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16/2/13(土)の農場週報

 16年度の総会において、「週報をもっと気軽に読めたりコメントできるようにしてほしい」との意見があり、ブログおよびfacebookにアップすることにしました。プッシュ型としてメルマガ案も出たのですが色々あると面倒なので続けられる範囲に絞りました。毎週更新していく予定ですので、関心がある方はぜひ読みにきてください。
 内容は週報の転載になりますが、「週報向け(会員向け)に書いたのでウェブには載せたくない」という申し出があった記事については不掲載とし、その旨はお知らせしません。形式は、「■スタッフ名、本文」、「○ゲスト名、本文」、「●きっちんから(人物名)」とします。週報紙面上で任意で用いられる写真については面倒なので掲載しません。
 ブログ及びfacebookでコメントをいただいた場合は本人に伝えますが、返信できるかは保証の限りではありませんので、ご了承ください。また、特定の記事へコメントいただく場合は、それが分かるようにご記入ください。
 それではどうぞお楽しみください(いば)


■ふみきコラム
 今や思想界の灯台のような存在である内田樹氏が教育の本義について次のように言っている。「教育の受益者は子どもたち自身であることを当然のように人々は話している(いい学校に行き、いい職業と高収入を得、いい配偶者と出会い…)」しかしそれは違うのではないか。「(その)集団を支えるだけの見識と能力を備えた“頼りになる次世代”を安定的に確保することが教育の目的」で受益者は「子どもたちを含む共同体全体」だ。「一定数の“頼りになる大人”が安定的に供給されなければその集団は滅びてしまうのだから」と。ウーム、確かに。
 ボクは教育を受けて自己利益の増大もできなかったし、頼りになる次世代にもなれなかったが、それはともかく、全く同じことが農業についても言えるのではないかと思ったのである。「農地の公共性」について考察した折にも触れたので繰り返しになるが少し考えてみたい。
 今日、多くの人は農地は農家のものであり、そこで何を作りどこに売ろうと自由で、農家が自己利益の最大化をはかっていくことは当然だと考えている。当然というよりむしろ今日の政治経済はそれを奨励さえしている。有機農業者を含め、そのことに疑念をはさむ人はほとんどいない。売れ筋の作物を上手に作り、上手に売ってより稼ぐのが有能な農業者ということになっている。しかしそれは違うのではないか、少なくともその論理だけで農業を語ることはできない。
 農業は長らく「この列島で暮らす人々が安心して食える(飢えない)」「子の代、孫の代になっても食える」ために全体にとってなくてはならない営みで、農家はまずもってそのような“公共性”を担っていると意識されてきた。それ故にこそ人々の農家に対する敬意も生まれたし、農家の百姓としてのプライドの根拠もそこにあったと思う。であるからこそ農地も“公共財”として公共的に(国、自治体、ムラ共同体)管理されてきて、そのことに誰も疑問をはさまなかった。農地が単に農家が私的所有する生産手段にすぎないのであれば(アメリカなどではそのようだけれど)その整備事業に税金を投入することなどあり得ない。
 先の戦争中にでき、つい先日まで生きていた食糧管理制度(食管制度)も「供出させられた」などとその強制性に評判は悪いが、それが長く機能し広く受け入れられてきたのも食糧(この場合は米麦)は全体益に関わるものという暗黙の了解が農家にも国民にもあったからだ。もう少し時代を遡って江戸時代についていえば「7公3民」とか「5公5民」とか、ひどい年貢で百姓は苦しめられたという物語は今も広く流布している。しかしこれも「本来生産物は生産者のものであるのに税としてこんなにも搾取されている」という近代の価値観を投影するからそうなるので、田も米も本来「公」のものという意識があったからそれも受入られていたのではなかろうか。(むろん年貢を減らすよう嘆願や一揆はあったが、全体としては受け入れられていた。もっとも年貢率というのは表向きのもので、実際はそれほど高率ではなく江戸後半期には実質的には2割前後程度だったようである。)
 このような農業観を根本的に覆したのは明治の地租改正である。地租改正は農地の一筆ごとに地券を発行して所有者を明確し農地の私的所有を国家として認めた。それ以上に重要なのは農業の「公共性」の端的な表現であり、百姓のプライドの拠り所でもあったはずの「年貢」をなくし、税としての金納にしたことである。そのことで米は市場で扱われる商品作物にすぎないものとなった。そこから近代の地主小作問題や大正の米騒動などへは一直線である。
 むろん米やその他農産物を統制せよと言うつもりもないし、車や工業製品を売るために農産物を輸入するのも、「米が余っているのに輸入する」というバカげたこともある程度やむを得ないかもしれない。しかしだからといって新自由主義的な市場経済の論理一本槍で農業を再編しようというのは間違っている。農業というのは「その集団、この列島に住む全員が子の代、孫の代まで安心して食っていけるという共同体全体の利益にかかわるもの」であり、それ故に「全体で農地という公共財を維持し農家を支える」というのが本義であると思う。(逆に自己利益の最大化にしか関心のない農家を支えようとは誰も思わない。現状はそれがほとんどだが。)
 「競争原理の導入」とか「強い農業」とか「6次化」とか「自給率何パーセント」とかあれやこれやの浮ついた言論が飛び交っているが、農業はどこまでいっても農業なのである。そうでなければ困る。


■かわ
 農場のお正月の恒例行事、1年の目標を書く『書初め』。私が書いたのは、4枚。そのうちの1枚は、『醤油』!醤油を作ってみようともくろんでいるのです。去年も思っていたのですが、いつ仕込むのかとかよくわからないまま、適期がすぎてしまいました。今年は近所の農家さんで醤油先生を見つけ、その方が仕込むときに声をかけてもらい勉強&実践するという予定になっています。今年こそは!!そんな思いで麹の種菌を買い、醤油作りに向けて麹と仲良くなる練習をせねばと思っていた今日このごろ。
 手作り醤油ができました。私はまだ何もしていないのですが。キッチンに置いてある味噌をきらしてしまい、大樽から2年物の味噌を取り出そうとすると、表面にタプタプとたまっている黒々した液体が。もしやこれはたまり醤油!舐めてみると、美味しい。大事にボウルにとり、その後、漉すとたまり醤油のできあがり!さっそく食事当番のハディさんが夕食のメニューを贅沢にも刺身にしてくれ、たまり醤油を堪能しました。
 西日本出身の私にとって、刺身といえばたまり醤油!東京に来た当初は普通の醤油で刺身を食べることにびっくりしたものです。
よくばってうっかり醤油をつけすぎるとかすかに味噌の風味がしますが、たまり醤油で食べるお刺身はとても美味しい!そして自給醤油だと思うと、それだけで嬉しい。刺身以外にも、いろいろ使ってみようと思います!


■かおり
 年に一度の農場の総会がありました。私は見学でしたが、皆で運営方法や農場の未来についてわいわいガヤガヤしているのを見て「一緒に考える仲間がいるっていいなあ」としみじみ思いました。個人経営だとまた全然違った感じなんだろうなあ。また、メンバー全員が運営者であると同時に消費者であることも、視点がどちらかに偏らず客観的で多様な意見が出てくるので、大きなメリットだと感じました。
 個人的に嬉しかったのは、総会後の懇親会で、野菜セットを取ってくれているシェアハウスに行けたこと。いつも野菜の収穫や袋詰めをしながら「この野菜を食べるのはどういう人たちなんだろう。どんな場所でどんな暮らしをしているんだろう」と考えては勝手に想像してみたりしているのです。そういえば収穫祭の時にたまごの会からの会員さんとお話しできたのも、嬉しかったなあ。今回は住人の人たちにはほとんど会えませんでしたが、なんだか楽しそうな住まいで、台所に農場の野菜が置いてあるのを見てまたちょっと嬉しくなったりして。またこういう機会があるといいなと思います。


○ちひろ
 舟田家では、基本的にはレギュラーセットと同じ内容で1週間の食事をやりくりしています。
 この時期、カブ好きな私としてはまずカ ブに手が伸びてしまうのですが、その一方で常に後回しにしがちな野菜も。私にとってはその代表格が芋類です。保存も効くので後で・・・と 思っているうちに3週間分くらいたまってしまい、さてどうするか?となることもしばしば。
 昨日、思い 立ってたまっていた里芋で芋餅を作ってみました。里芋を柔らかくなるまで蒸し(茹でたりレンジでチンでもOK)、潰して片栗粉を加え、ちょっと多めの油で両面をこんがり焼きます。焼きたてはカリッともちもち。冷めても里芋独自のしっとり感が際立ってなかなか。昨日はみたらしと小豆でデザートっぽく食べましたが、きのこ餡などと 合わせれば立派なおかずにもなりそうだし、甘辛ダレに絡めてお弁当にもよいかも。おやつにはシンプルに塩や醤油でいただくのも美味しそう。主人からは「可能性を秘めている!」との評。
 作り方は簡単だし、アレンジが効くので、まとめて作っておいて冷凍保存しておくのもよいかもしれませんね。
 あっ!ちょうど里芋の追加注文受付中ですよ~!


●キッチンから(HADDY)
母方祖母方が代々尾張生まれ尾張育ちの身としては、尾張の味を受け継いで伝えていきたいとときどき思います。今週は味噌カツ(もどき)、煮なます(もどき)を作ってみました。・・・納得いかない出来でした。祖母がよくやっていた調理法で、料理名は覚えていないのですが、出汁をひく昆布や鰹節をそのままぶっこんで食材と一緒に炊くというものがありました。あらかじめ出汁をひく手間を省いた、京都方面の「当座煮」と同じようなものだと思います。今の季節なら、乱切りした里芋と人参、昆布、鰹節、砂糖、酒、みりん、醤油に水ひたひたを入れて火にかけてあくを取り、あとはストーブにかけておけば手軽に温かい煮物ができあがります。大根やじゃがいもでもできます。手早く簡単に、おいしく 。郷土料理の知恵は地味ですが実用的です。要は手抜きです(こういうと厳しい方面からクレームが来そうだ)。
by kurashilabo | 2016-02-17 08:39 | 鈴木ふみきのコラム