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ふみきコラム 40周年特別コラム⑮

 ムラ共同体の解体を(おそらくそのプロセスの最後を)内山節にならって1965年と考えればそこからすでに約50年、半世紀である。今ではムラ共同体の解体どころではなくムラ自体の存続もあやうくなり、30年後には多くのムラや自治体が“死に体”になるとみられている。これも歴史の自然過程なのであろう。

 ムラには今の日本(経済)が必要としている富(資源)はもう何も無い。かってはエネルギーの中心であった薪炭や馬はもはや遠い昔話しの世界である。日本の近代前期の土台であった養蚕も終わっている。食糧とて似たようなものだ。戦後すぐは100%近く、1960年でも79%あった食料自給率(カロリーベース)は現在40%弱になっている。この40%とて食糧安保や国土保全の観点、農民対策(選挙対策)として底上げされたものだ。これは食糧も純経済的には必ずしもムラに依存しなくてもよいということを意味している。また農業生産額のGDPに占める割合は1%程度であり、これは農業が無くなっても日本経済は困らない、農業はもはや経済の問題ではないということである。人という資源もまた無い。かって経済の高度成長を底支えした大量の余剰労働力(金の卵)はすでになく、地方を維持していくために必要な数を残すだけだ。今後はそれさえ都市へ流出していくだろうという。人材も少なくなった。戦後の大学進学率の向上は地方からみれば結局のところ有為な人材の流出システムでしかなかった。彼らの多くは再びムラには戻ることはなかったから。そしてまた長い農業社会が蓄積してきた多くの知識や技能も(近代前期には有効であったが)科学技術や情報が高度化した現在では何の役にも立たない。かって(1965年まで)工業や都市を支えた力強いムラや地方は今はもう無い。ムラには日本の現代が必要とするものは何もない。日本経済というマクロな眼でみればそこは巨大な空洞であり、お金がかかるばかりでそこを維持していくのは重荷である。誰もはっきりとは言わないが、ムラや地方は“お荷物”になったということである。政治家は地方重視を言い、“地方創生”などという飾り言葉をふりまいたりしている。空洞化させてきた当の本人が言うのだから笑止だが、国民国家の指導者としては当然のことである。しかしその地方重視は地方の衰退を止めるものではなく、それを前提としたうえでの地方再編(コンパクト化)とセーフティネットの補強ということにとどまるだろう。
 だが経済成長という近代の「信仰」から離れて「人の暮らし」という眼でみると“何でもある”のがムラであり田舎だ。田舎には暮らしの資源はいくらでもある。ヤマがあればエネルギー(薪炭)も建材も竹も山菜も“ジビエ”もある。田や畑があればむろん基本食糧には困らない。川があれば水遊びもできるし魚もいるだろう(今はいないけど)。それらをうまく活用する技能も絶えてはいない。食はもちろんのこと住も衣もかなりのレベルでまかなえる。増え続ける空き家も貴重な遊休資源である。また日本の経済成長のおかげで幸いにも(?)道路は十分すぎるほど整備され、上水道はもちろん下水道も整備されていて至れり尽くせり。だが田舎資源はあくまで暮らしの資源であり、それをお金にしようとするととたんに苦しくなる。平成の経済感覚ではペイしない。(だからあらゆるものが遊休資源化している)しかし「時給1000円のアタマだと無理だが500円で良しとすれば(茨木)」仕事は沢山ある。500円といわず300円でいいと腹をくくれば仕事はもっともっと作れる。やれること、遊び資源はいくらでもある。昭和30年代レベル、「1965年の革命」以前の暮らしならそれで十分可能だ。ア-ミッシュのように近代以前の暮らしに戻らなくても近代前期の豊かさは十分に満喫できる。田舎資源とはそういうものである。

 「SHOEN2015」はこのような時代認識のもとに構想されている。そのイメージについてはすでに当コラム(2013年12月14日~2014年3月22日号)でプレゼンしたので繰り返さない。要は経済成長の結果として遊休化してしまったヤマ、田や畑、空き家、人や技能など沢山の田舎資源を再「開拓」していろいろな楽しいアソビ(事業)を始めようということである。開拓民になるのだ。そうした人と事業のネットワークとして「SHOEN○○」というアソビの広場(生活自給園)を立ち上げる。この開拓は外の開拓と同時に内を開拓することでもある。「SHOEN」はマチ、サト、ヤマという異種文化圏を往還する生き方の提案であり、人類史の身体的復習として新しいココロとカラダを作るプログラムであり、そういうものとして最も深い知性と癒やしをもたらすだろう。「SHOEN」は都市民に寄付と参加を求める。このような場所を最も必要としているのはむしろ都市民であり、彼らは「SHOEN」の未来の住民であるはずだから。年月を経て人も増え、土地になじみ、人と自然の共同体として「SHOEN」は私たちの未来のふる里となっていくだろう。

 たまごの会が(暮らしの実験室を含め)その40年という活動の過程で出会うことになった先述した問題群、農と農業、家畜論、贈与経済と公、集団形成における神社という機能、人間を超越するモノとの関係、集団のサイズ、近代の組織に替わる運営スタイル、共同農場の可能性と難しさ、等々は「SHOEN」活動でも様々な場面で出会うことになるはずだ。そのような意味でたまごの会は今なお教訓的であり、貴重な“先行事例”として記憶にとどめられてよいと思う。 S


by kurashilabo | 2015-01-31 09:57 | 鈴木ふみきのコラム