2014年 07月 19日
ふみきコラム トシヨリは山へ行こう
老いゆく団塊の世代はこれから社会の大きなお荷物になるのだという。また2人に1人はガンになり、3人に1人はガンで死に、80歳を過ぎれば2人に1人は認知症というのだから明るいことは何もありそうもない。仮に老後資金が十分にあって優良老人ホームに入ったとしても、手厚い介護を受けながら皆で歌ったり、ゲームをしたりして何がおもしろいのかわからない(実際のところは良く知らない、どのみち入れないので)しかし何もしないでいればベルトコンベアーの如く病院と介護施設に送られるか、子どもたちのお荷物になるしかない。老後資金ゼロのボクなどはそれさえおぼつかない。孤独死ということになりそう(先回のこの週報で同僚のイバ氏が「鈴木さんの介護」を心配してくれていた。ありがたいことです。)
暮らしの自給路線できたのだから、ここはオルタナティブな「終活」、老人ホームの自給しかないと思うのである。積極的終活としての山野の再開拓、集団的自衛権の発動である。それこそヤクザな人生の終わりにふさわしい。まだ多少は身体が動くうちにその一歩を踏み出したい。
山の茶園と谷津田をどう開拓し、どのような場所としてデザインするのか、それはこれからのお楽しみ。(荘園主義者としてはそこをやさと荘園化計画のベースキャンプにしたい思惑だがその話しはまた別の機会に。)自分の妄想の中ではその二つを山の道で結び、そこから筑波山系の修験の道を再開拓し、回峰行に励んで水や岩や樹木と同化し仙に至る。それこそ伝統の教える正しい終活ではあるまいか。(それまでに腰痛を治しておかないと。)
先日ある人から「東北の方では歳をとると山へ入る習俗があり、先に入ったトシヨリと一緒に畑をしつつムラの見える山の中で山の恵みを得て暮らし、ムラが忙しい時は足腰の立つ者が里に下りて手伝い、お礼に米や味噌をもらって山へ帰るというようなことをしていたようだ」とうかがった。ウバステというと深沢七郎の「ナラヤマ節考」の暗いばかりの世界を思いがちだがあれはおそらく小説で、実際の習俗はもっと違ったものだったのではあるまいか。民俗学でよく聞く「若衆宿」のトシヨリ版のようなものもあったはずなのだ。それにならって山の茶園や谷津田の開拓と同時にそこに「トシヨリ宿」のようなものを建て、山の恵みや里の恵みを得て自活できるようにし、来たい時に来て暮らし、助け合って生き、最後は樹木をゆらす風の音、沢のせせらぎを聞きながら往くのである。病院や介護施設だけが人生最後のトシヨリ宿になっている現代はやはりどこかおかしい…。トシヨリは山へ行け。
トシヨリだけで再開拓など出来る訳がないと問うならば、それはもちろんそうである。トシヨリは弱い。そこは生物多様性がどうの、環境負荷がどうの、暮らしがどうのとかテキトーな講釈を垂れて、エネルギーをもて余している若い衆を引っ張ってきて働いていただくのである。昔からそんなものである。ヨタ話はこのへんで・・・。 S