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ふみきコラム ~田舎志向の今と昔②

 根が暗いのか、はたまたひねくれているのか、「田園回帰」とか「里山資本主義」などということばを聞くと「ケッ」と言いたくなる。田舎暮らしも長いので、いろいろな人の「田園回帰」を見てきたが、「うまくいっている」といえるものはほとんどなかった。主に経済についてだが。田舎暮らしといえども経済がまわらなければやはり気持ちも暗くなる。ボクのまわりでは新規就農という形をとっての「田園回帰」が多かったが、経済的にそれなりに回っているといえるのは2割程度ではなかったかと思う。あとは貯金を切り崩していたり、親兄弟の援助があったり、あるいは不本意ながらアルバイトや仕事をやったりしてやりくりしている人が多かった。そのうまくいっている2~3割の人も経費を除いた収入は精々200万~300万程度の人が多く、社会的にみれば低所得層に入ってしまう。むろんもっともっと稼いでいる人もいるにはいるがボクの周りにはいなかった。

 先日、上野駅での時間つぶしに「島耕作の農業論」(弘兼憲史、光文社新書)を読んでいたら(著者と久松達央氏の対談コーナーで)「多くのベンチャーに比べれば2~3割の成功率は悪くない」と言っていて、ま、そういう見方もできるかと思ったのだが・・・。就農も新しいビジネス分野の開拓であるからベンチャーではある。しかしベンチャーは普通「ハイリスク、ハイリターン」だが、就農の場合は「ハイリスク、ローリターン」というところが違う。うまくいってもハイリターンにはなりようがないのである。残念ながら。また「小さくても強い農業を目指すべきで、小さくて弱い農業が一番ダメ」なのはもっともだけれども、すみません皆、小さくて弱かった。どの人も無能ではなかったし、よく働いていたけれども。

 これだけ有機農産物が供給過剰気味になり、行政までもが6次化などと言い出すようになると「ほとんど素人で、資本もわずかな個人が有機農産物を売って金を稼ぐ」というビジネスモデルはもうほとんど成り立ちようがない。多くの場合、販売は親類縁者、友人知人の範囲を超えることができない。これはビジネスとはいえない。(6次化というのは一次産業として農産物を単に生産するだけでなく、加工などして更に付加価値をつけ、小売まで生産者が一貫してやること。1次+2次+3次=6次産業)

 ここから先はふたつの考え方がある。ひとつは親類縁者、友人知人の範囲を超えないことにむしろ積極的意味をみて、そちらを強化していくというやり方。販売ではなく贈与経済的な関係となる。それを可能にするだけの「ことば」と「実践」つまりは人間力がないとこれはできないからかなりハイレベルな道だけれども。非交換経済なユニットを作るということだが、荷の受け取り側にとってもこれは大きな意味があるはずである。個人で「経営」している人の場合、こういう側面をすでに持っているはずで、ビジネスなどと考えることはやめて、こちらの側面に純化していくということである。

 もうひとつは共同化するということである。この農場もひとつの共同農場だが生産規模でいえば一軒の農家程度にすぎない。それで数人が(現在はスタッフ5、研修生2)それなりに生活できてしまうのは共同農場だからである。食事も住居も車も機材等々も共同なのでひとり当たりにすればかなり少なくてすむ。また共同でひとつの場を維持しているからイベントもやり易く、そちらの方面でもそれなりに収入を見込める。しかもその場を核として小さな社会(コミュニティ)が形成されていくので孤立してしまうことが少なくてすむ。(これは意外と大事なことである。田舎暮らしで孤立してしまう人も少なくない)

 しかし共同化というのは一般にうまくいかない。お金がからんだ人間関係の破綻で終わりというのが相場だ。この農場のように曲がりなりにも続いていくというのはかなりレアなケースである。そこをこの農場の特殊性あるいは歴史性ということで終らせず、どうしたら一般化できるのかを教訓化する必要があるのかもしれない。会社化するという共同化もあるが(こちらの方が一般的)そのハウツーはここにはない。

 いずれにせよ、個人でする田舎暮らしの他に、もうひとつのビジネスモデルを実践的に提示できなければ「田園回帰」などというキラキラチャラチャラしたことばは使えない。 S
by kurashilabo | 2015-11-07 09:08 | 鈴木ふみきのコラム