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ふみきコラム~不便益追求型稲作の意義?

 開拓地の田んぼも次の土・日いよいよ田植えである。農場周辺の田はもうほとんど田植えは終わり、田植え時特有の喧噪も去り、早苗が風になびいている。そんな田を横目にみながら開拓地に向かうのだが、ついつい「開拓地の19枚の田を合わせてもこの一枚の田にもならないなぁ」などと自嘲してしまうこともしばしば。

「なんでこんなバカなことやってるんだろう、いいトシして」。

 むろんあえてする不便、非効率の稲作なのは分かっているし、とりわけ開拓地は「田を造成する」という日本史の根底にある経験の復習もしているから時間も手間もかかる。しかしそういう不便、非効率をなぜするかを人に説明しようとすると意外と難しい。「われわれのはアソビですから」と言ってもわかるのはわかっている人だけだ。近代農法の抱える諸問題の批判、そのアンチという説明はわかり易いがそれは表層的なことに留まる。

 17日の朝日新聞の「耕論」は「世の中、便利すぎ?」というタイトルで3人の識者の意見を載せていたが川上浩司氏(京都大学デザイン学ユニット特定教授…何コレ?)の見解が勉強になった。彼は不便がもたらす便益を「不便益」と名付けて研究しているそうで、「・・・考察から得た結論は『主体性が持てる』『工夫できる』『発見できる』『対象系を理解できる』『俺だけ感がある』『安心できる・信頼できる』『能力低下を防ぐ』『上達できる』不便益は、この八つのどれかに結びつく。手間がかかり頭を使うことから(たぶん身体も)、逆に多くのものを得られると言いたいのです」と述べている。

 もうこれで必要にして十分な気がする。ボクらはあえてする非効率な稲作で「作ることに主体性を取り戻し」「あれこれ工夫したり考えることで山、田、水、土、動植物という対象系をトータルに理解し」「頭と体を刺激して能力低下を防ぎ」「安心、安全の米と生活環境を作り」「俺という自尊を得る」ことができる。機械化一貫の、コックをひねれば水が出る広い圃場整備された田の稲作は、効率と引き替えにそれらすべてが希薄になっている。米作り工場だ。何の面白味も学びもない。(栃木の上野さんはそういう田をおもしろく使いこなしているところがすごい)

 効率一辺倒の普通の稲作と不便益追求型稲作は同じ稲作でも全然違う。その違いは見かけよりずっと深い文明史的なものだ。話を広げると自然農法とか有機農業は一般に不便益追求型農業で(効率一辺倒の有機農業もある)、いわゆる新規就農を希望する人の多くはこちら派だ。行政には新規就農者を新しい農業の担い手としてサポートすべきという意見が多いが、何か勘違いしている気がする。彼らは行政が期待するような農業の担い手にはならない。

 それはさておき、「耕論」にはもう一人の識者としてセブンイレブンジャパンの古谷一樹氏も登場し「私たちにはまだまだ提供すべきものがある。もっともっと便利に進化しなくてはなりません。」と言っていてこれも面白かった。そこで「あ、そうだったのか」と今更気づいたのはセブンが東京豊洲に1号店を開いたのが1974年だそうで、これは「たまごの会」がここに農場を開いたのと同じ年だ。その頃、今に続く新しい時代が始まっていたのであり、それぞれ別の立場とスタイルで時代と向き合ってきたのだろう。セブンはこれからの「超高齢化社会」に向けて「誰も買い物難民にならず、朝起きてから夜寝るまでに必要なものが近くの店で買える」という「今の社会の要請」に応えていくという。わが(不便益追求型)農場は今の時代のどんな要請に向き合っていこうとしているのか戦略的思考が欠如しているのではないか。

 セブンでは「いれたてコーヒー」の提供に5年かけたという。セブンではないがボクは毎日通り道にある「セイコーマート」で「いれたてコーヒー」一杯を飲み、それから「開拓地」という名の「不便益ワールド」に向かう。つらつら考えてみるに、これはかなり先端的なライフスタイルではなかろうか? それにコンビニコーヒーは(農場で自分がいれるコーヒーより)うまい。 S
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by kurashilabo | 2017-05-24 16:46 | 鈴木ふみきのコラム