2017年 06月 25日
ふみきコラム20170624
ポスト3.11の社会で評価を高め、存在感を増し、前景化してきたものに自衛隊と天皇がある。自衛隊と天皇は戦後社会にあってずっとモヤモヤしていて必ずしもスッキリと市民権を得ていた訳ではない。正々堂々と表に出てきてもらっては困るというか、そういう空気の中にあった。
憲法世代として言えば9条を素直に読む限り自衛隊は憲法違反の疑いが常にあったし、反軍事的気分もあって認めたくないものだった。しかし本当に自衛隊に反対かというと(戦争経験をしていないということもあり)専守防衛で抑制的なものであるならば、と受入れていたような気もする。いずれにせよ徴兵制もないし自分にとって切迫した問題ではなかった。
天皇(制)も同じで、先の太平洋戦争は少なくとも形式的には天皇のことばで始まり、天皇のことばで終わっているのだし、兵士たちは皆、天皇の赤子として戦い、死んでいったのだから天皇に戦争責任が無いはずがない。しかし昭和天皇はそれを語らなかったし、むしろアメリカ(マッカーサー)にすり寄ることで「象徴」などというものに納まって生きのびた。マッカーサーはマッカーサーで米ソ対立の行方を見定めつつ日本統治の道具として利用するという戦略をとった。その不純な合作が戦後の象徴天皇制だ。しかしそうは言っても戦後世代としては天皇に生身の恨みがある訳ではなく、いつの間にかそんなものとして受け入れてきてしまったと思う。
自衛隊についても天皇に関しても本気で考え、クリアにAかBか判断することはせず、モヤモヤしたものとして棚上げしてきた気がする。社会全体としてもおそらく同じで、そこを突っ込めは社会に深い亀裂を生むことはわかっているので「大人の智恵」として(?)曖昧モコのまま据え置いてきたのではなかろうか。それは自民党が憲法改正を党是としながらも、また、これだけ長い期間政権与党の座にあったにも関わらず、本気では改憲を政治スケジュールに乗せなかったことによく表れている。国会で3分の2が無かったことにもよるが、それだけではないはずだ。
それが「戦後」だったとも言えるし、それでやってこれた社会情勢、国際情勢だったともいえる。今にして思えば稀有な時代ではあった。経済は常に右肩上がりで、社会はどんどん豊かになり、世界には「冷戦構造」という骨組みがあって、戦争は絶え間なくあったが、日本に直接弾は飛んでこなかった。アジアで唯一最も成功している国。
しかし今はそのどれもが無い。とりわけ東アジアの地勢学は中国の台頭によって根本的に変わった。国内的には震災を契機に社会の「空気」が変わり、そして「安倍」の登場で政治が変わりつつある。もはや自衛隊も天皇もモヤモヤとしたままでは済まされなくなった。AかBか判断を迫られている。
自衛隊について言えば言うまでもなく安倍がそれをテーマに改憲すると宣言したからだ。天皇については「退位」をめぐる動きがその実、天皇をこの社会の中でどう位置づけるのかという議論をはらんでいるからである。
これはひとつの政策の問題ではない。日本社会の深部に触れるテーマであり、右も左も関係なく入り乱れながら、これからの日本の基本性格を決めていく政治となるだろう。政治がこれほど身に迫ってきたことはかって無い。 S
by kurashilabo
| 2017-06-25 17:03
| 鈴木ふみきのコラム