実際の運動過程としてはかようにクリアーに分かれていた訳ではなく、関心の置きどころに濃淡があるだけで、両方のベクトルが混然一体となって不思議なエネルギーを発揮していたのが初期たまごの会であったと思う。それがやむをえなかったか必然だったかはさておき、敢えてする「分裂」がメンバーとその意識をふたつに切り裂いていったのである。分裂後についていえば契約派は「食と農をつなぐこれからの会」を立ち上げ新しいスタートを切ったが、「普通の農家と組む」ことはそうた易いことではなかったようである。農場派は農場を維持していくことはできたものの、それが何なのか、農場を維持することで何をしたいのかという問いには答えを用意できないまま、宇治田農場時代には普通の実業としての有機農場化、あるいは一種の契約農家化していった。いずれにせよ両者ともに魅力と社会的迫力を失うことになったのである。 S