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ふみきコラム20170225

 昨日会員で地元在住のS氏がひと抱えのイノシシ肉を持ってきてくれた。彼は狩猟免許をもっていて、ハンター仲間が「くくりワナ」で捕まえたイノシシの解体を手伝い、返礼にいただいたのだそうだ。20kgくらいあるのではないか、大量である。「ウリボウではないが、1年未満の若いイノシシ」だという。農場は今、豚が少なく、出荷すると農場自給分が少ししか残らない。それでこれは嬉しいプレゼントである。野生獣特有の赤く、脂肪の少ない肉だ。試食してみると若いということもあるのだろうが、とても軟らかく、ケモノ臭さも無く大変おいしい。以前にも何度かいただいたが、どれも臭みもなく軟らかい。これには少々驚いている。

 「豚部は止めて狩猟部にしたらどうか」と本気で考えてみた。現在の肉の必要量は月に1頭か2頭、肉量で50kg程度であるからイノシシはやや小さいことを考慮しても月に2頭仕留めれば足りる。(ラードはごく少ないから小さくても肉はそれなりにとれるはず)これは全く可能である。日々のルーティンワークもなくなるし、エサ代、その他経費(年間35万円)もかからない、肉質も農場の黒豚に勝るとも劣らない。(但し野生獣は年によって脂のノリや味に波があるという)処理施設もあるし、いいことずくめではないか。

 猟期が11月から3月15日までというのがネックになるが、「害獣駆除の要請が出て一年中獲っているような状況」もあるという。狩猟免許も「ワナ猟」であればそれほど難しくはないようだ。(大きい声では言えないが農場スタッフのカワちゃんは罠猟免許を持っている。何のために取ったのかは知らない。ちなみに銃の方はとるのも難しいし、管理が大変厳しいようである。)
 イノシシや鹿がここ2~30年で急速に増えていることは先回触れたとおり。それは「狩猟で肉を得る」ことが現実的課題になったということでもある。趣味のキジ猟を別にすれば狩猟などひと昔前までは縄文時代の生業か、東北で「マタギ」と呼ばれるごく少ない伝統的猟師のものだった。それが普通の「里」でも可能になっている。仮にイノシシが現在100万頭位として、生態を上手にコントロールすれば毎年20万頭位は獲ってもいけるだろう。(豚は1千万頭くらい飼われているからそれに比べれば微々たる数だが)

 ここまでは理屈である。肉はありがたいしおいしいが、一方でボクはイノシシが憐れだなという気持ちを抱え込んでいる。ワナは卑怯ではないか。とりわけ「くくりワナ」はケモノ道に仕掛けるもので(昔のトラバサミのように)痛い。またそれで死ぬ訳ではないので、痛さと恐怖で暴れるイノシシを撲るか刺すかして殺すわけである。その恨みのこもった肉だと思うと喉の通りが悪くなる。では豚を屠場で殺すのはいいのかと問うと、これも本当は根深い疑問がある。しかしそれとはまた違う罪の意識のようなもの。

 数日前「開拓地」の近くで犬の散歩をしていたら山際の道のわきの木の枝先に白い札のようなものがぶら下がっているのに気付いた。木の名前でも書いてあるのかと手に取ると「狩猟〇〇〇〇(人名と住所)、番号」などが記されていた。そうかここに罠が仕掛けてあるということか、とイヤな気分になった。(S氏に確かめるとやはりそうだった)こんな近くにあったのか、と正直胸をなで下ろした。少し前まで開拓地では「シロ」を自由に遊ばせていたのである。姿が見えなくなると交通事故もさることながらワナにかかったらどうしようと常に不安だったのだ。開拓している畑の片隅にワナ用と思われる張られたワイヤーが残っていたこともある(使われていないようだった)。
 かように狩猟については「やれるし、おもしろいし、やったらいい」という合理的な意見と「いやだな、オレはやりたくない」というより身体的な気分が水と油のようにボクの中にはある。S氏には申し訳ないが、「開拓地では狩猟はやらない、専守防衛でいく」と公言している。トシをとってただ単に殺生がいやになっているだけかもしれないが。 S
by kurashilabo | 2017-02-26 15:12 | 鈴木ふみきのコラム