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開拓日記 2016年4月2日

 「開拓地」の魅力は何といってもそこが「耕作放棄地」だということである。谷津田は湿地だし、米を作らないとすれば他に使い道が無い。宅地にも別荘地にもならない。そして人が入らなくなり、20年、30年、40年と経てばアシやシノ竹が密生し、道は崩れ、原野以上に原野となる。持ち主もそこを耕作した世代は世を去り、子の代孫の代になるとその土地の記憶も薄れ、境界はむろんのこと、そこに「ウチの田がある」ことすら忘れられていることもある。一筆借りているジイさんが言ったものだ「オレが死んだらあそこのことを知っているのはもう誰もおらん」と。気にかける人もなく長らく放棄された谷津田はこの世から消えつつある土地なのである。
むろん耕作放棄地といえども法的所有者はいる。しかし原理的に言えば私的所有が意味を持つのはそれに使用価値があるからで、使用価値がゼロなら所有に意味はなく時間とともに私有意識は薄れていく。そこを耕作していた世代ならば愛着もあるが、子や孫になればそれも無い。

 このようにしてそこに「無主の地」が生れる。私的所有で固められ、他者を拒むばかりの地上でそこだけはとても自由な風が吹いている。遠い昔、無主の地である「河原」には世間からあぶれた者たちが住み着き、「河原者」と呼ばれた。そこから今日につながる多くの芸能が生れたといわれている。開拓地の自由な気分はどこかそういうものに通じている。

 耕作放棄地と似たことばに遊休農地というのがある。しかし遊休農地は「今は耕作を休んでいるがこの先使うかも知れず、農地として保全すべき土地」で耕作放棄地(もはや農地としては使う予定のない土地)とは違う。農場で通常借地するのは遊休農地で、トラクターを入れればすぐ使えるようなところが多い。楽ではあるがあくまで「農地」であるし、所有者やまわりの目もありあまりバカなことはできない。どこからどこまでを遊休農地としてみるかはむずかしい。管理のためトラクターだけ入れているようなところもあれば栗や麦が植えてあっても経営目的はなく荒らさないためだけというのも多い。他方、管理している人が亡くなり、跡取りもいないと必然的に耕作放棄地化していく。畜産関係やイチゴや花などの施設栽培を別とすれば当地方の畑はそのいずれかであり、大半は遊休農地化している。今の高齢世代が世を去ればその多くが耕作放棄地化していくことになる。そして20年あるいは30年のうちにこちらの谷、あちらの丘と無主の地は増殖し、新たな開拓者を待つことになるだろう。(いや、もうすでに)

 耕作放棄地の再生など本当はあまりホメられた話ではない。必要ないから放棄地化していくのであり、それで誰かが困っているわけではない。米など作っても米余りの時代に余計なことしないでくれと言われかねない。寝た子を起す、いや安楽死しつつある者を生き返らせて何になる。自然に帰す、山に帰っていく、それでいいではないか。いや、全くその通り。だがそういうことではないのだ開拓は。耕作放棄地は農地が農地としての桎梏から解放されてただの土地、誰のものでもない地面として私たちの前にマスとして出現し始めている、そういう現象として見るべきなのだ。そこで私たちは「人と自然」という現代の根本問題を体を使って考え、生きることが出来る。自由の大地、フロンティアなのである。

(念のため言い添えると「無主の地」と言ったところでそれは原論で、むろん法的所有者はいる。私たちの開拓も敬意を持って彼らから借地し、必要な手続きと必要な地代を支払い、その了解を得つつ進めている。ご心配なく。)  S
by kurashilabo | 2016-04-03 10:18 | 鈴木ふみきのコラム