2017年 03月 26日
ふみきコラム20170325
先日、先に開通した圏央道を「つくば牛久インター」から成田方面に行く機会があった。高架の道路からながめるその一帯の田畑や山(低地林)の荒廃が今更ながら印象深かった。かっては浅海だった広大な水田地帯以外はほとんど耕作放棄地だ。耕作放棄地が多いというよりもむしろ地域が全体として放棄地化し、虫喰い状に使われているところがあると言った方がいいくらいである。谷津田は草に埋もれ、低地林は倒木が多くツルがからみ、竹が野放図に勢力を拡大している。そして日本全国どこでも同じだが、そのようなエリアには(土地代が安いからだろう)太陽光パネルばかりが目につく。突然「アウトレット」などという異様な建築物が出現したりする。
だが、その荒廃を嘆くことはないだろう。それで誰かが困っている訳ではないのだから。放棄地は捨てられた農地ということだが、捨てるには捨てる理由があってのことだ。もう必要が無くなったのである。しかしわかってはいてもその光景は何か胸に迫るものがあり、物思いに誘われた。かっては(と言ってもほんの数十年前までは)そこを骨身を削って耕し、手入れしていた人たちがいたのであり、人々はそこから生み出される物(富)で生きのびてきた。彼らはどこに消えたのか。そのような生き方、人生モデルがかくもた易く忘れられていいものなのか。
例えば農家のジイさんが死ぬと、遠からぬうち納屋や蔵の大片付けが始まり、ジイさんが後生大事に溜め込んでいた古道具や農機具が粗大ごみとして捨てられる。あれやこれや、あれもこれも。農場にある唐箕(とうみ)や足踏み脱穀機、藁ない機、ハタ織り機、牛馬用スキ、穀物貯蔵缶etc.などはそのような折に持ち込まれた(拾った)ものだ。それらは土と共に生きた人たちの遺物だ。今では当の農家にとって何の役にもたたないガラクタにすぎない(農場ではしばしば活躍する)。だから死んだジイサンの人生と一緒に捨てられる。しかし本当にそれはもはや粗大ごみにすぎないのだろうか。洗濯機の新しい型が出たから古いのは捨てると同じだろうか。
文明史的にひとつの時代が終わったということはできるだろう。土地に依存して生きる農耕開始以来の長い時代が。都市と工業の時代になったのだと。荒れるにまかされ粗大ごみとなった土地はそのような時代の一つの極相を示しているのだと。それは歴史の必然力で後戻りはできないのだとも。
しかし本当にそうだろうか。むしろ現代はある種の熱病、あるいは強迫症に罹っているだけではないのか。そもそも都市文明はそれ自体で自足し完結できる文明ではない。人間は身体という自然を生きている以上、地上の生態系(外なる自然)内存在としてしか生きられない。だから死ぬのだ。(都市は原理的に死を受け入れない。)都市から人がボロボロとこぼれ落ちるのは生態系内存在としての人間と現代文明がもはや両立できない段階に入っていることの証左ではなかろうか。茫茫たる耕作放棄地はひとつの「問」のように現代人の前に拡がっている。 S