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ふみきコラム20171125 小さな林業について考える

 日本各地の里山はどこでも似たようなものだと思うが「開拓地」周辺の山も多くは針葉樹林(ヒノキ・スギ)だ。人里近くの針葉樹林は困りものである。間伐もされない林内は暗く、冬に落葉もしないので植物相や動物相は一般に貧弱になる。林内だけでなく南側に林があると畑であれば日照が得られず、広く使えなくなる。住宅であれば尚更困ったことになる。

 この農場の豚舎裏は50年生位のヒノキ林で、そちらが南面になるので豚舎には一年中全く陽が当たらない。冬の冷え込みは厳しくコンクリ床の豚たちにはつらい時期となる。南東側も土地の境界林としてヒノキが一列植えられていて農場内を暗くしている。またこの居住棟の南面と東面は建設当時は桑畑で明るく開けていたが、その後栗林となり、その栗林も十年程前に放棄され、ヒノキが植えられてしまった。そのヒノキがすでに栗の高さを越えて成長し、年ごとに農場に陽が当たらなくなっている。ボクの部屋は農場では朝日が一番よく当たるところだったが、段々と陽が入らなくなっている。(このままでは遠からず農場は暗い日陰に入ってしまう。早急に話をして切ってもらわなければならない)

 人里近くがこれ程スギ、ヒノキだらけになったのは古いことではない。主に戦後のことだ。第1の理由は50年代から60年代にかけての燃料革命で、田舎でも薪炭から石油・ガス・電気にエネルギー源が変わり、里山が無用になったこと。低木林や草地だったところにスギ、ヒノキが植栽された。次は70年代前後、全国的に蔓延した松枯れ病で枯れた松のあとにスギ・ヒノキが植えられた。その頃はまだスギ・ヒノキを植えておけば将来金になると誰もが考えていたのである。2000年代に入ってから畑にスギ・ヒノキが植えられたのは(農場前のようなところ)全く別の理由で、土地の地目を畑から山林に替えたいからだろう。(地目が農地のままだと宅地として売りにくい)。また日常目にすることはないが、奥山地帯では「拡大造林政策」で広大に天然林が皆伐され、スギ、ヒノキが植栽されている。
 ま、こうした様々な理由で至るところに植えられたスギ・ヒノキが価格低迷や担い手不在などにより放置林として繁茂し、「負」動産化している訳である。いわば山の耕作放棄地だ。

 政策レベルの大きな話しはとりあえず置くとして、「開拓地」で直面している問題は3つある。ひとつは何度かの大雨で東側の山すその小さな谷が深くえぐられしまい、結果その上の山の斜面が一部すべり落ち(土砂崩れ)ヒノキが十数本倒れ込んでいる。何をするにせよ邪魔なので切らねばならない(が、危険作業となる)。針葉樹は根が浅いのでしばしばこういうことが起こる。二つ目は70年代の減反と同時にヒノキを植えた田が一部にあり、それが故にまわりの日照が広く遮られ(仮に開拓しても)使えなくしてしまっている。切るにしてもすでに40年以上になる木であり、数も多く大仕事となる。また現状では運び出しの道もない。(しかし皆伐し、材とすることができれば小さな住宅なら何棟か建てられそうではある)3つ目にはボクたちが道として、あるいは広場や小屋予定地として使わせてもらっている山の斜面の南側が約2反ヒノキ林(30年程度)となっており、それ故こちら側の土地の半分はまともに使えない。

 このように人里近くの針葉樹林は迷惑なものだが、もし自前の製材能力をもてるならば話は俄然違ってくる。ジャマだジャマだと思っていたものが資源になる(間伐材ならタダの)。 むろん現在の林業、製材、流通システムからすれば量的にも質的にも取るに足らないようなものではあるが、自前の製材能力は魅力である。(有機農業だって主流の流通からみれば取るに足らないようなものではないか?)それは経済の問題ではなく、主権の問題だ。

 林業や製材は長らく山主や森林組合、製材所等々の占有領域で素人(市民)は口も手も出せないと考えられてきた。しかしわずかな経験だが間伐材の利用という入口からのぞいてみると、必ずしもそうでもなく、そこにはオルタナティブな(市民的な)森林への関わり方や製材・木材の流通という可能性が開けてきているようなのだ。「きらめ樹」間伐の活動にそのようなことを教えられた。 S
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by kurashilabo | 2017-11-25 16:38 | 鈴木ふみきのコラム