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開拓日記 2016年2月27日

 例の「開拓地」は30年前までは(一部は40年前)小さな田が階段状に続く典型的な谷津田だった。昔の航空写真をながめているだけでも何か懐かしい気持ちになる。田は今もどこにでもあるが、よく整備された広い田が延々と続く風景には何の情感も催さないから不思議だ。今の日本の米はすべてそうした田で作られているというのに。また「棚田百選」などと持ち上げられて、美しい棚田はしばしば写真の被写体となったりする。保存運動も盛んだ。(ちなみに谷津田が谷筋に拓かれた田であるのに対して棚田は山のゆるやかな中腹に階段状に造成された田のことをいう。そのため用水の確保とあいまって大工事が必要となる。時代的には江戸時代以降のものが多い。)

 その理由を「すでに失われたもの」「子ども時代に親しんだ風景」「手仕事の美しさ」などと考えてきたがそれだけでは言い足りない気がする。多くの人がそこに「原風景」を感じとるのはそれがひとつの「解」としてそこにあるからではないか。列島の自然とそこに生きる人間との最も合理的な解。「昭和30年代までは」どこにでもあったが、今ではあえて保存したり、「発掘再生」しなければならない解。自然と人がせめぎ合いつつ協調してきた場所。日本史のひとつの達成。また過剰さを抱え込んだ人間と自然との関係についての解。人間は自然(動物)でありつつ自然ではない過剰を生きている。その過剰をどこにソフトランディングさえるのか。その根源的な問いに対するひとつの解。アートとしての農。

 農業はその昔から「食うために」営まれてきたというのは間違いないだろう。自給的にとか、社会的分業としてかはともかく。しかし同時に農業は過剰を生きる人間の、自然との「戯れ」でもあった。農業のおもしろいところはそこだ。ところが近代になって「生産」とか「労働」といった概念を手に入れた私たちは農業を食糧生産という概念に落とし込んでしまった。そして農業は産業のひとつの分野になった。一次産業である。本質としてたわむれであり、アートであったことはすっかり見失われてしまった。生産性と利潤だけを病的に追い求める近代農業はその延長であり、極北である。良く整備された広大な田に惹かれるものが何も無いのはそこがただの生産手段としての圃場にすぎないからだ。

 蛇足だが、何の前提もなく「農業はアソビだ」とか「戯れだ」とか口走って誤解されることがたまにある。それは余暇としてやっているということでも、生活がかかっていないという意味でもなく、農業は自然から自らを切り離した「人間」が(ヒトは自然から自らを疎外させることで人間となった)再び自然を取り戻そうとする欲望をベースにしている(と思う)。 人間的自然として。そういう意味で自然との戯れともいえるし、あそび(アート)であるとも言える。そんなところだ。ボクの理解では余剰とか生産とかはあとから「発見」されるのである。

 開拓地に話しを戻せば今のところその階段状の田を復元しようとしている訳ではない。そもそも全部で百数十枚の田があり(昔の航空写真で数えてみた。現在借りているのはその一部、25枚くらい)それを復元し維持するのは容易なことではないし、さして意味があるとも思えない。むしろそれをベースに私たちなりの「農」をデザインしていくことになるだろう。「懐かしい未来」の風景として。最終的にそれを「アート」たらしめることができるのかどうか、道は遠いのである。 S 
by kurashilabo | 2016-02-27 15:19 | 鈴木ふみきのコラム