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ふみきコラム ~「地方消滅」は必然?!

 「2040年までに全国の約半数(896)の中小自治体は消滅する」とした2014年の日本創成会議によるいわゆる「増田レポート」は「地方消滅」というショッキングなフレーズとともにひとしきり人々の話題となった。今では少し下火になったが「空き家問題」(地方では空き家がどんどん増えて困っている)などとともに「地方は崩壊しつつある」という暗い予感を多くの人に与えた。何の対策もたてずに自然過程に任せればそうなっていくという予測自体について根本的な異論を唱える人はほとんどいない。ボクも地方の「安楽死」は更に深まっていくだろうと思う。ただそれはひとつの結論、長い過程がいよいよ終点に近づいてきたということであり、タイムスパンをもう少し長くとらないと現象の全体像や意味はつかめないし、対策も「若い人たちに定住してもらうには(子どもを沢山産んでもらうには)どうしたらいいか」といったところに留まってしまうのではないか。

 ここでしばしば触れてきた「里山の荒廃」や「耕作放棄地」の問題もその「長い下り坂」のひとつの局面であり、地方消滅の前史であるともいえる。耕地より広大なエリアであった里山は1960年代にほとんど一夜にして「消滅」し、ただの荒れた山になってしまった。エネルギー革命や(薪炭から石油、電気へ)農業の近代化の結果である。耕地の遊休化は里山ほどには急激ではなかった。少し詳しく言うと、1960年代までは使える耕地はどんなに条件が悪くとも隅々まで耕作されていた。そうしなければ食えなかったのである。米の消費量は現在の2倍あったし、食料の輸入は少なく、小麦や大豆等の国内生産も多かった。機械化は進んでいなかったが田舎は大量の余剰労働力(次男、三男、外地からの帰還者など)を抱えていたから人力(と馬、牛)でそれができたのである。

 畑地は(地方によって異なるが)このあたりでいえば養蚕のための桑園が最も広かった。それが1980年代頃に養蚕の消滅とともに全て遊休化した(生糸の自由化による)。小麦や大豆も多かったが、これは輸入にとって替られ(コスト的に対抗できない)かってたくさんあったタバコも、これは需要自体が減ったこともあり最近では見かけることも少なくなった。サツマや落花生ももはや見る影もない。野菜類は産地化によって、産地以外のところでは経営としての栽培は成り立たなくなった。このようにして畑はあれども作るものがなく、「荒らさないための耕作」が急速に広がった。現在では近在で経営としての畑作物をみることは少ない。一見耕作されているようでも実質は遊休化しているのである。田については70年の減反政策(米余り)以来、条件の悪い小谷津田や山間の田(棚田)などから遊休化が進んだが、多大な資金を投入して圃場整備した「優良農地」は米価が政策的に維持されてきたこともあり、最後の「聖域」として現在も美田として続いている。しかしそれも経営は個々の農家から集落に1~2軒ある中核的な農家(ライスセンター)に移行しており、TPP等で中核的農家が打撃を受ければどうなるかわからない。

 このプロセスは一言でいえば経済構造が変わったからだが、みておかなければならないのは人もまた替ったし「変わった」ということである。先回も述べたように戦後農業をその中核で担ってきたのは1960年代以前のムラで農業者(百姓)として自己形成してきた世代だ。彼らが90年代から2000年にかけてほぼ一線から消えた。ムラ共同体の解体と同じようにそれは目に見えにくいのでそのことの意味に注意を払う人は少ない。そこでひとつの時代が終わり、ひとつの文化が消えたのである。百姓スピリッツも死んだ。繰り返し言ってきた「1965年の革命」が人的にも完了したということである。その後に続く世代はその親の世代とは断絶している。自然に還りつつある耕作放棄地の増大はそのことをよく示しているだろう。

 農村は農林業をベースとして人もシステムも経済も構築されてきた。それゆえ農林業で自ら立つことができなければそこは単に遅れた都会にすぎないものとなる。「地方消滅」はそういう長いプロセスの必然であり終点(バニシングポイント)なのである。 S
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by kurashilabo | 2015-10-03 16:01 | 鈴木ふみきのコラム