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ふみきコラム ~昭和30年代の暮らし②

 「暮らしの原型」と言ったけれども、ではもし昭和30年代的な農業や暮らしを復元的に実践したならば、私たちは再び自然との親和的な関係を取り戻すことができるのだろうか?。そこには沢山の発見や癒しはあるだろう。それは間違いない。しかしそこに出現する「縁側、あるいは庭的空間」がかってのように人と自然の共生装置として機能すると期待するのはあまりにナイーブすぎるだろう。なぜならそれが活き活きと動き出すためには暦や神話と祭、年中行事、様々なレベルでの共同体、そうしたソフトが不可欠だからだ。しかし残念ながら失われたコスモロジーは個人の努力ではいかんともし難い。もうそれは民俗学と昔話しの世界となった。私たちの見るニワトリも稲も筑波山も昔の人の見ていたそれではない。現代は動物も植物も自然も生も死も限りなく散文化してしまった。私たちはそういう世界の住人だ。再び内山節にならえば1965年を最後に日本から伝統的コスモロジーは失われたのである。

 世界記憶遺産に登録された日本人に山本作兵衛という人がいる。筑豊の炭鉱で働いていた大正時代の人だが当時の庶民生活を独特の絵と言葉で残している。どの絵も興味深いが、その中に服を着た沢山のキツネの男女が怪我をして包帯で巻かれた男のまわりに集まっている絵がある。彼の少年時代のこととして炭鉱でケガをした人の家にこのように医者のなりをしたキツネたちがやってきて、好物である「焼けた皮」を食べてしまったというのである。彼はそこに「これは本当のことだから仕方がない」と注釈までつけているのである。彼は見たことしか書いていないから、これは想像でも戯画でもない。これが彼にとって事実であったのだ。ボクはツマラナイ人間だからUFOなど信じないが、このキツネのニセ治療はもっと信じ難い。イスラム国の世界観は僕からははるか遠いが、山本氏のコスモロジーはそれよりもっと遠いかもしれないと。キツネが服を着てそんなことをしていたとは!その山本氏はボクの親より少しだけ昔の人にすぎない。短い間に世界はそれ程変わったのだ。

 ならば「昭和30年代的」な暮らしの復元にどのような意味があるというのだろうか。先日、このコラムにコメントして会員の井野氏が30年位前の「未来社会と材料工学を考える」という座談会の記録の一部を送ってくれた。材料工学研究仲間の座談会で、あまり一般向けではないがその中で井野氏は次のように言っている(要旨)。「現代の工業社会の問題は1960年をターニングポイントとしてエネルギーや資源の多消費型の近代化の方向に進んだからで、その時環境と調和したゆるやかな発展や農業を壊さないような発展の方向をとっていれば今とは違っていたはず」「1950年代を今後の生産・生活スタイルの一つの目標とすべき」「一次産業にもっと人口が投入されるべきでエネルギー資源を少なく使う代わりにもっと人間の労働を使うべき。技術集約型の生産ではなく労働集約型の生産が必要だし、経済価値だけを判断基準にするのではなく、人間生活にとってどういうものが一番いいのか、そういうことも含めて労働や生産を考えたい」等々。こうした発言に対して「井野先生がおっしゃったことは、毛沢東がやろうとして失敗したことだと思うのです。」といった突っ込みもあって、それも確かにと思わないでもないけれど。

 しかし昭和30年代を目指すべき理想としてイデオロギーにしてしまうと毛沢東になってしまうけれども、井野氏の言っていることはそういうことではなく、昭和30年代以後の発展の在り方として、今と違う道も有りえたのではないか、ということだと思う。私たちは戦後はこういう道しか無かったと思っているし、近代もこういう形しか知らない。だがありえたかもしれないもう一つの戦後、オルタナティブな近代というものを「昭和30年代」を回顧する形で想像することはできるだろう。現代がどこか行き詰ってしまい先が見えないならば尚更それは必要な思考であるのではないか。

 田園回帰派の言っていることはほとんど「昭和30年代的」ということばで包括できてしまうが、彼らの実践も田園回帰などというものではなく、ありえたかもしれないもう一つの戦後、オルタナティブな近代の生き直しという思想運動としてみた方がいいのかもしれない。 S
by kurashilabo | 2015-12-19 18:23 | 鈴木ふみきのコラム