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ふみきコラム 40周年特別コラム⑨

 「飼う、育てる」という農の現場に働く根源的な贈与の原理をベースとして伝統共同体は非交換経済的な活動にあふれていた。神社の庭の清掃から水路の管理、川の土手草刈り、道路の補修などムラの公共にかかわるエリアはほとんど無償労働(奉仕活動)によってまかなわれていたし、日常の仕事や生活の中でも手助けしたりされたり、モノをもらったりあげたりするのは普通だった。(相互扶助、結いや葬儀の場など)またムラは里よりずっと広いヤマを暮らしの土台としてもっていたがそのほとんどは共有林や入会地でありムラビトの共同作業で管理されていた(薪炭林、萱場、竹林等々)
 すでに江戸時代には米や炭や紙など様々なものが商品として生産され、また多くのものを外から購入しなければ暮しが成り立たないという意味で、ムラには商品経済が深々と入りこんでいたが、その商品経済はこのような多様で奥深い贈与経済でまわる「公共」という海の中にあってはじめて可能になっていた。それはイエやムラという共同体意識を更に強化する方向に作用するだろう。このような集団は近代的個人という意識からは“クモの巣のようにベタつき” “家父長的で” “排他性の強い”耐えがたいものであるだろう。しかしそのような共同体こそ実は健全で強固な共同体なのである。

 たまごの会もよく似ていたと思う。会内のモノの生産流通をはじめいろいろな活動のほとんどすべてが“非交換経済的”なものであった。手弁当である。農場スタッフの生産活動も「必要なお金は使ってよい」の他は“子どもの駄賃”程度の「おこずかい」があるだけでほとんどボランティアであったし(ボランティア意識という意味ではなく、労働とその対価という意識で働いていた訳ではないということ)モノの流通(配送)も会員の手弁当でまかなわれた。そもそも4千万円ほどの農場建設資金自体、会員からの出資という名のカンパでまかなわれたし、建設も「たまご組」という建築学科学生を中心とした自主建設であった。(出資金は退会時には返却するという原則であったが、返還額は1年に1割目減りするというものであった。「その分もう食べたり楽しんだ訳だから」という理屈だが10年会員でいると出資金は消えてしまうのである!)また卵や野菜や肉という「生産物」にも原則として価格はなく、会の運営がまかなえるだけの収入があり、会員間の不公平が生じないために「品代」がつけられていただけだった。(しかし実際には会外の契約農家から仕入れがあり、その野菜や牛乳は価格でなければならなかったし、品代も市場価格を見ながら決めていたので時とともに実質的には価格となった。自主配達が宅配便になり、商品経済化していったのと同じである。) たまごの会では「食べ物の安全性が失われたのは農業の市場経済化の結果であり、食べ物が商品化したから」という理解であったから市場経済の論理が会内に発生することが警戒されていたのである。このようにたまごの会も農場の生産現場での「農」へのこだわりをベースにして、多様な「贈与経済」でまわっていた。それは会の共同性の次元を強め、仲間意識、たまごの会意識を強める方向で作用したはずである。

 奉仕活動、共同作業などは個人を越える集団(公共)という意味レベルにおける行為である。私たちはしばしば「共同体(ムラなど)には奉仕的仕事や共同作業が大変多い」という言い方をする。しかし正しく言えば集団としての公的レベルの仕事が贈与的に担われていることでその集団が共同体として生まれてくるのである。共同体というのは固い実体ではなく、多様にして重層する非交換経済的活動によって常に再生産されていくその集団の「公」のことなのだといえるかもしれない。それゆえそのような活動が無くなれば公も消え共同体も解体していくしかないのである。
 ムラについていえば米であれ野菜であれ作るものがすべて個人農家による商品生産となり、道路や橋の補修は自治体の公共事業として外部化され、水路はコンクリで整備されてボタンひとつで配水ができるようになり、共有林は分割されて私有化され、入会地は無用になり、娯楽は沢山のムラの祭りや儀礼からテレビになり、機械化と化学肥料で結い(ゆい)は要らなくなり、最近では葬儀も中心はJAなどのセレモニーホールに外注となり、つまりはムラの「公」エリアはほとんど外部化され商品経済に組み込まれた。そしてムラの暮らしは風通しが良くなり楽になった。しかしそれがそのまま共同体としてのムラの解体のプロセスでもあったのである。暮らしの必需品としての共同体は不要になったということである。 たまごの会に即していえば品代が“価格”になり、スタッフへの支払いが“手当”になり“給料”と呼ばれるようになっていったが、それがそのまま共同体としてのたまごの会が解体する道筋でもあったのである。むろんそうなるにはなるだけの理由が十分あった訳だけれども。

 集団としての「公」的レベルが贈与経済的にまわっているということ、それがムラ共同体とたまごの会が似ているという第2の点である。 S


by kurashilabo | 2014-12-20 10:12