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開拓日記 2016年3月12日

 先週の週報でかおりさんが「開拓は自然破壊だ、アマゾンの開発とどこが違うのか」というような誹謗中傷を書いていたので少し考えてみた。
(※編集注:誹謗中傷という言葉遣いは鈴木節なので、カオリさん本人は気にしてません。)

 農業が壮大な自然破壊だということは今更言うまでもない。私たちが日頃見慣れている田も畑も集落も、川や山も田舎の風景はすべて自然破壊のあとに作られたものだ。川を例にとれば山あいの峡谷を別として、田の広がっている平場の川はすべて元々の川ではなく農業用水化されている。平野部では川は乱流するので、その流路を定め、掘り込み、土手を築き、ダム(落差)を作って支流に流し、それぞれの田に配水できるようにする。農場の前の小倉川も恋瀬川も利根川もそうである。その時その場の権力が多大な金と労力と技術を投下して治水(自然破壊)し、はじめて田を作ることができる。集落もそのあとに人為的に作られる。徳川権力による関東平野の治水と新田開発はとりわけ有名だ。もともと江戸湾に流れ込んでいた利根川を現在のように銚子の方に付替えるなどして今日見る関東平野の広大な農業地帯は出現したのである。 

 それだけ大きな自然破壊であるのに私たちは普通それに怒ったりはしない。(普通でない人は当然いると思う)むしろ田舎の風景に自然を読み取ってしまう。その理由を考えてみると、まずひとつには農業もまた自然だからである。作物が育つのも動物が育つのも要は自然の営みで、人はそこに(より増殖性を高めるために)操作的に介入はするけれども結局のところ自然の力に依存するしかない。農業はいわば自然の“まねっこ”にすぎない。そういう意味では農業による自然破壊は破壊というより「改造」と言った方がいいかもしれない。そのうえに農業的自然を出現させるための。そこが都市的あるいは産業的破壊と本質的に違うところだ。都市や工業では自然は完全に排除されなければならない。

 いまひとつは農業的破壊は自然性の完全な排除ではなく改造であるが故に自然の自己復元力が常に働いているということである。人が「管理」の手を引けばたちまちにして自然に還っていく。それは耕作放棄して30年の「開拓地」をみればわかるだろう。また除草等、農作業の多くは自然の自己復元力を押し戻し、そこを「人間の」土地としておくためのものという言い方もできる。農業は人為と自然の自己復元力とのバランスで成り立っている。(世界的にはこの復元力が弱く農耕に適さない場所も多い。)

 そして合理的にデザインされた農業圏は自然植生より生物多様性に富み、奥行きのある自然であることができる。原生的自然は安定しているがそれがその土地のもつ潜在力の全てではない。例えば当地は元々の自然植生は照葉樹林地帯だが照葉樹林というのは中は暗く、生物相もさして豊かとはいえない。また湿地帯は(開拓地のように)アシの群落となるのが普通だ。そのような場所を切り拓き、畑を作って多様な作物を育て水路を開いて田を造れば、それは原生的自然ではないが「よりよい自然」といえるかもしれない。人間的自然であるにしても。(現代では人間の破壊力が格段に大きくなったので原生的自然の「保全」は必要だが原生的自然は価値で農業的自然はバツだというのはひとつの偏見だ。農業的自然の貧困化こそ問うべきだろう。)
また農業にあってはそこに人の「暮らし」が築かれているということも重要だ。伝統社会では暮らしは田畑だけでなく、山や川にも深く依存していた。それゆえ、その自然が貧困になれば人の暮らしも貧困化する道理なので、人々はそこをより快適で持続性の高い場にするための努力を続けてきた。農業的自然はその核に日々の人の営みがあって成り立っている。

 このようにして(図式的にいえば)集落を中心としてそのまわりに田畑や用水路など「人為」の強く働くエリアがあり、その周りに里山という元々自然と人の農林業的介入の拮抗するエリアができる。(その外側は奥山という里人にとってはもはや他界、マタギや修験者など身を潔斎した人たちだけが立ち入ることができるエリアとなる。) 歴史を重ねてそれは「風土」という人間を含めた2次的生態系となって安定する。弥生の農業革命以来、人々はこの2次的生態系を日々の自然として生き死にし、その中に幸福も不幸も築いてきた。それが農業社会の基本的構造だ。原生的な「自然」という概念は近代になってもたらされたものであるし、「自然破壊」という概念などはたかだが50年ほど前から使われだしたにすぎない。そのような概念を使って農業を語ることはできない。(ちょっと変てこな文ですが続く) S 
by kurashilabo | 2016-03-12 14:27 | 鈴木ふみきのコラム