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カテゴリ:週報からの抜粋( 39 )

やさと農場がたまごの会として始まって以来ずっと支えてくださっている杉原せつさんは、大正生まれで、女性の映画監督がまだほとんどいなかった頃から映画の世界に携わってきました。時代を作ってきた方として、昔の農場のことのみならず、杉原さんのライフワークであった映画のお話も伺いました。

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【プロフィール】
お名前     杉原せつさん
住んでいる場所 東京
農場歴     45年(たまごの会開始以来)
好きな物    おいしいもの


Q. 杉原さんは映画の監督などをされていたそうですね。どうして映画を撮ろうと思ったんですか?

A. 23、4歳のときだったかな。わたしがブラブラしていたときに、日本映画社に勤めていた友達のお父さんから声をかけられました。「せっちゃんブラブラしているのはもったいないよ、制作の募集をしているから応じてみないか」って。私は冗談じゃない、映画は観るばかりで作るなんてとんでもない、だいたい映画をつくるところに女の人なんていないじゃないかと言ったんです。そうしたら「女の人がいないんだからせっちゃん応募してみなよ」と返されました。それで受けてみたんです。
筆記試験の次が面接で、絣の白い着物に博多の赤い帯と、自分で作った帯留めで入って行きましたらね、審査の人たちがびっくりしてました。こっちはどうせ女性だから落とされるだろうと平然としていて、いろいろ聞かれたのに適当に答えてたんですけど・・・それで受かっちゃった。
映画の仕事を覚えるのは大変でした。一人前になるまでは十年以上かかりました。ともかく教えてもらうなんてことはない。先輩からしてみればいちいち教えてたら自分の仕事ができませんからね。映写機にフィルムを巻き付ける方法とか、現像したフィルムを井戸水で洗うのとか、ほうぼうどこへ行っても難しいことばかりでした。
そんなことですから最初の3、4年は、もうこんな仕事は向かない、明日辞めようか今日辞めようかとそんなことばかり考えていました。でもせっかく紹介してもらった仕事を辞めるのはどうかと思ってましたし、それに私が辞めちゃったら女の人が誰もいなくなっちゃうでしょう。女の人がいない世界なんてどこにありますか。映画は歌舞伎とは違う、新しいことをやっているところなんだから、女の人がいないなんてのはおかしい、私が頑張らなくちゃダメだと思いました。それでようやく決心がついて、ずっと続けていきました。
腹が座るまでは「おい杉原!」なんて言われても何も言い返せなかったですよ、向こうは先輩ですから。決心がついてからは「何よう!」なんて返していました。それから、自分が強くなってみると男の人は見ていて面白いですね。まあー、だらしない!私ははじめニュース部にいたんですけどニュース部の男の人ってのはだいたいだらしない。ドキュメンタリーのほうには優秀な男の人がいっぱいいましたけど。私がニュース部のあとに短編映画の助監督になった頃に、ニュース部ではたくさんの人が辞めさせられたんですよ。アメリカのレッドパージで、アカは辞めさせろって。みんな共産党員でしたから。それでもう男の人はできることがない。生まれたての赤ちゃん背負って家にいるの。女の人は仕事なくなってもできることはたくさんあるでしょう。

Q. たまごの会の最初の頃の話を聞かせていただけますか?

A. 私は農場開きのときには映画の監督の仕事があって出席できなくて本当の一番最初って見てません。一か月ぐらい経ったころにようやく、松川さんと一緒にやってきました。そのころは農場はまだ今のようにはできてませんでした。松林を伐るところから始まりましたからね。土地を平らにして、松の根っこを取るのがもう大変でした。豚小屋も鶏舎も、柵だけで屋根がなくて、まだ粗末なものでしたね。『不安な質問』はもう観ましたか。あれを見ればたまごの会がどんなだったかが分かります。
そのあとの分裂のときが大変でした。あれは農場をどうやってつくっていくのかという問題でした。そうして主だった人たちが出て行ったんですけど、私たちはいったいどっちについて行けばいいのやら。やっぱり農場は続けていかなきゃいけないということで、私は農場に残った人たちのほうへついていったんです。
昔からのスタッフで今いるのは鈴木文樹さんだけですね。文樹さんはちょうどその分裂騒動のときにスタッフになったんですよ。分裂の集会のときにわたしのそばに来て「杉原さん、僕は今日ね、入会しようと思うんだ」って。入会しようったって、これから会を散会しようって言ってんのに。それでも「僕は僕なりの考え方でやっていこうと思うんだ」って言うから「じゃあお入んなさい」って、それでスタッフになったんですね。
前の分裂したときのたまごの会と今は全然違いますね。スタッフも新しい人ばかりで。わたしなんか古い人間は行ってもやることできないですよ、もう体も動かないから。昔はよくはたらいたんですよ。映画の仕事をして、農場に行ったらまた農場の仕事をして、もう体くたくたになってそれでもやってのけたんだから。若いってすごいもんですよ。

Q. 好きなものをみなさんに伺っています。杉原さんの好きなものは何ですか?やっぱり映画?

A. 映画は今はわたしの世界からは離れちゃってます。だから映画は観ません。好きなものといえばやっぱり美味しいお料理。わたしなんかは昔の人間ですから今のものは嫌ですね。子どものときに住んでいた東京の家の近くに魚河岸があってそこに新鮮なのがサクで置いてあって、それを食べたのを覚えています。ともかく良いものを食べて育ちました。だから(脚を骨折して)荻窪病院に入ったときに何が嫌だったって、食べ物が嫌でした。病人は良いもの食べなきゃいけないのにね。病院側は患者に良いと思って出してる食べ物なわけですけど、それを拒否して食べなくてもリハビリの成績はどんどん上がっていくでしょう。病院は不思議な人間だと思っていたんじゃないですか。ここ(老人ホーム)では週に3回ぐらい餅菓子が出て、それは本当の餡子を使っていて美味しいです。
昔のものが続いて良いものがいっぱいできます。農場では田んぼなんかも昔のような作り方でやっているでしょう。今は何でも機械化。機械化したほうが良いものと良くないものがあるわけですけど、そういうものを見分けることも全然できないで、ただたくさん作れば良いという考えでもって、人の手が簡単になって機械が全部働いてくれると思っているんでしょうけど、できたものはやっぱり人の手が作ったものと機械が作ったものは全然違う。そういう違いがわかる人がいなくなっているのも事実ですね。
これからの世界は若い方が作っていくものですから、若い方が自由にどんどん変えていったら良いんじゃないでしょうか。ただその変わり方が良い方へ変わっていってくれたら良いなと思います。まあ自分で思うようには世の中いかないですから、よっぽど意志の強い人でないとね。たまごの会の人たちなんか本当に意志が強かったです。みんな頑固一徹で。だからここまで続いたんだと思います。
たまごの会の何%かを文樹さんが受け継いで、さらに若い人たちが共感して入ってきて、だからあそこは良いものが続いているんだなと思います。


by kurashilabo | 2020-07-27 11:40 | 週報からの抜粋

【イバの雑感スペシャル】2020/07/25 週報より

「僕はこれからもうんざりする道を自ら選び続けることになる」

▼コロナが第2波と呼ぶべき状況になっている。世の中では、「検査数が増えているから大丈夫」という意見がある。確かに、何人を検査したのかの“分母”を見ないと、分子である検査陽性者数(以下:陽性者数と略)だけ見ていては正確な事は言えない。第1波で最大だったのは、4/10の708人。この時の検査数は8365人なので、割合で言うと8.5%。一方、翌々日、4/12では陽性者数だけ見ると571人と、波を超えたような印象があるが、分母が4445人なので12.8%となり、実際には4/10よりも悪い。陽性者数の数字だけを追うとミスリードしてしまうのは確かだ。(数値の出典は東洋経済オンラインより)
▼それで言うと、直近では、7/17が588人、7/18が655人、7/19が501人と、人数は多いが、検査数が1.5倍程度増えているため、それぞれ、4.4%、5.9%、8.2%と第1波よりもインパクトが小さい。しかし、そうは言っても陽性者が増えているという事実には変わりなく、また政府が第1波の時のように緊急事態宣言を出すなどの対応をしていない現在、この数字が膨れ上がるのは必須である。
▼今の政府の無能さは前にも書いたが、ことコロナに限っていっても、一斉休校問題、マスク問題、GoToキャンペーン問題、その他諸々、上げればきりがなく、今更何も期待することはないが、そうは言っても「一体あんたら何やってんだ!?」と怒りたくはなる。
▼それはさておき今、世の中に多く流れているムードは、おそらくこういうものではないか。
①思ったより重症化率・死亡率が低いよね
②それなら経済を回していこう(自殺の問題も大きい)
③自粛も何が正解か分からない状況もうんざり
これらは第1波の経験から分かった(思った)ことでもあるだろう。
①②に関して、東洋経済オンライン(7/17)『新型コロナ、日本で重症化率・死亡率が低いワケ』で、 国際医療福祉大学大学院教授の高橋泰は、
「・新型コロナウイルスは、初期から中盤までは、暴露力(体内に入り込む力)は強いが、伝染力と毒性は弱く、かかっても多くの場合は無症状か風邪の症状程度で終わるおとなしいウイルスである。しかし、1万~2.5万人に1人程度という非常に低い確率ではあるが、サイトカイン・ストームや血栓形成という状況を引き起こし、肺を中心に多臓器の重篤な障害により、高齢者を中心に罹患者を死に至らせてしまう。
・日本ではこれまでのところ、人口10万人に対し0.8人が亡くなっている。われわれは自然免疫の存在を重視しており、それを前提としたシミュレーションでは、新型コロナウイルスが現状の性格を維持する限り、どんなに広がっても10万人中3人以上、つまり全国で3800人以上死ぬことはなさそうだというのが、結論の一つだ。
・人口10万人に対して16人、全国で2万人強が自殺で亡くなっている。過去に景気が悪化したときは3万人を超えて10万人当たり24人になった。そうであれば、10万人対比で見て、新型コロナによって2人亡くなるのを防ぐために、景気悪化で8人の死者を増やすのかということになる。対策のメリットとデメリットのバランスを考えないといけないのではないか。
・30歳未満では重症化リスクは限りなくゼロに近い。30~59歳も通常の経済活動を行ってよいはずだ。罹患した場合は症状に応じて自宅待機などを行い、集団発生すれば職場の閉鎖をすればよい。70歳以上の高齢者は流行している間は隔離的な生活を維持せざるをえないだろう。何度も言うが、感染リスクはある。しかし、2%未満の重症化リスクを減らせばいい。」(大幅に省略)(*下線は最後にコメント)
と述べており、重症化率が低い理由と経済を回していく重要性を説いている。
▼③(自粛はうんざり)に関しては、僕自身も全く同感だ。農場で人の受け入れを出来ないことの欠乏感は大きい。となれば、高橋教授の言うように、そして世の中の雰囲気と同じように社会活動を再開していけば良いのだろうか。
▼そもそも、コロナに対する危惧・警戒心の根拠となったものはなんだったかを改めて思い出してみると、
㋑ワクチン、治療薬がない
㋺病院が逼迫すると大変なことになる

㋩重症化・死亡するリスクが高いかもしれない
だったのではないかと思う。
▼最後の㋩に関しては上述の高橋教授の意見をひとまず参考にしてみるとして、㋑については、TBSラジオsession22 (7/13)医師・峰宗太郎氏の意見では、「薬やワクチンというのは淡々と開発が進んでいる状況。薬については、今のところある程度効果があるものとしてレムデシビルがある。デキサメタゾンを使うと重症の方の予後の改善がみられるということが分かってきている。」ということで、つまりはまだ決定的な治療薬やワクチンが開発されている状況にはない。
㋺に関しては、東京都が7/22に開いたモニタリング会議において、「とても逼迫していないなどとは申し上げられない」「医療関係者をはじめ様々な人の苦労で何とか踏ん張っている状況」と杏林大病院の山口芳裕・高度救命救急センター長が述べたと、朝日新聞デジタル(7/22)が報じており、その危惧は今も続いている。
▼㋑と㋺がどちらかといえば悲観的な意見であるのに対して、高橋教授の㋩はどちらかといえば楽観的に思える。僕はただの一般ピープルなので、専門的なことは何も分からないが、今の勢いで陽性者が増え続けて、病院が全く対応できない状況になれば重傷者が増えるのではないかと思ったりもする。僕が勝手に便宜上、第1波と呼ぶ3/28-5/9の期間で陽性者数は14,500人であり、(亡くなられた方を数値で数えるのは非常に憚られるが)亡くなられる方はそれより20日程度時期が遅れて4/15-5/29で777人である。そして第2波の影響はこの後から出てくる。今の政府の無策で人が自由に動いて(8月にはお盆もある)、第1波よりも感染が広がっていけば、医療崩壊が起きるのではないか。そうなれば3800人などでは収まらないのではないか、と思ったりもする。
▼また、高橋教授自身が「新型コロナウイルスが現状の性格を維持する限り」と述べているように、恐ろしいのは変異することだろう。極端な話、コロナが仮にマーズのような致死率の高いウィルスになると思うとさすがに恐ろしい。もちろん、変異しない可能性は十分あるし、してもいない変異の話をしても笑われてしまうだけだが。
▼コロナをどう捉え、どう考えればよいのか。以前にも週報で書いた五箇公一氏は、朝日新聞デジタル7/11の記事『生態学者 コロナとの共生、異を唱える訳は』で、
「・新型コロナは知識が追いつかない間に、世界に広がってしまった。感染しても発症しない人が大勢いて、人間社会に残っていれば、高齢者や持病のある人は重篤化する危険にずっとさらされ続けなければならない。インフルエンザなどに比べて圧倒的にコントロールできていないので、排除という作戦を取らざるを得ない。
・最近は『ウィズコロナ』『コロナとの共生』と言うが、経済活動を復活させるため、やむを得ず言っているにすぎない。気にせず普段通りやりましょう、というムードでは困る。
・生きものが身近にいっぱいいるのは、人間にとって必ずしもいいことではありません。食料をとるものも、病気を起こすものもいる。少なくとも家や街の中からは、排除して生きている。自分のすみかを守る意味で、生物学的には当然の反応です。
・たとえコロナに勝っても、開発や破壊をベースとする経済の構造を変えないと、もっとすごい病原菌やウィルスが出てくる恐れがある。いまある資源をいかに循環させて共有していくか、人間社会の変容やパラダイム転換こそが本当の課題です。」(大幅に省略)と述べている。
▼僕は、基本的に五箇氏の意見に近い。ただ、五箇氏の主張は短期的な対応について言っている訳ではなく、対策にも時間がかかる。短期的には高橋教授の言うように過剰な引き締めは必要ないという精神的な余裕を持ちながら、もう一方で、未知のウィルスであり、今現在も今後の動きにも注意し、経済活動・社会生活を行っていく、というのがとりあえず僕が思うところだ。ということはつまり、はっきりしたことは言えず、それ故これからもこのうんざりする道を選び続けなければならない、ということになる。
※下線は僕がつけたもの。「集団感染すれば職場の閉鎖をすれば良い。」は社会の対策としては正しいが、現場で働く身としては、そう簡単に言わないで欲しい、というのもある。


by kurashilabo | 2020-07-26 14:38 | 週報からの抜粋

 農場を含め田舎にいるとコロナの実際の影響は大したことはないが、それでも日に日に伝わるニュース、変わる状況を見ていると自分の意識レベルも常に更新されているように思う。
 農場では学校の休校騒ぎが出た後の3月7日に経済救済受付と農場開放を発信した。(※FB参照)農場開放では以前にお伝えしたように何組かの親子が訪れて農場を楽しんでいった。しばらくすれば新学期で(再び休校になる可能性も大いにある)、農場で当初予定していた農場開放の期間も終わる。これからのことについて、今自分としては、当面は基本的に都内からの人の受け入れは控えた方が良いのではないかと考えている。

 農場にとって一番大事なこと、避けなければいけないことは農場スタッフが感染することだ。スタッフが一人でも感染すると、他の全スタッフも自宅謹慎になる。農場=自宅のいぇじんさんと羽田君は(自分が感染者自身でなければ)作業できるかもしれないが、僕や舟田君が自宅謹慎になってしまうと農場の生産活動はどうにも立ち行かなくなる。もちろん影響は生産活動だけでない。そう考えると、今都内から人を受け入れることにはかなり慎重にならなければならない。そしてその上で大事なことは、会員の生活を守ることだ。

 田舎(茨城県)にいると割とのんびりした空気を感じる。田舎は人口密度が低いし、そもそもイベント事などは少ない。畑も自分でやっていれば食料に困ることもない。そんな結果?危機意識がそこまで醸成されず?ロードサイドの飲食店にはよく客が入っている。
 しかし、都内はとんでもないことになっている(なっていく)のではないかと思う。仕事がなくなる人が続出するのではないかと。会社は普通、ほんの数ヶ月のキャッシュしか持っていない。つまり事業が止まればすぐ潰れるということだ。自分自身は田舎や農場のある種の恩恵を受けている訳だが、都市の衛星農場のスタッフとしては、こうした都会の現状を支えていかないと思う。

 当初に出した「経済救済受付」は基本的にそうした考えに基づいて出したもので、内容は「困っている人は割引するので申し出てください」というものだったが、それに加えて「滞納申告受付」も行いたい。こうしたことは、実際のところ、田舎にいる我々よりも会員さんそれぞれから意見をいただいた方が制度を作りやすい。ぜひ遠慮せずに、自分の状況をお伝えください。
イバコラム 2020年4月3日週報より_c0177665_12154003.jpg

by kurashilabo | 2020-04-09 12:18 | 週報からの抜粋

【会員さんインタビュー】 早川幸子さん_c0177665_14484482.jpg


東京から八郷に移住された早川さん。「依存しない暮らし方」に取り組んでいる視点から、田舎で暮らすことの面白い話を伺えました。


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プロフィール

お名前:早川幸子(はやかわゆきこ)さん

  農場では“ゆっこさん”と呼ばれています

住んでいる場所:八郷

農場歴:4年ぐらい

普段していること:フリーライター(主に社会保障や医療がテーマ)、5アンペア生活

好きな野菜:トマト

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Q. 早川さんは、電気の契約電流を最低の5アンペアにして生活していらっしゃいます。節約目的でもなかなかそこまでは思い切り難い電流量です。なぜ5アンペア生活をしようと思ったのですか?

A. 東日本大震災での経験がきっかけでした。そのころは東京に住んでいて、身の回りからモノが無くなってしまったんです。そのとき都市の人はいろんなモノを地方に依存しているんだなと実感しました。果たして自分はこのまま依存する生活を続けてもいいのかと考え、依存しない生き方を目指すようになりました。使う電気を少なくしたのはその一つです。

このころから移住も考え始めました。島根県まで見に行って探したりしましたね。島根って半農半Xを推進しようとしてるんですよ。見に行ってみたらすごく良いところだったんだけれど、さすがにちょっと遠かった。実家というか今まで自分が暮らしてきたところとは全く無縁の地域ですし、向こうじゃライターの仕事を続けるのも難しい。何より雪国で車を運転するのは私は無理だなって思いました。

そうやっていろいろ見に行って探しているときに八郷に出会いました。来たときに「ああ、もうここにしよう!」って思いました。そこから家探しなどいろいろ相談して2016年の10月に引っ越してきました。


Q. 実際に八郷に暮らしてみて感じた、都会との違いは?

A. 地域のつきあいは言葉で表せない違いを感じました。八郷に来て間もない頃に地域の同じ班の方に不幸があって、急に「赤熨斗に二千円包んで持ってきて」と言われ、「何言われてんのかわかんない!」って慌てました。イェジンに聞いたら農場はそういう近所づきあいしてないから分からないと言われ、(すでに八郷で地域づきあいができていた)イバくんに相談して乗り切りました。

農場って実は田舎のいいとこどりをしていて、農場を見ているだけだと自然が素敵とか、食べ物作ってるとか、田舎の印象はそれぐらいでしたけど、けっこう面倒な付き合いがあるんだと実感しました。でもそれを凌駕するぐらい筑波山は美しいですし、隣の畑のおじさんが野菜をくれたり、班に入りやすいように声かけてくれたり、面倒以上にいろいろ援けてもらえることもあります。

私、5A生活だからエアコンを使わないんですけど、八郷は昼間暑くても、夜になると、スーッと涼しくなるんです。だから、東京と違って夜に暑くて寝苦しいことは無いですね。昼のあっついときは図書館行ったりすれば何とかなりますし。冬は全然何も困らないですね。暖房は石油ストーブつけてついでに煮込み料理も作れる。ちなみに電気代は・・・。冬は、一人暮らしで500600円くらい。夏はわりとかかって800円ぐらいにはなっちゃいますね。(編集コメント:「なっちゃう」って、十分安いですよ)


Q. 早川さんにとって農場はどのようなところですか?

A. なんかもう、自分の生活に農場があるのが当たり前すぎて改めて聞かれると…()。農場があったから八郷に来ようと思ったのはありますね。地域というか移住者コミュニティの入口になってくれています。田舎への移住では、つながりが何も無いところにいきなり入っていくのは難しいですから。


Q. 5アンペア生活の実践や、庭を拝見するといくつかの野菜も自分で作ってたり、「依存しない暮らし」を一つ一つ実現されています。これからやりたいことはありますか?

A. 答として逆になってしまうかもしれませんが、八郷で暮らしてみて、依存せざるを得ない、援け合わなきゃ一人じゃ暮らしていけないことをすごく感じます。都会の依存というのは、途上国の人とか地方の人とか見えない誰かを犠牲にして、何でもお金で買ってしまうことなのかもしれません。

 ここでは、顔の見える依存関係を強めていかないと生きていけません。今飼っている猫の福太郎のこと一つにしても、みんなの手を借りないと私はこの子を育てられません。もっと年をとって高齢になったら、車も運転できないし、介護が必要になってくると思います。そうなったときに援け合って安心して暮らしていける地域にできたら、私もずっとここにいられるのかな。

by kurashilabo | 2018-11-12 14:49 | 週報からの抜粋

【会員さんインタビュー】 岡田泰子さん_c0177665_14551507.jpg


今回は、東京でのマルシェ出店に足を運んでくださった岡田さんです。お話している間、農場周辺の生き物の話で盛り上がるなど、生き物好きな人柄がとても伝わってきました。


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プロフィール

お名前:岡田泰子(おかだやすこ)さん

住んでいる場所:千葉県習志野市

農場歴:10年ぐらい

普段していること:家事、ピアノ、合唱。バッハが好きで、バッハの曲ばかりやっている合唱団に入っています。

好きな生き物:カナヘビ。スマートで可愛らしい。トンボ、アオガエル、鳥も好き。

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Q.農場に関わるようになったきっかけは?

A.姉がずっとたまごの会に関わっていたので農場のことは知っていました。ただ、昔の自家配送のころは、私は集配の場所まで行くことは大変だったので近所の自然食品店や生協を利用していました。10年ぐらい前に、住んでいる場所から離れたいことがあって、姉の勧めで農場に行きました。そうしたら噂どおりとても良いところで、食べ物はとても美味しいし、楽しくて、すっかり農場の雰囲気に魅了されました。スタッフの皆さんが自然体なんですよね。特に大歓迎されるわけでもなし、話しかけられるわけでもなし、でもけして邪魔ではなくて何もしないでもするーっと中に入っていける。その場にいても全然くたびれないのが良かったです。

それから、もう自家配送をやめて宅配になったと聞いたので野菜を送ってもらうようになりました。

一年に一回ぐらいは段ボールと卵パックを返しに、夫に運転してもらって農場に行き、ちょっと作業を手伝ったり、鶏糞をいただいたりしていました。夫も畑と田んぼを自分で作っていて、農場のことは興味が強いようです。


Q.昔から有機野菜に関心があったんですか?

A.私は生き物が好きで環境にも興味があって、農薬がひどくて生き物が死に絶えるっていう話を聞いたりして、化学薬品とか嫌だなと思うほうでした。母も同様だったので、昔から化学薬品のこととか気を付けるのは当たり前のように暮らしてきました。ただ、私は有機野菜は食べるけれど自分で畑をやるのは苦手です。私は雑草は自然なもので綺麗で、野菜は人工物で綺麗じゃないと感じるので、綺麗じゃないもののために綺麗なものを抜いてしまうのがどうも嫌で。間引きも、どれを抜いてどれを残そうかすごく悩みます。


Q.本当に生き物が好きなんですね。

A.はい。特に野生の生き物が好きです。家畜でも鶏は精悍で好き。やっぱり恐竜の子孫だなと思います。

生き物が私の大きな一つのテーマですね。大学も生物化学を専攻しました。生き物とは何だろうって知りたくて。仕事というか自分の道はなかなか定まらない時期も長かったのですが、高校で生物を教えるようになったらぴったり合いました。私が面白いと思うことを子どもたちに伝えて、一緒に感動することが楽しかったです。

農場の開拓地では鈴木さんが手を入れるようになってからレンゲとかいろんな生き物が息を吹き返してきたと聞いていて、いつか見に行きたいと思っています。


Q.最後に、岡田さんにとって農場はどんなところですか?

A.「代わりにやってくれる拠り所」。自分がやらなきゃいけないことを、私ができない代わりにやってくれるところです。本当は、世の中のことはみんなそうなんだと思うけれど。それから、何かつらくなったり、生活の根底に触れたくなったりしたときに行けるところ。もちろん、おいしい野菜を作ってくれるところでもあります。

by kurashilabo | 2018-10-23 14:57 | 週報からの抜粋

昨年の研修生の冬馬君から1年間の研修のレポートが届きました。

しっかり考えられていて興味深い内容なので、冬馬君を知っている人も知らない人もぜひお読みください。

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2014年度研修生 羽塚冬馬

 僕が大学を卒業してすぐ、2014年4月から翌年の3月まで、このやさと農場で研修生として一年間過ごしてきました。多くのことを感じ、自分の中でも大きな変化のあった一年でした。それが終わった今、ここでの生活で感じたことを言葉にまとめたいという思いがありました。この文章は、僕の研修生活の感想文です。この研修は、僕のこれからの生き方を決めようという思いを込めた一年間でした。その一年を振り返るということは、ところどころに僕自身の持つ「生きること」そのものへの価値観が垣間見えることかと思います。それはもしかしたら、これを読んでくださる方々の生き方を否定するように映るかもしれませんが、それは僕の拙い文章力によって生じてしまった副産物です。主たる目的は、この研修期間を経た僕自身のあり方を書き記すこと、それを念頭に置いてお読みいただければ幸いです。
 またこの文章を書くことにはもうひとつの動機があります。それは、この研修期間の経験を形として残すことで、いつもとは異なる視点での農場の発信として、外部の方々に少しでもこの農場のことを知ってもらえれば、そしてほんのわずかでも農場のこれからにつながれば、そんな思いが込められています。それは、この場所で様々な経験をさせてもらった僕の、微力ながら精いっぱいの恩返しです。


◯お肉を食べることについて
 僕がこの農場に来た理由、それはハッキリと一つには絞れませんが、一番はお肉を食べることへの葛藤でした。大学生活の後半、ふとしたことから、それまで口にしていたお肉の背景、つまりは生産の現場が気になり始めました。なぜならそれらは、ぼくの目には悲惨な光景として映るであろうことが、容易に想像がついたためです。そこから食肉工場の現場を調べたり、映画を見たり、周囲に多くの迷惑をかけながらベジタリアンとしてすこしだけ生活してみたりしましたが、結局行き着いたのは、動物を育て、殺し、食べるという一連の流れを自分の身で受け止めてみたいという思いでした。しかし生死の関わる現場に、素人が立ち入れる機会はなかなか見つかりませんでした。そんななかで鶏の屠殺体験をさせてくれるというこの農場の存在を知ったときに、強く惹かれたのは当然のことでした。
 このテーマを抱え一年間を過ごし、あらゆることを体感しました。首を切られた鶏の最後のもがき、屠場のベルトコンベアで流れてくる豚の鳴き声。その一方で、人を見つけると駆け寄ってくるまんまるひよこと、母豚のお乳をたどたどしくさぐる子豚。ここでの日々は、あらゆるものが生まれ、死ぬということを身近なものにしました。そんな体験と、この生活で触れた思慮深い方たちの言葉、その二つをもって現段階で自分の中に落とし込まれていること。それは自分の都合で他の命を奪うこと、それはいくら感謝してもなんの許しも得られない、グレーで違和感の残ることなのだという実感でした。
 そこに至っていながらぼくはお肉を食べることをやめるという道を選びませんでした。それは、ここにきて料理をするようになり、動物性の食材の持つ、何にも代えがたい大きな存在感を知ったからでした。単純な話ですが、お肉が出ると、食卓は笑顔になりました。そんな理由はとてもひとりよがりで、いわゆる“人間のエゴ”に過ぎないという批判は、まさにそのとおりだと思います。このような”エゴ”を廃した人(つまり肉食をやめた人)の意志の強さは心から尊敬するし、良心を持って生まれた生き物としては、その選択はより精神性の高い決断であるかもしれません。しかしここでの生活は、自分自身が大きな生死の循環の中で生きる一頭の動物にすぎないということを深く感じさせました。豚の屠場に行き、目が眩むような大量の死を目の当たりにした後、一時的に食欲はなくなりましたが、そのあとに食べた豚のお肉が、これまで口にしたものの中で一番味わい深かったことは、とても印象深い出来事でした。今の自分は、その命の痛々しいつながり中で生を全うすることを選んだといえます。
 今後のぼくの態度についてですが、これらの体験とは丁寧に向き合える生活は送っていきたいと思っています。この農場の外で、自分の意志で持ってお肉を日常的に口にするようであれば、この農場のお肉を購入したいと考えています。ここのお肉は、工場の製品ではなく、生き物として生を全うするギリギリまでその命を尊重されたものだと知りました。それでもお肉からにじみ出る悲しみは決してゼロではありませんが、僕にとっては市販の物とは大きな差がありました。まだまだ考えるべきことは尽きませんが、生きていく上で悲しみのある選択を取っているならば、そこに自覚は持ち続けたいというのが、現時点での僕のささやかな意志です。ただこの態度は僕個人のもので、僕と食を共にする人に強要する気は全くありません。他人との関わりを考えたとき、全員が美味しくありがたく食べられることは、僕にとっては食にこだわりを持つこと以上に大切であるためです。

◯暮らすということについて
 もうひとつ大きなテーマだったこと。それは自身の暮らしの再考です。生きていく際に必要とされること、食を始めとして、衣類や、移動手段や、その他あらゆる日用品。それらを、日々お金を払って手に入れることは、自分が想像しきれないほど広い範囲での経済活動を経て、様々な形できっと多くの人や物を不本意に傷つけているのだろうという感覚が生まれ始めました(それは裏打ちのある事実としてではなく、僕個人の感覚的なものです)。そのような感覚を持ち始めてから、僕の生活は可能な範囲で徐々に変化していきました。だんだんと地産地消的な食事を好むようになり、服へのこだわりが薄れていき、移動には燃料を必要としない徒歩や自転車を使う頻度が増えていきました。
 農場生活は完全な自給自足とは言えませんが、大きな流れに全てを委ねるのではなく、自分たちの手で小さな暮らしを作っていることは確かです。そしてこの一年間で、人がそのような生き方をしていくというのはどのようなことか、それを実際に体感させてもらいました。畑で野菜を収穫し、生き物に手を加えお肉にする、そして自分自身で調理するという基本的なところから、土を採取して器を焼く、原毛から糸を紡いで編み物をする、竹でかごを作る、薪を割り、それで暖を取る等々。どれも体験程度のことしかできていませんが、身の回りのものを自身の手で作る営みがどのようなものかを知る入り口にはなりました。そしてそれらは、思い描いていたよりもずっと泥くさくて地道なものでした。
 そうやって自分が憧れていた「自給的な暮らし」の全体像が、ぼんやりとした想像の生活から、地に足ついた実感へと移り変わっていき、そして当時は過剰だったとも言える、今の暮らしへの神経質で批判的な眼差しは落ち着いていきました。暮らし方の検討がついて、あとは今後の生活の中でどれほど実践していけるか、そんなことを静かに考える段階に入ったといえます。

◯これからについて
 そして僕のこれからについて。先述したのは、自分自身の衣食住、つまりは生命活動を維持していくことに関わるテーマでした。それに加えて、僕がこの世での生を全うしていく中で、この社会にどのような形で還元していけるかというのは、常に頭の片隅にあったことでした。そのことに関して、大学時代からぼくが強い魅力を感じていたのが、子どもの存在、そして人間の心の存在でした。公園で子どもを見る親のあたたかな目、心の葛藤超えて一歩踏みだそうとする人間の気力、このふたつは僕が人間の生の輝きを強く感じたテーマでもありました。そしてそれらが実際に起きる現場で、みずみずしい感性を持ち続けること、それが僕の生を輝かせることにつながるのではないだろうか、ということは、この農場に来る以前から持っていた考えです。
 僕がこの農場で生活をする中で、これらのテーマに関わる要素、つまり農場のような場における教育の可能性、そして人間の心に与える影響を探していました。結論から言えば、それは大いにあると思いました。それを一番体感したのは、共同生活が持つ、人との関わり方についての学びの機会です。同じメンバーがほぼ毎日一つ屋根の下で暮らし、人によっては日中さえ同じ作業をこなすこともある農場での生活。そういった、特定の人たちと膨大な時間を寝食共にする生活は、各人がそれぞれ持つ、自分自身や他人とのあるべき関係のあり方を作る際の課題を浮き上がらせるように思われました。プライベートな場においてはごく一般的なことかもしれませんが、それが全くの他人であった方たちとの間で起きる共同生活の場は、僕にとって初めての経験でしたが、非常に多くの学びがありました。
 そのような思いを持った僕のこれからは、小さい範囲での自給的な暮らしと、その上で子どもを含めた共同生活との両立を目指しています。今後はこのような考えに共鳴する場所であり施設を回り、実際に現場の空気を肌で感じてみようと思っています。


 以上が僕の研修生としてのまとめです。当然なことですが、人によって農場での生活は大きく違って感じられるものだと思います。僕にとってあの場所には、人が他の生命や自然を慈しんで生きていく上で大切なものが確かに存在しているように思われてなりません。そしてそれは、今の時代を生きる上で実にあっさりと見過ごされてしまうものだと、確かな根拠はないですがそう感じています。興味のある方はぜひ一度、画面越しではなく、直接足を運んで、空気を吸って、音と匂いを感じ取ってみてください。そして、難しいことは承知ですが、日帰りや一泊二日でワンダーランドとして農場を楽しむのではなく、できればぜひ三泊以上滞在して、人が生きていく場所としての農場を知ってもらえれば、僕が見たあの場所の魅力はより伝わるだろうと思います。言葉にして抜け落ちていることはたくさんありますが、どうか皆さまに伝わりますように。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2015年4月10日
by kurashilabo | 2015-05-27 10:45 | 週報からの抜粋

キッチンから 5月

野菜がなんにもないので食当に困った一週間でした。それでも気がつくと(何を作ったか思い出せないのに)無事に何かしら食べたようで、今日も空腹に悩まずに生きているのだからすごい。サニーレタスとサラダ菜を混ぜてサラダにしたのはよく覚えています。ドレッシングは会員Y氏秘伝の醤油・生姜・胡椒・ごま油ブレンドだったり、実家から送ってきたイカナゴ(こおなご)の佃煮にマヨネーズを混ぜたものだったり、いろいろ。今週はラディッシュも入ったので、彩りアップですね。何でもいいから作って美味しく食べていれば、また一週間元気に過ごせるはずですね。イバ

鈴木さんが食事当番の週は食卓にのぼる料理がたいがい1品だ。美味しいし、ボリュームもあるので1品でもお腹いっぱい食べられる。鈴木さんは料理はめんどうだと思っているみたいだけど美味しい物を作ってくれる。今日の春菊の味噌汁も絶品だった。なんか変わったことしました?って聞いたら。「何も」と言う。分析するに、しっかり出汁をとっていることと、春菊を煮ないということだと思う。刻んだ春菊がボールに盛られて、何も入ってない味噌汁の横にあった。おわんに春菊をいれてそこに熱々の汁をかけるだけ。それだけなのにとにかく絶品。是非春菊の味噌汁やってみてください。(姜)

毎日葉物ばかり食べています。私は俵万智が好きで、サラダを食べるたびに思い浮かびます。ただ、本当に最近は、(味はともかくとして)毎日がサラダ記念日のようで、記念日のありがたみというのを忘れそう。肉と卵を利用してどうにかやりくりしています。たまたま朝日新聞にJ-オイルミルズ(味の素など3社の精油部門が集まってできた会社)の広告があり、「金環日食丼」が紹介されていました。卵とタマネギなど農場の野菜を焼いて太陽の部分を作り、鶏挽肉の甘酢あんで月の影を表現。直接見ても目を傷めない日食丼、簡単です。 菊地
by kurashilabo | 2012-05-18 15:35 | 週報からの抜粋

キッチンから 4月

京イモ・・・よく蒸してから皮をむき、素揚げかカタクリをつけて、から揚げにして、塩をふって食べるのが最高。止まらなくなります。S

春菊、人参、ヤーコンを千切りにして混ぜたサラダがお勧めです。ドレッシングは胡麻油とお酢と醤油にすりおろしたニンニクとしょうがを入れて、韓国唐辛子を一つまみいれると絶品。少しぴり辛に仕上げるとヤーコンの甘みと合います。(姜)

春菊のチヂミは簡単でオススメです。2センチずつに切った春菊を水と卵で溶いた小麦粉に混ぜて焼くだけ。水溶き小麦粉はクレープくらいのしゃばしゃば感がいいです。具のツナギなので春菊に絡ませる感じで。たっぷりの胡麻油でカリッと焼いてください。お好みで玉ねぎや人参を入れても美味しいです。味付けは塩だけでOK。好みでポン酢などでお召し上がりください。 (姜)
by kurashilabo | 2012-04-01 15:32 | 週報からの抜粋

 
届いている卵がいつの卵か、という事について前から書こうと思っていたのですが、サルモネラの事も合わせて書いた方がいいなと先延ばしにしていたら、問い合わせをいただいて、とりあえず、出荷の仕組みの方だけ先に説明します。

発送は金曜ですが、金曜は出荷作業でバタバタしているので、パック詰めは木曜に行います。パック詰めの段階では木曜の卵はまだ回収しきれていないので、一番新しいのは水曜、古いのは土曜のものです。土曜~水曜の5日分を出荷しています。それ以上古いものは入りません。1つのパックの中は同じ日のものが入っています。卵は毎日チェックして日ごとにコンテナに積み、パック詰め時はそれらを順に詰めていくので、日が混ざるようにアトランダムに入れるのは不可能とまでは言いませんが、労が多いし、あまり意味もないと思っています。

というのは、1週間前の土曜のものでも十分新鮮だからです。よく卵の宣伝で、いかに新鮮かをいうのに「卵が掴める」というのがありますが、ここの卵も掴めます(写真は先週の土曜のもの)卵は基本的には生き物なので、よっぽど古くなければ腐りません。いつだかの事件で半年前の卵を賞味期限を書き換えて販売して捕まった会社がありましたが、あれだって、それで食中毒を起こした、という事はありませんでした。それは今の話とは次元の違う良くない事ですが、保存次第でそれだけ持つ、という事です。冬場だったら生食で14日、火を入れればひと月は持つと思います(これもあくまで目安であって、もっと食べられると思う)。話は戻って、日によって産卵量は変わるし、出荷量も毎週同じではないので、足らないときは木曜の卵を回収後にパック詰めする時もあります。基本的には木曜と金曜の卵は農場では「月曜出荷」と呼んでいる月曜に発送する出荷先がいくつかあって、それにあてています。卵が余ると、地主の高橋さんに献上したり、農場で食べて消費しています。 イバ
by kurashilabo | 2011-12-03 18:12 | 週報からの抜粋

鶏舎の窓から 2

ナゴヤをお肉にした翌日、春に入れた雛が卵を産み始めた。まあ、よくありそうっちゃありそうな話ですが、なにか不思議なものを感じます。農場の鶏舎は10部屋あり、その中には卵を産み始めた鶏もいれば、2年経つのもいるし、11月の入雛を待つ空っぽの部屋もあったりで様々です。産まれて一日目のヒナから飼い始め、2年間飼って、お肉にします。鶏舎にはいつも鶏がいますが(鶏舎なので当たり前ですが)、2年経つともう全く新しい鶏に替わっているという訳です。人間社会も100年もすれば、もう全く違う人間がこの地球上に当たり前のように暮らしているだろうし、人の身体の細胞もどんどん変わっているらしいし、農場のスタッフも入れ替わっていくし、なんだか話が逸れているようですが、そう感じずにはいられないです。鶏は死んで僕たちに食べられますが、そうした僕たちもいずれ死んでいきます。そう考えると、やはり生きている間は少しでも人らしく、鶏らしく(総じてより良く)生きられる事が良いと考えるのも、間違いではないように思います。たまに鶏舎の戸が開いて、別に逃げるわけではないが、戸の外に出た2~3羽がその辺りをウロウロして、土をかいたり、草をついばんだりする姿を見ると、ほがらかで楽しそうだなぁ~と思いつつ、鶏舎の中でもまぁ同じような事をしてるよなぁ、と妙に納得します。彼らは幸せ、だったかな。
(2011.10.21)

イバ
by kurashilabo | 2011-10-22 22:03 | 週報からの抜粋