2015年 11月 21日
ふみきコラム ~「田園回帰1%戦略」
行政が空家を整備して貸出してくれたり、仕事や(就農の場合は)出荷先を手当してくれたりすれば、それを呼び水として移住を決意する人はいるだろう。潜在的には田舎志向の人は多いから。補助金農政のようだがそれはおくとして。しかし来るかどうかわからないよそ者をアテにしてそんな数合わせのようなことをして何か意味があるのだろうか、そもそも。地方再生と言うのであれば、まずもってそこに住んでいる者が、住んでいる者の力で、未来があることを示さなければ何もはじまらないと思うのだが。
地方衰退は長い歴史過程であり、たぶんそれ自体は止めようがない。明治のはじめ頃の国家財政は地租に多くを依存していたし(歳入総額に占める地税の割合は7割を超えていた。ただし地税は農地に限らない。)外貨を稼いでいた柱も養蚕だった(絹織物の輸出)。日本の近代化は地方の富を中央に集中することでスタートすることができたのだし、明治の高速の近代化は地方の力が土台となっていたのである。GDPで工業生産が農業生産を抜くのは第一次世界大戦以後で、重工業が本格的に発展するようになってからだ。「疲弊するヨーロッパ」を横目にみて、戦時特需で日本はボロ儲けし、工業発展にはずみがついたのである。それ以後は工業の時代となり都市と地方の格差は広がっていくがそれに加速度がついたのが戦後の経済高度成長期だった。
薪炭から化石燃料へというエネルギー革命が農村にまでゆきわたり、また外材の輸入は林業の衰退を招き、里山も人工林も捨てられた。「金の卵」と呼ばれた労働力の流出は単に数としての流出にとどまらず、大学進学率の向上に伴って本来地域を担うべき人材までも流出した。生糸の自由化によって養蚕は終わり、小麦、大豆をはじめとして大量の食糧輸入は農業を衰退させた。農業の近代化は生産効率をかつてなく高めたが、皮肉なことに農業機械も資材も肥料や農薬も工業製品であったし、生産性向上は価格の相対的低下をもたらし「産地」以外では自立的小農は没落した。そして農地は荒廃し地方はさらに衰退する。このように地方の富を都市が吸い上げることで日本は少なくとも経済的には一流国になった。しかし同時にその時農業生産のGDPに占める割合は1%台にまで落ち込んでいたのである。
IT化、グローバル化する今日の高度経済世界で必要とされるようなものは地方にはもう何も無い。年金と地方交付税で生きながらえる地方はむしろ「お荷物」になってしまった。活力もなく、未来もないところに若い人がとどまらないのは至極当然のことであり、更に衰退していく。こうした大きな流れを押しとどめ地方を再生させる処方箋がそう簡単にあるとは思えない。(こういう文脈でみれば「地方消滅」という脅しをかけ、切り捨てるべきところは切り捨て、地方中核都市に資源を集中させよという日本創生会議の「増田レポート」はお荷物を少しでも軽くし、日本経済が世界で闘えるべく地方をシェイプアップしようというものなのだろう。)
さてそういう中で最期のウルトラCとして都市民の「田園回帰」志向が取り沙汰されるようになっている。田園回帰する(とりわけ若い)人を取り込めば地方は消滅などしないというものである。「田園回帰1%戦略」もそのひとつである。しかし、発想があまりにイージーでそんなものを「戦略」と言っていいのかどうか。彼らが移住すれば確かに人口は増えるが(それで充分貢献したことになる?)おそらく地方経済にはほとんど寄与しない。作家の島田雅彦の言葉を借りれば彼らはおおざっぱに言えば「破滅しないために没落しようかみたいな、没落に前向きな姿勢、創造的没落を追及」する人々であり、空き地と空家と豊かな自然があれば基本OKだから。地方消滅とか村おこしにはあまり関心がない。(地方の衰退に頭を悩まして地方移住を決意した訳ではないから。)歴史的位相を異にする両者を安易に結びつけても何も生まれない。むろん同じフィールドで生活し活動するのであるから協力し合う場面は沢山あるはずだしそれはそれでいいのだけれど。
ところで振り返れば自分もまた早くから「没落」に向かって生きてきたわけだがただ単に没落しただけだったのか、それとも多少は創造的といえる何かがあったのか、ハテサテ。今更考えてももう遅いけれども。 S
by kurashilabo
| 2015-11-21 12:14
| 鈴木ふみきのコラム