2016年 02月 20日
やつだ開拓団 第二期団員募集 -美しい谷津田の風景を復活させよう-

そこは30年以上、米作りがされていなかった土地。
草が茂り、根が蔓延り、土手が崩れ、水路がどこかも分からない。
そんな耕作放棄地で米作りを復活させたい。
そこは見渡す限り人工物が見えない山の裾野。
沢水が流れ、梅の花が咲き、鳥の声が響き、満天の星が望める場所。
そんな耕作放棄地を美しい谷津田に復活させる。
昨年から耕作放棄地の開拓に取り組み、本格的に米作りにチャレンジできるところまできました。
猪対策や田植えの方法など課題はありますが、一つ一つ乗り越えて、一面に広がる谷津田の風景を復活させたいと思います。
お米の栽培に興味がある人、普通のお米作りでは満足できなくなってしまった人、お米栽培のための土地を開墾するところから興味がある人、耕作放棄地に興味がある人、ぜひ「やつだ開拓団」にご参加ください。
*谷津田とは、山の裾野の谷になった場所に段々状に広がる田んぼのことで、山の中腹の傾斜地に切り開かれた棚田とは異なります。
<募集要項>
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【団費】5,000円
*お米が無事に収穫できれば一人10kg以内で分けてお持ち帰りいただけます。
*団員でなくても作業に参加可能です。(企画費が別途かかります)
【第二期の活動予定】
①2月27-28日・・・田んぼの準備(畦や水路の手直し)
②4月9-10日・・・種まき(現地で苗代を作ります)
③5月28-29日・・・田植え
④6月25-26日・・・除草
⑤7月23-24日・・・畦の草刈り
*⑥8月27-28日は日程を変更し、9月10-11日に行います。(6/13追記)
*⑦10月22-23日の稲刈りは、天候不順の場合は、翌週10月29-30日に変更します。
*10/22-23の稲刈りは10/29-30に変更になりました。(9/14追記)
*内容は状況によって変わることもあります。
*第三期は冬から小屋作りを始める予定です。
【農場利用料】
1日1,500円+食事500円/1回
*団費とは別に農場の利用料をいただきます。
*団員でない方はイベント経費として+1,000円/1日をいただきます
【開拓地面積】
約4反(40アール/1,200坪程度)
*開拓団では、私たちが開拓活動をしている耕作放棄地のことを"開拓地"と呼んでいます。"耕作放棄地"という場合は、開拓地以外の一般的な耕作放棄地を指しています。
【申込方法】
以下のバナーをクリックすると申し込みフォームのページにとびます。
必要事項を入力して、送信してください。

フォームでの投稿ができない場合は、
kurashilabo@gmail.com までお問合せください。
<第一期の活動の様子>
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2月の下見 この時はまだこの場がどうなるのか全く想像がつかなかった。

草が人の背よりも高い草を駆り払っていきます。アシやカヤ、ガマ、ノバラ、その他の雑草

刈り集めた草を燃します。

「この奥から沢の流れる音が聞こえるよ☆」なんて、この時はまだこの竹を全部刈ることになるとは思っていなかった。

どこからともなく沸いてくる地水で地面がぬかるむために簡易で溝を掘って水を逃がします。

地主Aさんと地主Bさんの境界線がどこにあるのか、地籍図を見ながら手探りで照合し、地主さんの了解を経て本格的に水路を掘ります。

掘りあげた砂利で人が歩く用の道を作ります。

田んぼにするために畦を作ります。家族連れで小さい子達も一生懸命協力してくれました。

4月に入って、種籾を播きました。田植えできるか分からなくても一応種は播きます。場所は農場近く。

田んぼに水を入れるために、沢の上流で取水のための土木工事を人力でやります。

ここから開拓地まで300m。水路まで水が到達した時は感動しました。

沢の水は開拓地よりも低いため、上流から水をひっぱってこないといけない。その説明図。

水が入ってようやく、田植えが本当にできそうな気がしてきました。田植えに向けて耕しています。

ついに田植えしました!ここは水が入っていますが、水のない田にも植えました。

8月 暑い夏は沢に入って涼みながら沢の整備を行いました。竹や木の枝が絡まって汚れていた沢がきれいになりました。

沢に入らずに開拓地に到達するために竹を切って橋を渡しました。アスレチックです。

9月にはテントを張り、焚き火をし、野営しました。

田んぼに水が入り、稲は順調に育ちました。

その後、穂をつけるところまで育ちました。

しかし昨年の夏は曇りが続き、電柵のバッテリーがなくなった隙に猪が一斉に田を荒らしました。。今年こそは・・・!

開拓団のメンバー


開拓地の航空写真 75年頃と07年 黒で囲っているところが現在の開拓地。当時は周辺も全て田んぼとして利用されていたことが伺えます。


地籍図。開拓地周辺は圃場整備されていないため、道や沢が入り組んでかなり読み取りづらい状態になっています。この地図を元に現場散策を繰り返し、実際の図に落とし込んでいきました。その上で「今年はどこまで開拓しよう、来年はここを借りよう」などと妄想を広げていきました。

<開拓団が目指す将来のビジョン>
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やさとは筑波山系に囲まれた自然豊かな地域です。しかし目を凝らしてみると、耕作放棄地は増え、果樹園は後継者不足で木が伐られ、子どもも減っています。土地を開拓し利用する事で、小さくても、そこに人の営みが生まれ、賑わいが戻ってきます。そして、地域の自然を復活させ、活用し、守ることで豊かな風景が帰ってきます。里山を再生することで人が喜んでくれる事は私たちにとっても大きな喜びです。
もう一つ大事なことは、開拓は開拓する私たち自身が一番楽しい、という事です。田畑はもともと森林や湿地、草原だった場所を人が手を入れて作物を育てられるようにした場所です。ある意味では自然破壊ともいえますが、そのことによって生息できる新たな動植物もいます。しかし人が手を入れなくなると、そこはまた元の自然に戻っていきます。そうなると藪になり、猪が住みつき、荒れていきます。耕作放棄地は、人と自然が最もせめぎあっている場所、ともいえます。そのような場所を開拓するというのは、人類が長年かけて行ってきた歴史を追体験することだといえます。そしてその上で、その地形を読み解き、どうやれば自分たちに有益な場所を作り出せるかを考えるのは、実にエキサイティングなことです。そんな風に、実際に自分の体で作り上げる喜びは言葉では表せないものがあります。
食べものを自給し、エネルギーを自給し、子どもにも大人にも教育効果があり、いざとなればそこで暮らすこともできる。そのような場所を自分達の手で作り出し、持つ事は、これからの人生に大きな安心と充実を与え、かけがえのない財産になるはずです。
私たちは、この開拓地に現代の桃源郷を出現させます。
一面の棚田、梅や銀杏など四季折々の花々、みかんやオリーブなどの果樹、ふきやワラビなどの山菜、ワサビやクレソンなどの水耕植物、整備された竹林、沢を登る遊歩道、池、レストハウス、そこから山に入り狩猟。
迷い込めば、そこに現代社会とは異なる世界が現れ、人々はそこでは争わず、助け合い、食には困らず、日々良く働き、またのんびり読書をし、誰しもが豊かに暮らす場所。
そんな場所をここに作りたいと思っています。
<開拓地の場所について>
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舞台となるのは石岡市十三塚。筑波山に登る傾斜にあたる地域で、そこに独特の温帯が発生することから、みかんの栽培が可能になり、更に、りんご、葡萄、柿、栗、梨も加えて市内の果物スポットになっています。
十三塚という地名の由来は、12匹の猫が1匹の大ねずみを命と引き換えに退治して、そのお墓が13つ並んだ事から付けられた、というこの地区の民話からきています。
開拓地は、この山間の谷になった場所にあります。ここは、30年前まで稲作が行われていた場所です。「筑波山の水をひいた田んぼだから、お米がとても美味しかった」と地主さんのおばあちゃんは話してくださいました。しかし山間の谷津田は耕作しにくく、やがて作付けされなくなっていきました。「またお米が取れたらぜひ食べさせてほしい」とお願いされています。