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ふみきコラム2月9日

 屠殺には特有のいやなものがあります。その“いやな感じ”がどこからやってくるのか、それについては以前触れたのでここでは簡単にまとめておきます。ひとつは身心が平常な時には(アドレナリンが全身にめぐっていない状態の時)人は動物を殺すことができないようにできている、ということです。(ここで動物と言っているのは、犬、猫、牛、豚サイズのケモノたちの意味です)これはおそらく人だけでなく、他の動物も同じだと思います、平常時にも「殺す」という回路が開いたままでは種族の(仲間の)維持ができないからです。屠畜というのは平常の精神のまま、ルーティンワークのように動物を殺すことで、それは人の(ケモノとしての)深いタブーに触れていることになるので。これが同じく動物を殺すでも、石器時代のように山野を駆け巡り、自分もまた殺されるかもしれないという状況での(全身アドレナリンがみなぎる)狩猟では「殺しは快楽」となるのです。ハイな状態にならなければ「殺し」はできないのです。動物を殺すというのは狩猟なのであり、それだけ激しい行為だということです。日常的に狩猟モードに入っていては危険です。屠殺のあのいやな気持ちはタブーに触れているというシグナルな訳です。

 いまひとつは家畜を屠殺しその肉を食べるというのは意味的には「子殺し」「共喰い(トモグイ)」になっているということです。家畜は「飼う」という行為とともにある訳ですから「飼う」というのは人にとっては子育てと同じです。それはペットをみればよくわかります。犬や猫を飼う人はよくわかると思いますが、飼うという行為の中では犬も猫も“うちの子”であって動物ではありません。名前を漬けるということ自体が人としてみているということですから。相手が牛や豚であっても飼うということに何ら違いはありません。(家畜と呼ぶことで違いをつけている)それゆえ飼っている人が牛や豚を屠畜すると意味的には「子殺し」「共喰い」になってしまうのです。動物は(人はむろんのこと)それができるようには作られていません。ここでもまた深いタブーに触れているのです。動物を飼い、そして殺すというのはかように難しい問題を抱えた営みで、それ故に新石器革命以後(牧畜が始まって以来)屠畜は何かしら忌むべきものとして人を悩ましてきたのです。

 しかし屠畜に伴う“いやな感じ”“忌むべきこと”を為さなければ肉は手に入りません。ひとつのやり方は屠畜を祝祭的な場で行うということです。神前で(祝祭的な場というのは神前でしか現前しない)酒が入り、祭りのように屠畜すればあの“いやな感じ”はありません、おそらくは。要はハイになってアドレナリンが全身にみなぎる状態を演出すればいいのです。そこでは例のタブーは解除されています。(多くの民族事例があるが、日本ではアイヌの熊祭を挙げることができる。注1)昔から「肉はハレの食べもの」と言われてきましたが、思うにそれは単に肉が希少だからというのではありません。そのような場で、ハレな気分で食べなければ肉食は何かしら罪の意識のようなものが残ってしまうのです。現代では肉を食べることがあまりに日常化してしまったので、多くの人は気にもとめませんが。(続く)

注1)アイヌの熊祭(イヨマンテ)については『日本奥地紀行』のイザベラバードの記述が興味深い。熊は無論家畜ではないが、熊祭は飼育は伴うので「動物を飼って、殺して食べる」原初の形を想像することができる。少し長いが引用したい。
「(早春にごく小さい熊を捕え)捕えた後に熊の子は、ふつう酋長か副酋長の家に入れられ、そこで女が(自分の)乳を飲ませ、子どもたちがその熊の子と一緒に遊ぶが、やがて大きくなって荒々しくなり家の中で飼えなくなると、丈夫な檻の中に入れて飼育される(…一年半ほど育てて)熊祭が行われる。これは大きなお祭りで、この時は大いに酒を飲み、奇妙な踊りがある。これには男だけが参加する、熊を興奮させるために、叫び声をあげたり大声でどなったりする。熊がだいぶん興奮してくると、酋長は熊に一本の矢を射る。その時檻の横木を上げると熊はたいそう怒り狂って外に跳び出す。この段階でアイヌ人たちはいろいろな武器をもって熊に襲いかかる。熊が力尽きて倒れると、すぐその頭を切り取り、熊を傷つけた武器は熊にささげられる。そしてその武器に対して熊が復讐するように祈願する。その後に死骸(肉)は、狂乱した騒ぎの中で人々に分配される、祝宴と大騒ぎの中に熊の頭を柱の上に安置して、それに礼拝すなわち酒を捧げる。人々はみな酩酊して祭は終わる。ある村では、その熊の養い母は、熊が人々の手にかかって殺されようとする時、金切り声をあげて泣き、殺されてから後に、殺した人々を木の枝で打つのが習慣になっているところがある。(尚、祭のやり方は山のアイヌと海岸のアイヌでかなり相違があると言っている)

by kurashilabo | 2013-02-09 15:26 | 鈴木ふみきのコラム