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ふみきコラム20170923

 鳥獣による農業被害はむろん今に始まった訳ではない。綱吉治世、「生類憐み令」下の対応をみてみよう。政治権力がどう「生類」と向き合ったか、などということは普通記録には残らない。しかし綱吉の治世は「仁心」と「慈悲」をもって生類と関係するという精神を統治の基本政策としていたから多くの資料が残されている。あまりに生真面目で少々笑えるのだが。

 カラスやトビの被害は農業だけでなく、ゴミ荒らしなど都市問題でもあった。これには「巣払い」と「生け捕り」で対応したようである。「巣払い」も卵を産んでしまうと「殺生」に抵触するのでそれ以前に巣を払うことが命じられた。生け捕りのやり方もこと細かく決められていた。また捕まえた鳥のために、カラスには「ご飯に鰹節を混ぜて与えよ」、トビのエサのために「イワシやカタクチイワシ、コノシロなどを飼っておくこと」、病鳥は別扱いで「生類方」に引き渡すこと、等々、なかなか配慮が細かい。そして生け捕りしたカラスやトビは「江戸の富坂町にある鳥小屋」に集めて飼われたのち、一定数まとまると各地に放鳥された。伊豆大島など離島が多かった。一回に千羽近く、82回に及んだという。その際、人夫だけでなく「鳥医」もつけているところがすごい。大島にも人は住んでいたはずで迷惑この上ないが、「島流し」の地というような感覚だったのだろうか。

 イノシシやシカに対しては(当時はこの他にオオカミがあった)まず様々な方法で威嚇し、効果ない場合は「玉なし鉄砲(空砲)」を使って脅す、実弾発射は不可、というのが当初の予定であった。しかしすぐにこれでは防ぎきれないことが判明し、実弾を許可するようになる。しかしその場合も役所から「目付」を派遣し「誓詞」をさせたうえで実行された。誓詞の内容は鹿、猪、狼以外は殺生しないこと、殺生した場合はその場に埋めケガレを払うこと、食用にせぬこと等々であった。加えて、「いつも田畑を荒らしている獣類であっても、荒らしていない時は実弾を発射しないように配慮せよ」等なかなか厳しかったである。また、それらを逐一役所に届け出なければならなかった。「生類憐み」という原則と農業疫害対策という現実との妥協がそのラインだったのである。

 農業被害を防ぐために獣類を駆除するということについて今も昔も同じではないかということはできる。しかし人として正しい態度、正義が丁度逆になっていることに注意しなければならない。当時は害獣という言葉(概念)も駆除という言葉もなかった。本来は人としていけないことだけれども止むを得ず殺生するということであった。しかし今は「公儀」(権力)が駆除(殺すこと)を奨励し、「イノシシ一頭殺せば8千円」というご褒美(報奨金)を出すのである。殺すことが正しいとされている。明治の文明開化以来(近代化とともに)人々の意識は世代を経るごとに変わり、今では多くの人はそのことに何ら疑問を抱かない。たかが害獣問題と言ってはいけない。人が生類とどういう関係を結ぶのかということは社会の基本性格に関わってくる。それはめぐりめぐって我が身の問題となるはずだ。

 今日、「開拓地」の周辺を犬の散歩で歩いていたら、「狩猟」と書かれた禍々しい白い札が道路わきの小枝にぶら下がっていた。それも4カ所も。「くくりわな」が仕掛けてあるという表示だ。今は猟期ではないから「害獣駆除」ということなのだろう。「くくりわな」というのは何度も言うように昔のトラバサミのようにイノシシの足をワイヤーでとらえ、暴れれば暴れるほど締まるようになっている。悪意の塊のようなワナなのである。イノシシの処理施設には時々足の無いイノシシが持ち込まれるそうだ。ワナにかかったが自分の足を置いて逃げるイノシシが少なからずいるのである。そんなことを考えていて終日くらい気分になった。 S

by kurashilabo | 2017-09-23 15:47 | 鈴木ふみきのコラム