A. 23、4歳のときだったかな。わたしがブラブラしていたときに、日本映画社に勤めていた友達のお父さんから声をかけられました。「せっちゃんブラブラしているのはもったいないよ、制作の募集をしているから応じてみないか」って。私は冗談じゃない、映画は観るばかりで作るなんてとんでもない、だいたい映画をつくるところに女の人なんていないじゃないかと言ったんです。そうしたら「女の人がいないんだからせっちゃん応募してみなよ」と返されました。それで受けてみたんです。
A. 私は農場開きのときには映画の監督の仕事があって出席できなくて本当の一番最初って見てません。一か月ぐらい経ったころにようやく、松川さんと一緒にやってきました。そのころは農場はまだ今のようにはできてませんでした。松林を伐るところから始まりましたからね。土地を平らにして、松の根っこを取るのがもう大変でした。豚小屋も鶏舎も、柵だけで屋根がなくて、まだ粗末なものでしたね。『不安な質問』はもう観ましたか。あれを見ればたまごの会がどんなだったかが分かります。
A. 映画は今はわたしの世界からは離れちゃってます。だから映画は観ません。好きなものといえばやっぱり美味しいお料理。わたしなんかは昔の人間ですから今のものは嫌ですね。子どものときに住んでいた東京の家の近くに魚河岸があってそこに新鮮なのがサクで置いてあって、それを食べたのを覚えています。ともかく良いものを食べて育ちました。だから(脚を骨折して)荻窪病院に入ったときに何が嫌だったって、食べ物が嫌でした。病人は良いもの食べなきゃいけないのにね。病院側は患者に良いと思って出してる食べ物なわけですけど、それを拒否して食べなくてもリハビリの成績はどんどん上がっていくでしょう。病院は不思議な人間だと思っていたんじゃないですか。ここ(老人ホーム)では週に3回ぐらい餅菓子が出て、それは本当の餡子を使っていて美味しいです。