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ふみきコラム 馬のはなし①

 馬のポニーを飼っている。馬のポニーというのは変な言い方で、ポニーというのは馬の小さい系統の呼び方にすぎず、だから馬を飼っているでよい。実際飼ってみるとポニーなどというかわいげなものではなく馬そのものだ。生まれて1年と少し、まだ成長中の男馬だ。去勢はしていない。小さいとはいっても馬はやはり大きい。筋肉ムキムキで本気であばれたらボクの力では押さえきれないし、こちらが怪我をすることになる。まだ「馬というものに慣れる」段階で、馬についてよく知らないし、「調教」も手付かずなので朝夕の運動場への出し入れは一日のうちで一番緊張する時だ。思うように歩いてくれない。文字通り道草は食うし、反抗的にこちらをかじろうとしたり、走り出してしまったり。(もっとも走りだしてしまってもどこか遠くへ逃げ去る訳ではなく、またすぐ捕まえることはできるのであるが。)時には立ちあがって前足で突っかかってくることがある。これが一番こわい。まともにくらったら骨折だ。しかしこれも攻撃とか威嚇というよりもはしゃいでいるような感じなのではあるが。馬は元来群生なので馬同士でいれば仔馬たちはこんな感じでじゃれ合ったりするのであろう。こんな具合で乗馬にはまだまだ時間がかかりそうで(無理に乗れば乗れないこともないが無理はしない)世話ばかりが大変なリュウ君であるが(血統書の正式名が龍王なのでリュウと呼んでいる)、たて髪をなびかせて疾駆する姿は力強く、美しい。それだけは他の動物では味わえない醍醐味だ。身近にそれを見られるだけでも飼っているかいがあろうというものだ。

 目的も無く馬を飼うのはいかがなものかという意見があるのは承知している。正直もて余すか、「飼い殺し」にしてしまう可能性も小さくない。しかし現代に一般の人が馬を目的をもって飼うことはまずありえない。現代の生活や農業で馬の出番などどこにもないのだから。しかし馬という動物には魅力がある、歴史のクズカゴに入れてしまうのはもったいない、飼ってみたいという気持ちがあって、農場内ではずっと昔(初期)から話題にはなってきた。なってきたが目的がみつけられないのでずっと話題でしかなかったのである。今も目的はない。しかしそれを言っていたらいつまでたっても話題でしかないのだからとりあえず飼っちゃえということだ。出番があるかどうかはわからないが、出番がなくてペットだとしてもそれはそれでいいではないか。維持費ゼロで(草だけで生きられる)再生可能な一馬力エネルギーだからひょっとしたら荘園計画の中のどこかに出番もあるかもしれないし。

 とは言え同じ「飼う」でも馬は豚や鶏とは違う。馬は基本「役畜」なので「調教」ということが必要になる。調教は未経験の領域である。馬は好き好んで馬車を引いたり人を乗せたりしている訳ではない。調教して慣らされているにすぎない。馬との関係を築きながら調教していくのには技術がいる。技術には文明の裏付けがいる。それが今のところ全くない。テキストもない。すべてこれからである。西部劇であれ何であれ欧米の映画を観ていると馬がしばしば登場し実によく調教され人の足となっている。人馬一体ケンタウロスそのものである。何気なく観ていた映画の中の馬であるが、リュウの出し入れさえ苦労している今の自分からみると、その世界ははるか遠い気がしてくる。人生の残りは少ない。調教の道のりは長い。それどころか楽しく馬を乗りこなす前にどこかで大怪我でもしそうな気さえする。馬はペットなどという甘いものではない。時として猛獣だ。その猛獣を飼い慣らし、いい関係を作り、おとなしく人を乗せたり働いてくれたりするようにできるかどうか。「調教」という観念の薄い日本人にはそこは難しいのである。 S

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by kurashilabo | 2014-07-26 23:08 | 鈴木ふみきのコラム