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ふみきコラム ~農地の公共性

 こんなところでややこしい話をして恐縮だが、農地が本来的にもつ公共性ということについて、もう少し触れておきたい。今時そんなことに関心を持つ人は少ないが日々農地と戯れているのであるからそこがどのような場所であるのか一度は原理的に考えておくのも悪くないだろう。

 先日このコラムで農地の私的所有は明治の地租改正からと言ったけれども、ではそれ以前の人はどのような所有観をもっていたのであろうか。それは専門家に聞かなければわからないが、江戸時代初期に出された「田畑永代売買禁止令」(1643)という法令を入口に考えてみたい(これは高校日本史にも出てくる)。これは読んだ通りの意味だが、よく考えてみるとなかなか意味が深い。

 太閤検地にはじまり、江戸時代初期には何度か全国的な検地が実施された。検地は一筆ごと面積と石高と耕作者を確定していくものだ。検地帳に名前が記載されればそれは年貢負担義務者ということになるが、同時にそれは土地の専有的権利者であることを認定することでもあった。いわば「私物」として公的に認めるということだ。一方ほぼ同時期に幕府は「田畑永代売買禁止令」を出している。これは飢饉などを契機に田畑が売買され、自営農民層が解体していくのを防ぐためのものだが「売買禁止」とは田畑は「土地資産ではないですよ」ということだ。従って「自分の田畑として専有的に耕作を続けていいが、私有財産ではない」「自分のものだが自分のものではない」ということだ。そしてこの売買禁止令は江戸時代を通じて機能していたと考えられている。

 明治の検地である地租改正は金銭による評価類と所有者を確定したものであるから明らかに売買を前提にした私有財産として認定したものである。そのような意味で西欧をモデルにした近代化の一環だった。しかしこれには当初から政権内外で原理的異論があった。土地の私有財産化は明治の立国原理と相容れないのではないかというものである。明治国家は古代の復古としての近代化であったから、土地も人民も天皇が統治するものと考えられていた。古代の公地公民制の現代版である(公とは「天皇の」という意味)それが「王土王民論」として再登場してくる。土地の私有財産化と「王土」という観念は原理的に両立しえないではないのかということである。そこを明治国家は「私有財産であるけれどもより上位のものとして王土王民という“国体”が存在する」という形で落着させることになる。(王土王民などというと古色蒼然としたもののように感じるがそうともいえない。例えば東日本大震災で天皇が現地に赴き海に祈り山に祈ることで心安らいだ人も少なくなかったと思う。それは天皇にしかできない。王土とはそういうことである。また象徴天皇制とは日本人は象徴的にはみな天皇の赤子(セキシ)ということであり(王民)、それが「日本人という妙な仲間意識」には潜んでいる気がする。)

 さて、戦後の農地改革(農地解放)は戦前の地主制を解体し、自作農を育成するという理念でGHQと農林官僚の主導で実施された。簡単にいえば地主から土地をとりあげ、小作人の私的所有物としたのである。(ちなみに地主小作問題は封建遺制などというものではなく、地租改正で農地が売買されるようになったから出現した問題で、明らかに近代の問題。江戸時代には小作争議はなかった。)農地改革では農地の公共性問題はどのように処理されたのであろうか。実は自作農育成を法的に支えるものとして制定された「農地法」がくせ者であったのだ。その立案者がどれだけそこを意識していたのかはわからないが農地法が現代の「田畑永代売買禁止令」として作用することになったのである。農地法は「農地は農地としてしか使うことができない」「農地は農業者にしか売ることができない」を原則としている。これは農地が土地資産化するのを防止するためのものだが私有財産制と原理的に矛盾する。むろん現実には抜け穴がたくさんあって、とりわけ都市周辺ではほとんどがタダで払い下げられた「農地」を売って巨額の不労所得を得た「農民」はたくさんいたし、今もいるけれども。
 
 農地法は産業界からは企業の参入の障害になる故なき規制としてしばしば槍玉にあげられる。他方、農地を「土地資産」と考える当の「農民」からも「売りたいのに売れない」邪魔者として嫌われている。しかし今では農地法だけが農地の公共性を担保しているということも見ておかなければならない。農地の私権と公共性の問題はこのような形で今も尚アクチュアルなテーマであり続けている。そしてこの矛盾を整合的に説明しうる「より上位の」論理が無いために現場はエゴと政治力の支配する見苦しいものとなっている。 S
by kurashilabo | 2015-11-14 09:10 | 鈴木ふみきのコラム