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ふみきコラム0413

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農場横の小さな湿田を池に改造している。

ごく狭いとはいえ田の土(泥)を動かすのは大仕事なので重機(バックフォー3tクラス)を使い、畑仕事の合間に少しずつ進めている。重機はつくばのインド人(?)のおっさんが日本人を2,3人使ってやっている中古屋で買った。(他の中古屋見たが、そこが一番正直な商売をしているように思われた。)お金をどうしたか…は問わないことにしよう(寄進というあれである)。

重機を動かすのは腰が痛くなるのを別にすれば楽しい作業だ。自分が百倍も強力になったような快感がある。ガンダムになったような気分。自動車が走る快感の延長だとすれば、重機は腕力の巨大化である。トラクターであれ何であれ人の操作する機械はみな人体の持つ能力の外延化だが、重機の動きは人の腕と実によく似ているので、とりわけ自分と一体化してくる。自分の手で土を掬っているような気分になるのである。これがあればいくらでも自然破壊できるし、したくなってくる、いやはや。

機械の話はさておくとして、池である。土(泥)を掘っていると深いところから割竹や砂が出てきた。暗きょ排水の残骸である。(暗きょというのは土中の水抜き)。今の人はこんな狭くて条件の悪い田にそんな手間をかけないから何代か前の人であろう。彼もこの湿田を少しでも使い易くしようと苦労した訳だ。その田をつぶして池にするのは少々申し訳ない気にもなる。このあたりの田は大なり小なり谷津田だが(台地にはさまれた細長い谷に開かれた水田。)昭和30年代まではこうしたごく小さな悪条件の田もみな耕作されていた。米(作り)こそが価値の時代だったのである。その後は米余りで減反になり、工業化で働き手も外に出て、機械の入らない田から順次耕作放棄されていった。幹線道路を走っていては見えないが、今では小さな谷津田の奥はどこもヨシ原になっていて(豊葦原!)、もうそこが元は田だったとはわからなくなっているところも多い。

そういう放棄された田をのぞくのが僕は好きで、時々マムシに気をつけながら歩いてまわる。ヨシ原に次第に樹木が生え、鳥やケモノたちの棲みかとなっていくのは自然の回復として、それはそれで喜ばしいことかもしれない。耕作放棄といえば聞こえは悪いが、そんなところまで耕作しなくても生きていけるようになったということであり、けっこうなことである。そのようにして「自然に帰る」のも悪くはないが(大勢としてはそれでいいが)ちょっと芸がない。場所がよければ池にしたり(養魚!)、乾田化できるところは樹を植えたり(林業!)、都市住民に開放したりすれば(公園化!)景観も大きく変わり、おもしろい場所になると思うのだが。

実際には地権(所有権)が入り組んでいて、農家は耕作していない田畑も自分の所有物として囲い込んでいるから(土地資産。法的にもそうなっている)難しいのだけれど。しかし農地の所有やお金の私的所有とは元来性格が違う問題である。田畑の生み出す食べ物は、この列島で生きていくうえで必要不可欠であり、そういうものとして万民の関心事であり公共の問題だ。であるからこそ農地や農家は手厚く保護されてきたのである。もっと言ってしまえば田畑は耕作していればこその田畑であり、耕作放棄すれば自然に帰るのであり田畑ではない。田畑という変わらぬ実体があるわけではない。列島の自然は農家の占有物ではなく公共財として万民のものだ。田畑の所有権は本質的には利用権であるはずなのだ。ま、誰もそんな話関心もたないだろうけれど。S

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by kurashilabo | 2012-04-15 16:36 | 鈴木ふみきのコラム