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ふみきコラム 荘園制⑥

②ヤマを使った諸活動の例
<逆エネルギー革命推進会> 薪炭は最も身近で伝統的な再生可能エネルギーである。かって暮らしのエネルギーはほとんどすべてヤマに依存していたことは思い出されてよい。1950年代から60年代にかけて薪炭はたちまちにして歴史のクズかごに打ち捨てられてしまったが(エネルギー革命)考えてみるとそれは単に不便なエネルギー、工業化に適さないエネルギーだったからではない。「近代化」が誰もが疑わない目指すべき価値であった当時、薪炭は前近代の象徴となり、封建的で暗い田舎の代名詞となったのである。それを捨てることが進歩であり幸福への道とされたのだ。言い方を変えるとエネルギー革命に先だってイデオロギー革命(西欧化)があった。しかし冷静に考えれば土間とカマドと薪ストーブ、七輪や火鉢の暮らし自体は料理などは制約されるものの、決して不合理でも不快でもない。(オール電化のどこが魅力なのかボクにはわからない)要は薪炭を暮らしの中心にすえてしまえば暮らしのレベルでは実に有用なエネルギーであるはずなのだ。むろん現代はガスも電気もあるからハイブリット化すればいいだろう。都市のマンションや近代住宅では難しいが(住宅構造ももちろんだが、薪炭は遠距離移送が難しいエネルギーだから)田舎では活用可能である。(ヤマで薪拾いをすると何かすごく得したような気分になり楽しいデス)
しかし事業化となると…炭焼きのワークショップくらいしか…。木炭自動車を走らせたり(炭で自動車は走るノダ)、たたら製鉄で農具を作るのも楽しいが話題提供にとどまるか。

<育林クラブ> 森林組合などの協力を得て、一定面積のヤマ(人工林)を管理し、継続的に育林する。親が植えた苗を孫が切るという時間で営まれる林業は農業とはまた違う文化であり得るものも多いはずだ。間伐材の利用の他、切り時のものがあれば製材までも一貫してやれたらおもしろい。

<竹林クラブ> 竹もまたかっては多様に利用された資源だが、現在は見る影もなく荒れている。管理された竹林は美しいが放棄された竹林は足の踏み入れようもなく、雪や強風で折れて始末に負えない。タケノコ、竹細工、竹の建材としての利用、竹林公園化など総合的に考える。

<山菜狩猟同好会> 山の恵みをいただきながらサバイバルする。狩猟採集生活のススメ。狩猟採集はプリミティブにみえながら実は鋭い感性と実に多くの知識、高い技能を必要とする活動だ。人類史の99.9%はハンターであり採集する人であったという身体に刻まれた歴史を呼び起こす、それは深い快楽であるはずだ。

<修験の道再開発> 筑波山系は歴史をさかのぼれば修験の山であった。古代中世に盛りを極めた修験道は明治初頭の「修験道禁止令」で歴史の表舞台からは消え去った。そのことで確かに私たちは「文明化」されたが、しかし同時にヤマとの精神的なつながりも絶たれてしまったのではないか。修験道はヤマを舞台とした「行の体系」である。普通宗教の立場からみれば修験は迷妄の類にすぎないが、それをアニミズム、シャーマニズム、山岳信仰などプリミティブな宗教性という文脈で読み直せば現代に「発掘」する価値がある。
*歴史散策山歩きコース…筑波の歴史に思いをめぐらせ、動植物の生態観察などしながら山を散策する。
*週末回峰行コース…より深くヤマと同化するために回峰する。
*仙人入門コース…滝行、洞窟での瞑想、五穀絶ち、等お好み次第。

③その他
<子どもキャンプ> キャンプというよりは山村留学的な。このように再開拓された里やヤマは教育的機能が高いはずで、それを利用して。親もまた再教育されるべきである。

<馬同好会> 薪や炭とともに馬もまた身近で最も広く利用されてきた再生可能エネルギーである。また馬は生き物であるから移動や運搬の道具であると同時に暮らしの同僚でもあった。草と藁と少々の穀物でよく働き、ガソリンもいらない、車検も無い。車と馬とどっちが便利かといえばむろん車だが、どちらの方が安くて楽しいかといえばむろん馬だ。馬の日常的な利用を推進する。西部劇のような広大な馬場と散策コースを作る。

<空き家管理請負> これからますます増えてくる空き家を有料で管理する(敷地の草刈りなど)。畑地の管理除草も必要となるかもしれない。

ま、妄想はこれ位でやめておこう。  S
by kurashilabo | 2014-01-24 15:05 | 鈴木ふみきのコラム

ふみきコラム 荘園制⑤

遊休農地とヤマを使った諸活動の例としてどんな事業が考えられるだろうか。議論を目に見えるものにするために思いつくままいくつか挙げてみよう。むろんイメージをふくらませるための例にすぎないが。

(まず前提として)水田は圃場整備され機械が入るところ(機械化一貫稲作ができるところ)は各集落のライスセンターを営む農家を中心に耕作されている。しかしTPPの影響をもっとも受けるエリアであり、関税が撤廃されればライスセンターの経営は難しくなる。しかし同時にこのエリアの荒廃に「日本人」は精神的に耐えられない(のではないか)。またそれは戦後農政の崩壊を意味してしまうので政治的に維持されていく気もする。どうなるかわからないのでとりあえず除外しておく。しかし小さな谷津田は機械が入らないので現在すでにほとんど遊休化し、ガマやアシやセイタカアワダチソウなどの群落となり低木も多い。

畑地はすでに過半が遊休化している。タバコなどかっては多く見られたが、需要の縮小、担い手の高齢化などがありわずかになった。他は自給的に一部を使っていたり、荒らさないためだけの管理であったりで、経営的に作っているところは少ない。これは一概に営農の衰退といえないところがある。もともと畑が広すぎるのだ。この地域の畑地は(関東はむろんのこと日本の広い範囲でいえることだが)元は桑園で、1960年代まで盛んだった養蚕が自由化で経営が成り立たなくなり、70年代から90年代にかけて一斉に抜根され畑地化したものである。桑園は近代前期(明治から昭和前期まで)日本が紡績で外貨を稼いでいた時代に国策的に開かれたものだ。いわば近代前期の軽工業を底辺で支えていた場所なのだ。それ以前は薪炭林(松林、雑木林)であり一部でアワ、豆などの雑穀や自給用の野菜類の作付があった程度であり、(麦は田の裏作だった)必要な面積も管理可能な面積もわずかだったのである。今日いうところの畑など伝統社会(江戸時代まで)にあってはその程度のもので、販売用の野菜類の作付は都市(江戸など)近郊に限られていた。だから桑を抜いてしまえばその広さに見合う作付するものなど無いのも道理であるのだ。その広大な畑をどうするのかは本来、農政や行政の重要課題のはずだが、今は誰も見通しをもっていない。地権者が土地資産として抱え込んでいるのが現状である。

①遊休化した谷津田と畑地を使って
<大豆と麦を使った加工品生産>
表作に大豆、裏作に麦を作付し、加工出荷する。麦と豆は無農薬また無肥料で作れるし、加工すれば多様な用途がある。加工と販売を事業化すれば多くの農家の参加が可能となる(個人で加工までやるのは量が少なすぎて難しい)大豆はトーフがメインとなるだろう。トーフ作り自体は業者に委託することもできる。麦は製粉、製麺するだけでなくパン類を作ることも考えられる。 この事業は比較的手を付け易いかもしれない。

<小さな谷津田と周辺里山を再開拓する>
機械の入らない谷津田は遊休地化して久しい。その小さな水系を総合的に再開拓する。米もいいが、それ以外に蓮田、養魚池、花畑等に、全体を大きな「水辺の公園」化する。また周辺の里山に手を入れ「昭和の里山」を再現し、宿泊施設なども用意する。山羊や馬なども加えて新しい形の生活空間を作る。そこではモノの生産だけでなく、場所を開放し、子どもたちの山村留学的な受入や滞在型の利用も可能となる。クラインガルテン(*)の併設などもいいかもしれない。これは事業自体もさることながら地権者が多数になり、その点でハードルが高い。 (*)クラインガルテン(独 Kleingarten)とは、ドイツで盛んな200年の歴史をもつ農地の賃借制度。

<養蚕>
養蚕はすでに“伝統芸能”レベルになっているが、養蚕から絹織物まで一貫生産できれば一定の採算可能性はある。文化遺産の継承でもあり、また昆虫と人の織りなす生活文化として他にないおもしろさと教育的意義がある。(蚕は最も家畜化が進んだ動物)。見せるための養蚕でもある。羊の飼育からセーターまで、あるいは綿の栽培も考えられるが趣味以上のものにどうしたらなりうるか?

<菜種油>
菜種油については生産可能だが、品質とコストが問題になる。景観的にはいいかも。しかしちょっと平凡。自家生産している農家さんもある。(この項続く)  S
by kurashilabo | 2014-01-19 14:58 | 鈴木ふみきのコラム

ふみきコラム 荘園制④

「荘園」プランでは都市部にショップをもつことを提案している。ショップというより「やさとの荘」の出店(でみせ)であり、ショーウィンドーであるような場所である。これは「あったらいいね」ではなく、これがないと「やさとの荘」が機能しない、活動的になれない大事な場所なのだ。ハードルが高いし田舎に住んでいる農場スタッフは直接の主体にはなれないので願望として言うしかないのだが。(そこに専従スタッフを置く、という考え方もあるが、今はその経済的土台がない)

ショップのイメージは次のようなものだ(考え方の例として)。

★場所の時間的、空間的シェアというコンセプト
①レストランエリア…  
  朝メシ屋 am6:00~10:00 朝メシと弁当
  レストラン am11:00~pm9:00 荘園の物産を使った「今日の料理」メニューは2つか3つ。
  BAR    pm9:00~                      ※それぞれ事業主は別
②販売エリア(都市内直売所)… 野菜セットの販売、トーフ等加工品の販売、パンコーナー
                      手作り品(手芸、竹細工など) やさとの荘の物産展。
③サロンエリア…  いつでもお茶が飲める。ミーティングができる。宿泊できる。

ひとつの場所を重層的に使うことによって
!テナント料を分散できる
!人と情報の交差点が生まれる。開かれた場所となる。公共性をもつようになる。

 ショップはむろんのこと第一には「やさとの荘」の物産の販路として考えられている。私たちが作るモノはたいていどれも小作りで、一般流通には乗りにくい。一般流通は一定量で同質のものを常時用意する必要があるからだ。大量生産、大量消費が前提となっている。また仮に出荷できたとしても差別化された商品として店の片隅をかざるだけになってしまう。そこではモノの作品性、異物性は失われてしまう。「市」的な場所が求められるゆえんだが、そのような場所としてJAが各地に作っている直売所は往々にして掘り出し物市、あるいは安売り競争になっていて(ジイさん、バァさんたちが小遣い稼ぎになればいいという気分でどんどんダンピングするので)経営に見合わない。都市部の「○○マルシェ」のような場所は輸送コストと人的コストがかかりすぎてこれも採算がとれない。

 思いきって自分たちのショップをもてばそこは単にモノの販売センターというだけでなく、それでどのような料理ができるか(食い改め方)、どのような世界に通じているかを直接プレゼンする場になるし、売るものはモノではなく暮らし方であり生き方なのだというわかり易いメッセージとなるだろう。別の言い方をすればショップはよりナマの、都市に向かって開かれた表現媒体(メディア)として機能するはずだ。表現とは自分が何者であるか外に向かって、また自分自身に向けて問いかけることである。それはひるがえってやさとの荘を質的にレベルアップしていくことになる。そのようにして、ショップとやさとの荘は相互に刺激し合いながら向上していくことができる。田舎の荘園活動だけではそのような自己運動は発生しにくいのである。ショウウィンドーという言い方にはそんな意味が込められている。 S
by kurashilabo | 2014-01-12 14:57 | 鈴木ふみきのコラム

ふみきコラム 荘園制③

 自分もその一人だしこの農場もまたそうであるが、都会から田舎に移住して「農業」を始めた人たちはいくつかの難しい問題を抱えている。外の人には見えにくいし、当事者たちもあまりことばに出さないけれども。農場にも時折就農を考える若い人がやってくる。しかし彼らに対してボクはどういうことばを掛けたらいいのかわからない。田舎暮らしの夢に水をかけるようなことはしたくない。かといって自分自身が先を見通せないでいるのに人に勧めることなどとてもできない。親心で「カタギでいなさい」とは言ってもその真意が伝わるはずもない。

 就農者が抱える第一にして最大の問題は貧困である。一般的には年収200万円以下が貧困層だが、就農者で経費を除いた収入が200万を越える人は少ないのではなかろうか。ボクの周りにはほとんどいなかった。逆にサラリーマン時代の蓄えを切り崩していたり、親兄弟から援助があったり、他のアルバイトを不本意ながら始めたり、「離農」したり、そんな人が少なくなかった。「農的暮らしにはお金では測れない豊かさがある」ことを否定する訳ではないが、それは必要なお金がある人の話しであり、貧困は田舎暮らしであろうとただの貧困にすぎない。(その点、定年退職者の就農は蓄えもあり、年金も見込めるので余裕があるのが普通だ。それを就農といえるかどうかはともかく)田舎暮らしといえどもお金はかかる。営農上必要となる自動車、農業機械、道具、設備、資材等々、また健康保険、年金、その他生活費、住む家の問題もある。どんなに節約しても出るものは出て、それを営農収入でまかなうことは大変なことなのだ。

 で、収入はといえば、農場と同じように多種類の野菜を作り、それをセットとして個人に宅配して収入の柱とするのが普通だ。(生協や流通業者に出荷したりレストランなどと契約することもあるが多くはない。)そのセット販売をどんどん増やせばいい理屈だがそれがなかなか難しい。毎週なかば無理矢理送られてくる季節の野菜で食卓をまかなうにはそれなりの工夫と決意(?)がいる。受動的になると負担感ばかりが残る形なのだ。有機野菜などごくお手軽にどこでも入手できるようになっている現在、この方式を続けられる人は限られる。それで親戚、友人、知人という一線を越えて販路を拡げるのは大変難しい。むろん才覚と人脈に恵まれればそれも可能だが、生産と営業を両立させることのできる人は少ない。

 「荘園」プランで中小の事業をいくつも起こしたいということの中にはこの貧困問題は個人では解決できないのではないか、という長年の思いがある。多くは望めないが、家計の足しになる副収入をそこから得ることができるようにしたいということである。むろん事業には収益の見込めないものもあるし、高いものもあるはずで、そこを調整することは当然必要となるが。また「やさとの荘」という“共同事業体”を立ち上げればそれがブランドとなり、物品を販売したり人を呼び込むのもやり易くなる。甘く考えている訳ではないが、何かしら貧困問題を共同で解決する筋道をつけないと私たちに将来はないし、新しい人を迎えるのも難しい。

 さて、貧困は目に見える問題だが、外からはわからないし、場合によっては本人も意識していないより本質的な問題がある。それは私たちの「農業」が個人の人生選択として為されていて、(ここで使ってきた言葉でいえば)個人主義的であり私小説だということに関わっている。これまで言ってきたように元来農業はあえて選択する職業ではなく、イエという共同体の「生業」として親から子へ引き継がれてきたものであり、ムラという共同体の中で営まれてきた。その中にいる限り、彼らは個人を生きると同時にイエやムラという共同体を生きているのであり、そのことによってその土地に刻まれた歴史を生き、山や川とつながり、暦という時間を生きてきたのである。一つの文化を生き“風土”を作ってきた。(むろんそのような共同体はすでに過去のものであり、郷愁の世界ではあるが)

 私たちの「農業」は個人としての営農であるから終日、時には何日も人と会話しないなどということも珍しくない。路傍の石仏も何を語るか知らず、神社や寺も関係が無い。暦がないから年中行事と無縁で時間は平板であり、一年中休みなく働いてしまったりする。神々もいないから祭りもなく発散することもできない。私たちはそこでは異邦人であり、あふれる緑の中にいて孤独である。無前提な「田舎暮らしの豊かさ」などボクは信じない。都会のアパートにいようと、田舎にいようとその孤独に変わりはない。

 動物も植物も土地も自然もそれに働きかけ奉仕しなければ自らを語らない。あれこれの事業を介して私たちはこの地の歴史や自然に働きかけ改めて出会い、関係を結び、また多くの同胞とつながることになるだろう。むろんこの問題は一朝一夕にどうなるものではない。しかしこのような仕事を積み重ねていけば遠い将来のいつか、この土地の“風景”と親和的になり、ここが自分のふる里だと自然に思える日がくるかもしれないとも思う。その時私たちは新しいコミュニティの中に生きている自分を発見することだろう。しかしそれはまだまだ、先の先の話しである。「荘園」にはそんな夢も込められている。 S
by kurashilabo | 2014-01-05 14:52 | 鈴木ふみきのコラム