場所としての農場利用だったが、夕食後なごやかな(?)交流会をもつことができた。
 「きらめ樹」間伐とは「皮むき間伐」の一種で、立ち木の皮をできるだけ高く、樹の中程まで剥ぎ、立ち枯れさせて1年間位放置乾燥させた後伐採し、木材として利用するというものだ。簡易間伐としての皮むき間伐は以前からあったが、それは立ち枯れさせて放置するだけのもので間伐材としての利用は考えられていなかった。それに「きらめ樹」というキラキラネーミングを与え、市民が森に関わる機会とし、得られる間伐材を住宅用建材(壁やフローリング材)として製品化するというのが彼らのアイディアである。NPOの活動とは別に「きらめ樹工房」という名の小さな木工所を全国数カ所に立ち上げていて新しいビジネスモデルも提案している。ここ数年知られるようになってきていて(知らなかったけど)、「今が勝負時」とのことであった。

 正直、彼らの活動に強い関心があった訳ではない。全国に広大な面積がある放置針葉樹林(スギ、ヒノキ)に市民がイベント的に関わったところで何がどうなる訳でもないと思っていたから。啓発活動としての意義は認めるとしても。 ボクが聞きたかったのはひとつだけ、「簡易製材機のようなものはあるか」ということ。彼らなら知っているだろうと思ったのだ。今年「開拓村講座」がらみで何度か間伐をした。それを小屋作りプロジェクトや中心となる建物の建築に利用できないかということで。しかし実際にやってみると間伐は口で言うほど楽ではないことがよくわかった。まず切り倒すこと自体が大変だ。材として利用できる直径20センチほどの樹でも高さは20メートル程あり、かつ上部で枝が絡み合っているので枝元を伐ってもそのままでは倒れないのである。ふたつ目にはそれをやっとこさ大勢でロープをかけて引き倒し、4メートル位に切り分けても生木はやたらと重い。1人や2人では動かせないし、軽トラでは運べない。三つ目には人数や重機でそれを引き出せたとしても、丸太のままでは実は建築材としてはほとんど使い用がない。材にするには製材所に頼まなければならずお金もかかる。結局、「買った方が安いよね」というところに落ちつく。そこで立ち往生してしまう。

 しかしまわりにこれだけある放置された潜在資源を利用できないなんて悔しいし、大きく言えば「ノルウェー、フィンランドに次ぐ世界第3位の森林大国なのに世界第一位の木材輸入国」なんていうどう考えたっておかしい現状を受け入れてしまうことになる。それも腹立たしい。せめて簡易製材機はないものか、そうすれば・・・と考えていたところだったのである。
 「カナダ製で120万くらいでありますヨ。直輸入で、部品が段ボールに入ってきて自分で組み立てなければならないけど」 「他に30万位の機械をそろえれば基本的な製材は全部できますよ」 それを聞いてパッと心がキラメキ重い気分が飛んでいったのである。「きらめ樹」間伐も(痛々しくてキライと言っていたのに)立ち木のまま乾燥させるのでともかく軽い(話を聞いた翌日体験させてもらった)。生木の3分の1位までになるそうだ。これなら切り倒しも運びもかなり楽だ。このやり方なら放置林という潜在資源と暮らし(住宅、小屋、木工、薪…)を市民的手法で結びつけることができそうだ。暗い針葉樹林を宝の山として活用できるし、建築の自給ということが視野に入ってくる。急に視界が開けたようで自分の中で盛り上がっていき、床に着くころには「暮らしの実験室きらめき木工所」がアタマの中で稼働を始めていたのである。S
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# by kurashilabo | 2017-11-18 16:32 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

 今日、久しぶりの晴れ間をぬって、やっとこさ高松米の脱穀ともち米(約1アール)の稲刈りを終えた。高松米というのは旧たまごの会の世話人でもあった高松修氏を中心とした市民による米作りグループで、高松氏が亡くなってからもその志を継いで米作りをしている。農場では数年前から地元の世話役という立場でそのお手伝いをしている。稲刈り自体は3週間ほど前に終えてハザ掛けしてあったのだが、その後長雨に入ってしまい脱穀の機会を失していたのだ。ハザ掛け乾燥ではせめて4~5日は晴れが続かないと脱穀できない。しかしこの間2日と天気はもたなかった。しかも市民グループなので作業予定が土日となると脱穀のチャンスはさらに少なくなる。
 雨だけならまだしも先日は台風で、ハザが倒れたら水びたしになった稲束をすべて掛け直さなければならない。台風の進路予報をみて「これは倒れるな」と覚悟した。ところが雨量は相当なものだったが、風は強まったものの突風という程でもなく、幸いにも倒壊はまぬがれた。で、台風一過で快晴が続き、土日で脱穀と思いきや、月、火は曇りがちで昨日はなんと小雨、しかも週末はまた台風で大雨になるかもという予報。

 稲はあまり長く雨に当てていると「穂発芽」といって穂についたまま発芽してしまいコメの質を大変悪くしてしまう。ぬれたままぶら下げておくのもそろそろ限界だ。それで今日、グループの4人と一緒に脱穀することにした。こんなに濡れた稲を脱穀するのははじめてだ。ハーベスター(自走脱穀機)に詰まったらと心配したがなんとか脱穀することができた。ともかくホッとしたというのが正直なところ。むろんこんな湿った米をそのままモミスリ(玄米にする)することはできないので、高橋さん(地主、ライスセンターをやっている)のところに明日持ち込んで乾燥とモミスリをお願いすることになる。
 これではハザ掛けした意味が無くなってしまうが(天日乾燥ではなく熱乾燥になるので)ま、こういう年もある。しかしハタと考えれば、これがOKならばハザ掛けなどしなくとも稲刈りと同時に脱穀もできるということになる。乾燥機に入れることを前提にすればそれも可能なはず。コンバインは稲刈り機と自走脱穀機が合体したものだから。これだと天気の心配も少なくてすむ。晴れが続くことを祈るように待つ日々から解放される。ウーム、やってみたいがそれでいいのか・・・?農家がハザ掛け方式から撤退し、皆コンバインになっていくのも無理はない。現在、旧やさと地域は完全にコンバイン+乾燥機になっていて、ハザ掛けをしているのは農場のような零細有機農家だけ。有機農家の多くはまだ若く、体力勝負ができるからだがいつまでもつのやら。そこには確かに「不便益」の面白さがあるが、日常化したり高齢になっていくとキツクなってくるのではなかろうか。

 ところで今日、田の脇の農道をバックで舗装道路まで出ようとして田に車を落とした。それも何でこんなミスをするのだ、というような仕方で。農道なのでバックする時バックミラーで轍を見ながらバックする。農道の途中、小さな社があり幅が広くなっていて、そこに軽トラが一台止まっていた。その脇を通り抜けようとしたのだが、気がつくと通り抜けようとした反対側の田に落ちていた。幸いにも落差が小さく、車は出られなくなったがケガなどは無かったのだが。(止まっていた軽トラのおやじさんがロープで引っ張ってくれて脱出できた)どうしてあんなミスをしたのだろう?確かに夕方でうす暗くなってきていたし、少々焦っていたこともある。しかし・・・。右バックミラーでバックしてきて、その車の右側を通り抜けようとするなら、そこで左バックミラーに目を移し、その車の際を抜けなければならない。そこでどうしたことか、右バックミラーのまま車の際を通り抜けようとしたようなのだ。アタマのニューロンが劣化してきているのかなぁ。ショックだなぁ。 S
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# by kurashilabo | 2017-10-28 16:16 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム20171021

 時節柄、やはり関心は選挙。安倍の私欲、党利党略のための選挙に駆り出される腹立たしさ(山梨に戻って期日前投票を済ませてきた)。小池百合子などに振り回されるバカバカしさ(某評論家が希望の党は政界の肥溜め、小池はハエ取り紙と揶揄しているのを読んで溜飲を下げている仕末)。しかし何と言ってもびっくり仰天は前原氏の奇策だろう。いつから小池と気脈を通じていたかは知らないが、90人もの議員をようする野党第1党の「民進党」をひょっと出の「希望の党」に売り渡してしまうなんて前代未聞。ほんの一ヶ月前に党の代表選でエラそうなことを言っていたのに。しかし見物人としてはこれほどおもしろい選挙はない。普段は見えにくいそれぞれの「地」が見えてしまうから。

 策に溺れた感のある前原氏だが、現時点からみれば政局のコマを何年か早送りしただけの気もする。自民党より右のような人から元社会党までいるのだから民進党は野党としては戦いようもなく、遠からず分解したはずだし。選挙後を考えると暗澹たる気分になるし、怖ろしくもあるが、いずれ来る危機ならば早く来た方がよい。先に行けば行くほど事態は悪くなる気がする。

 さて、いつも立ち寄るコンビニ「セイコマ」の新聞スタンドに「産経新聞」があったので先日、選挙をどう報じているのか読んでみた。選挙の動向分析などは「自公で300議席うかがう」などと朝日と変わりないが、一面トップ記事で「米の北攻撃、準備に2か月」と題して米軍の北攻撃が間近いことをにおわせ「だから首相は今解散したのだ」という話になっている。次ページでは北の核攻撃があった場合、韓日で200万を超える死者が出るとか、武装難民が押し寄せるとか、米朝衝突の様々なシミュレーションを示し、「安保関連法案が無かったら大変なことに・・・」とまとめている。

 北朝鮮危機を煽って集票するという安倍のサポート記事だが、このような米朝衝突や「斬首作戦」のシミュレーションはコンビニの雑誌コーナーにカラー劇画としても売られている。ニーズがあるのであろう(ボクも立ち読みした。買わなかったけど)。劇画には尖閣危機から始まる「日中衝突もの」もある。それらを読んでいてハタと気付いたのは映画「シンゴジラ」も同じパターンだったなぁということである。映画として、ボクはあまり評価してないが、けっこうヒットしたようだ。あのような危機とカタストロフ、軍事、自衛隊の活躍、清新な政治家、ワクワクする何かを人々は期待しているのであろう。明るいニヒリズムと先の見えない社会にすっかり倦んでいて、「ちゃぶ台返し」をしたい気分。おそらく若い人たちにとって、ゲームの世界も、映画も、シミュレーション劇画も、現実の政治も本質的な違いはないのだ。

 いや、「若い人たちは」などと言っていられない。最近ボクは自分の心理に異なものを感じている。朝、新聞を開くたびに「斬首作戦」(!)はまだ始まらないか、とどこかで期待しているようなのだ。それは明らかに「反戦的」ではなく、「早くやってしまえ」的で好戦的なものだ(自分ではそれを「トランプ化」と呼んでいる。)。理性より深いところでそのような心理がうごめいている。中国についても同じだ。その崩壊と没落を心のどこかで待望している。それが怯えの裏返しだとはわかっていても心理であり気分であるのでいかんともしがたい。そういう大衆的気分が安倍を押している。

 憲法とか民主主義、人権といった近代的理性の言葉はそこに届かない。人を動かすことができない。戦争を経験した人々の身体的反戦意識だけがそれに対抗できるが、もうそういう人もわずかになってしまった。時代はそれを体験した人たちが退場することによって変わる。戦後は終わっているのである。
 選挙後にボクらが直面するのは自分をも含めたそういう大衆的気分であり、日朝、日中の関係が緊迫すればそれは軍事的、政治的に目に見える形で政治社会に浮上してくるだろう。その時われわれの政治的理性は踏ん張ることができるだろうか。いずれにせよ、ノンポリティカルではいられない時代に入っていくことになる。 S

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# by kurashilabo | 2017-10-21 16:12 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

 おかげ様で稲刈りも終わり、あとは乾くのを待って脱穀をするばかり。空模様に気をもみながらそのチャンスをうかがっているところ。
さて、田はすでに水を抜いてあるが、水を抜いてしまうとそこを住処としていた水生昆虫などが困るので、隅にほんの2坪くらいの池を掘っておいた。何の変哲もないただの水たまりだが、先日ふと気が付くとアオミドロが覆っているその水の中に直径が3センチほどで3枚の花弁をもった薄ピンクの花が咲いている。水面に花だけが浮くように開いていてなかなか可憐である。池の浅いところには田の難敵コナギが密生していたので、はじめは深いところに生えたコナギの花かなと気に留めなかったのだがどう見ても違う。しゃがみ込んでしげしげと水中を見ると、大きな葉がみえた。それが丁度オオバコを水没させたようで、しばらく眺めているとミズオオバコという言葉が頭に浮かんだ。知っている訳ではない、どこかで聞いたような気もするという程度だが。
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 帰って調べてみるとミズオオバコという草が確かにあって、それに間違いなかった。トチカガミ科という聞いたこともないような科の植物で、水草の一種である。雑草のコナギは水陸両用で水がなくなっても湿地なら生きていけるがミズオオバコは沈水性で水がないところでは枯れてしまう。(逆にコナギは水中で発芽、生長できるが、水深が10センチ程度を越えると発芽も成長も抑制される) 見たところ水深40センチくらいのところから葉や花茎を伸ばしているようだ。珍しいという訳ではないと思うが、見たのは初めてだ。今は田も川も水路はコンクリ化されているので、繁殖できる場所がなくなっているのであろう。

 不思議なのは今年の春に掘ったばかりの池にどうしてミズオオバコが生えるのかということだ。ミズオオバコは種を水中に落とすので、空から種が舞ってくるということはない。気がつかなかっただけかもしれないが去年はいなかった。推測だけれどもずっと昔の種が泥の中に潜んでいたのではなかろうか。泥の中は嫌気状態になるので種が長く生き残る(大賀ハスが有名)。それが池を掘ったことで光に触れ息を吹き返したということなのだろう。ちょっと得した気分になる。

 得した気分といえばこれも先日ツチガエルに再会した。これもめずらしいという訳ではないが何十年も見たことが無かったのである。子どもの頃には家の裏の小さな川(用水)に湧くようにいて、皆にクソガエルと呼ばれてバカにされていたカエルだ。当時、子ども仲間ではカエルにもランクがあって、大きくて捕まえるのが難しいウシガエルは崇拝の対象、山の中で会うアカガエルは「食える」しキレイで目を引き、トノサマガエルは身近な標準で、ツチガエルは美しくもなくあまりに沢山いるので相手にされなかったのだ。ちなみにガマガエルは妙に哲人風で人間くさく人気があったが、繁殖期に山中の水たまりに群れて交尾する様はそのタマゴともども脅威の光景だった。
ツチガエルがまわりから消えたのはボクのおぼろげな記憶では昭和40年頃で、突然消えたという印象をもっている。強い農薬がでてきた頃で、孵化と発生が農薬に弱かったのだろう。それ以後出会った記憶がない。
 「開拓地」は幸か不幸か早くに耕作放棄されたし、圃場整備もされなかったので(農業振興地域外なので)昔の生き物たちが細々と命脈をつないでいたのであろう。春に咲くレンゲも蒔いたものではなくヤブを刈り払ったので種が芽吹いたか、シノ竹の密生する隅で代を重ねてきたかしたものである。何でもないことだがこうしたことがちょっと嬉しい。

 今年一番に冷え込んだ今日、田の周りを歩くと、ミゾソバの花が満開でこれが実に美しい。沢山のミツバチが群がり、その羽音が遠くまで聞こえる。ベニバナボロギク、ツリフネソウ、アキノノゲシ、ツルアズキ…秋も本番である。 S

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# by kurashilabo | 2017-10-07 15:50 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

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【カボチャ】 ファミリー 半割 / レギュラー 1/3割
品種「鶴首かぼちゃ」。その名のとおり鶴の首のような形の長細いカボチャ。ネットリ滑らかな食感で繊維質の少ない日本カボチャです。ポータージュなどにぴったり。カットして入れていますのでお早めにお使いください。

【サツマイモ】  ファミリー 2本 / レギュラー 1本
品種「ベニハルカ」。ネットリとした食味で焼き芋・干しイモ用で有名な品種です。

【人参】  ファミリー 3本 / レギュラー 2本
品種「陽州五寸」。

【たまねぎ】  ファミリー 500g / レギュラー 300g
鶴首カボチャ
品種「もみじ2号」。

【じゃがいも】  ファミリー 500g / レギュラー 300g
7月に収穫して貯蔵しておいた「マチルダ」です。貯蔵性が高く、煮崩れしにくいのが特徴です。

【しょうが】  ファミリー 約150g / レギュラー 約80g
品種「三州しょうが」。出荷するのは秋の内だけなので、使い切れない分は刻んで冷凍すると長く使えます。

【長ねぎ】  ファミリー 600g / レギュラー 350g
近隣の提携農家高橋氏からの出荷です。

【さやいんげん】  ファミリー 130g / レギュラー 90g
品種「マンズナル」。夏野菜がどれも減ってくる時期ですが、播種時期をずらして栽培していたサヤインゲンがやっと採れ出しました。モロッコインゲンに似ていますが、より大型の平さやいんげんです。煮物・炒め物・和え物に。

【春菊】 ファミリー 180g / レギュラー 120g
品種「さとゆたか」。今シーズン初モノ。

【間引き大根】 ファミリー 2・3本 / レギュラー 1・2本
大根の間引き菜です。葉先から根元まで、お浸しや汁の具・菜飯などに。

【枝豆】 ファミリー 大1株 / レギュラー 中1株
枝付きの枝豆です。品種はこの地域の地大豆「青御前」です。

【シシトウ】 ファミリー 180g / レギュラー 120g
ピーマンと似ているので青色のテープで袋を閉じて区別しています。一般的なシシトウより大きい「松の舞」という品種です。辛いものが多いのでご注意ください。

【ピーマン】 ファミリー 150g / レギュラー 80g
小ぶりで細長い「京みどり」という品種です。

【ミニトマト】  ファミリーのみ 300g
品種「プレミアムルビー」。そろそろシーズン終了です。

【ナス】 ファミリーのみ 2・3本
品種「千両2号」。そろそろシーズン終了です。






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# by kurashilabo | 2017-10-06 15:40 |  L 今週の中身 | Comments(0)

ふみきコラム20170923

 鳥獣による農業被害はむろん今に始まった訳ではない。綱吉治世、「生類憐み令」下の対応をみてみよう。政治権力がどう「生類」と向き合ったか、などということは普通記録には残らない。しかし綱吉の治世は「仁心」と「慈悲」をもって生類と関係するという精神を統治の基本政策としていたから多くの資料が残されている。あまりに生真面目で少々笑えるのだが。

 カラスやトビの被害は農業だけでなく、ゴミ荒らしなど都市問題でもあった。これには「巣払い」と「生け捕り」で対応したようである。「巣払い」も卵を産んでしまうと「殺生」に抵触するのでそれ以前に巣を払うことが命じられた。生け捕りのやり方もこと細かく決められていた。また捕まえた鳥のために、カラスには「ご飯に鰹節を混ぜて与えよ」、トビのエサのために「イワシやカタクチイワシ、コノシロなどを飼っておくこと」、病鳥は別扱いで「生類方」に引き渡すこと、等々、なかなか配慮が細かい。そして生け捕りしたカラスやトビは「江戸の富坂町にある鳥小屋」に集めて飼われたのち、一定数まとまると各地に放鳥された。伊豆大島など離島が多かった。一回に千羽近く、82回に及んだという。その際、人夫だけでなく「鳥医」もつけているところがすごい。大島にも人は住んでいたはずで迷惑この上ないが、「島流し」の地というような感覚だったのだろうか。

 イノシシやシカに対しては(当時はこの他にオオカミがあった)まず様々な方法で威嚇し、効果ない場合は「玉なし鉄砲(空砲)」を使って脅す、実弾発射は不可、というのが当初の予定であった。しかしすぐにこれでは防ぎきれないことが判明し、実弾を許可するようになる。しかしその場合も役所から「目付」を派遣し「誓詞」をさせたうえで実行された。誓詞の内容は鹿、猪、狼以外は殺生しないこと、殺生した場合はその場に埋めケガレを払うこと、食用にせぬこと等々であった。加えて、「いつも田畑を荒らしている獣類であっても、荒らしていない時は実弾を発射しないように配慮せよ」等なかなか厳しかったである。また、それらを逐一役所に届け出なければならなかった。「生類憐み」という原則と農業疫害対策という現実との妥協がそのラインだったのである。

 農業被害を防ぐために獣類を駆除するということについて今も昔も同じではないかということはできる。しかし人として正しい態度、正義が丁度逆になっていることに注意しなければならない。当時は害獣という言葉(概念)も駆除という言葉もなかった。本来は人としていけないことだけれども止むを得ず殺生するということであった。しかし今は「公儀」(権力)が駆除(殺すこと)を奨励し、「イノシシ一頭殺せば8千円」というご褒美(報奨金)を出すのである。殺すことが正しいとされている。明治の文明開化以来(近代化とともに)人々の意識は世代を経るごとに変わり、今では多くの人はそのことに何ら疑問を抱かない。たかが害獣問題と言ってはいけない。人が生類とどういう関係を結ぶのかということは社会の基本性格に関わってくる。それはめぐりめぐって我が身の問題となるはずだ。

 今日、「開拓地」の周辺を犬の散歩で歩いていたら、「狩猟」と書かれた禍々しい白い札が道路わきの小枝にぶら下がっていた。それも4カ所も。「くくりわな」が仕掛けてあるという表示だ。今は猟期ではないから「害獣駆除」ということなのだろう。「くくりわな」というのは何度も言うように昔のトラバサミのようにイノシシの足をワイヤーでとらえ、暴れれば暴れるほど締まるようになっている。悪意の塊のようなワナなのである。イノシシの処理施設には時々足の無いイノシシが持ち込まれるそうだ。ワナにかかったが自分の足を置いて逃げるイノシシが少なからずいるのである。そんなことを考えていて終日くらい気分になった。 S

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# by kurashilabo | 2017-09-23 15:47 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)