ふみきコラム「里山再開拓?」

 この農場からさして遠くない、車で20分ほどの筑波山の中腹に中山開拓といって、戦後開拓でひらかれた一角がある。山裾の集落から峠にでる山道をしばらく登り、こんな所にと思うような急傾斜地にその集落はある。いや、あった。開拓で入った人たちはもう誰もそこ住んではいない。今は別荘風建物が数軒あるのみである。最後まで踏ん張っていたおばあさんが御主人と共に精魂傾けて拓いた茶園も手を入れなくなって(作るのをやめて)もう20年くらいになる。だから中山開拓といってもその跡地である。

 ひとつの開拓地が消えるのを嘆くことはない。戦後開拓は復員した旧軍人や旧満州からの引き揚げ者たちが生き延びるための場所だったのであり、日本の経済成長と共に他に生きるための場所ができて去ったのだとすればそれはそれで良い。やさと盆地が見おろせてロケーションもいいし、静かで緑もいっぱいというのは現代の感覚で、当時は人里離れた山奥で「飢餓に耐えながら」(拓魂碑)の生活であり、電化されたのは昭和40年(1965年)、林道が開通するのが昭和42年のことである。時代の要請があって生まれ、短期間ではあったがその役割を終えて消え去ったということであろう。

 さて、その放棄されて20年余の茶畑やみかん畑を再開拓しようという話しがある。いやどこにもないのだが、ボクが言っている。ボクはどういう訳であろう、放棄された谷津田や茶畑を見ると「もったいないなぁ、こうしたらいいのに、ああしたらおもしろいのに」と思いを巡らしてしまうのである。遊びの素材としてこれほどおもしろいものはない。むろんそれらは経営的に見合わないから放棄されているのであるが、だからといってその場所の価値がそれだけで計れるものではない。その場所のもつ潜在価値を現代的に引き出す方法があると思うし、それはまた今の時代のニーズでもあるだろう。私たちの再開拓は戦後開拓とは意味も目指すところも違うのである。もっともその茶畑なり谷津田が里の平場にあったならそれほど心を引かれなかったかもしれない。山の急な斜面に拓かれた茶畑であり、そのまま筑波山にせり上がっていくような谷津田というところがいいのであろう。そのような意味では農業的関心ではなく、ロケーション、あるいはその場所の秘めたる力に感応しているのであろう。そこは名目上農業地ではあるが、むしろ山の一部なのである。里とヤマの境界。そこがおもしろい。

 そんなあいまいであやふやな動機で開拓などできる訳がないと問うむきもあろうかと思う。しかし逆に茶園経営や水田開発など本当の動機にならないし、今の時代のニーズもそんなところにはない。オーガニックであれ何であれ茶園は沢山あってむしろ供給過剰で経営も楽ではないと聞いている。米は今更言うまでもなく増産しても誰もほめてはくれない。むろん表の看板は茶園経営であり、水田の復活ということになるだろう、それが目に見える形でありわかり易いから。しかしあいまいであやふやで言葉になりにくいところにこそ本当の動機があり、そこを開拓するのが現代の開拓なのだ。ボクたちはその場所、その土地、そこに住む動物や植物たちと様々に触れ合い交通を結ぶことになるだろう。それは同時に自分の頭、肉体、魂を全層的に開拓していくことになるはずだ。そんな楽しいことが今の時代、他のどこにあろう。S

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Commented by きょうこ at 2014-07-25 22:31 x
ブログにコメント書くの初めてです。

実はここ最近家族のこととかでずっと辛い思いをしてました。

でもこちらのブログに巡り合えて、共感する所もあったりして「救われた」気持ちになれました。勝手にこんなこと言われても困っちゃいますよね?ごめんなさい

是非この素敵なブログの管理人さんと仲良くしていただきたいなぁって…

これ私のです↓

xxvcocovxx@ezweb.ne.jp

熱い日が続いてます。お身体ご自愛ください。
by kurashilabo | 2014-07-12 10:28 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(1)