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憲法のこと⑤

 「国家権力は時として暴走するから国民の側から制約を課すのが憲法」というのが近代立憲主義だという。法律はその憲法の下で国民に制約を課すものということになる。しかしそれもさることながら、憲法は「ことば」ではないかと思う。私たちの社会が拠って立つ理念、めざすべき価値を一点の疑いもなくうたいあげる「ことば」、「詩」、それが憲法だ。現実対応は政治の課題であり、法律の問題だ。今の憲法はそのような意味で「詩」たりえていると思う。
 そのような観点からすると自民党の改憲案は危険性云々以前に憲法たりえない。例えば自民党案9条では、戦争放棄を述べたあと2項において、「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない。」とし、第21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する。(注…現行憲法はここまでで終わり)2、前項の規定にかかわらず、公益および公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは認められない。」としている。このような場合、本当に言いたいことは一項の価値ではなく、「だがしかし」のあとの2項にあるのは明らかで、そのような現実的下心みえみえの文章は憲法のことばたりえない。今の憲法にはそのような弁解も下心もなく、明るくきっぱりとしている。それが青くさくもあるが魅力だ。

 今の憲法は占領下で作られたものであるから大勢として押しつけという性格もあり、日本をニ度と軍事強国にさせないという政治目的も当然あるはずなのだがそういうものを全く感じさせない。占領憲法というと、よほどひどい不利益、不公平な代物を押しつけられたというのであれば話しはわかり易いが、それがこれ以上ない善きもの、人類がめざすべき普遍原理だったというのがおもしろいところだ。そこにはおそらく占領の意図を越えた、戦争への深い悔恨、一度ならずニ度までも世界大戦を引き起こしてしまった人類の反省があるのではないか。戦争はもうこりごりというのは何も敗戦国日本だけのものでなく、戦勝国側(アメリカのリベラルを中心として)にも共有された時代の気分でもあったはずなのだ。大戦が終わり、しかしまだ後の冷戦体制が固まっていない隙間、そういう時代が産み落とした不思議な憲法。大戦後の、ほんの一瞬にだけありえた人類の夢、それをことばにし、文章にするとこうなるのではないかと思う。青くさくて当然、現実的でなくて当然なのだ、それは希望を、めざすべき価値を指し示すものだから。

 今の憲法は「昭和の黒船」だったのではないか。そんな風に考えることもできる。19世紀中ごろ、浦賀に来航した黒船にびっくりし、脅かされて、そこからしゃにむに日本は「近代」をめざし、それなりに近代国家らしきものを作りあげた。しかし敗戦となり新しい憲法を押し付けられてまたびっくり、近代の理念とはこういうものだったのかという驚き。この時多くの日本人は近代というものをことばとしてはじめて知ったのだ。人権、自由、個人、そうした新しいことばで考えれば戦前期日本は暗いだけの時代であり、今憲法とともに新しい時代に入ったのだという意識。これは明治期の先進的日本人が近代に触れることで、それ以前の日本を「古い、迷妄の、何一ついいことのない暗い時代」として全否定したのと同じ心理ではないかと思う。かような近代主義はその対極に「日本」あるいは「民族」などというナショナルな意識を呼び起こす。改憲を主張する人々が言う占領憲法という意味はむしろそのこと、「日本」とは何か、「民族」とは、というナショナルなものがそこに全く欠けているということなのであろう。三島由紀夫に典型的なように。憲法をめぐる論争が難しいのはそこにかような日本近代の構造が顔を出すからであろう。護憲を言う時、その普遍原理が西欧近代の、という限定付であることはよく考えておくべきだと思う。S

※参考
日本国憲法改正草案(自民党作成)
by kurashilabo | 2013-06-15 10:41 | 鈴木ふみきのコラム