2011年 01月 08日
ふみきコラム 家畜の断章(4)
新政権は次のように布告する。
一.往来に犬や猫が出てきてもかまわない。
一.車で犬や猫を引かないよう十分気をつけよ。
一.野良犬ややつれた犬がいたら食べ物を与えよ。
一.犬を棒でたたいてはならない。殺すのは重罪である。
一.犬同士がケンカしていたら傷つかないように水を掛けて引き離せ。そのための「犬分け水」を各所に用意せよ。
一.病気になったり、老いたりした犬や猫や馬や牛を、まだ生きているうちに捨ててはならない。
一.山里で猪・鹿・サルなどの獣害がでた場合は、まず人手で追い払え。それがうまくいかなかったら空砲を打っておどせ。それでも効果がなければ、役所から係の者を呼んで必要な手続きと宣誓をした上で実弾を使え。その場合は殺した頭類を記録し、埋葬すること。殺した猪・鹿などを食べてはならない。
尚、このようなことをうるさく言うのは、一人一人が身近な動物を愛護する慈悲の心をもてば、上からいろいろ指図しなくても、おのずと世の中が治まり平和になっていくものだからである。その趣旨をよくよく理解するように。 以上。
え!どこかで聞いたことがある?よくご存知で。それもそのはず、歴史の教科書には必ずでている悪名高い徳川五代将軍綱吉の「生類憐れみの令」の一節だ。昔から気になっていたので、正月にそれ関連の本を読んでみた。そして私は久しぶりに愉快になり笑ってしまったのである。
日本はいい国だよ、世界中のどこにこんな子どもじみてカゲキな政策を本気で、マジメくさって出す国があるだろうか。戦国の世から100年近く経って、戦国の荒々しい気風は各所に残っているとはいえ、庶民の暮らし向きは向上し、政権も安定して世は元禄文化を謳歌していた時代の事である。むろん綱吉政権は独裁的であり(徳川前期に独裁的でない政権などなかった)原理主義的である。違反しての入牢、遠島、斬首なども少なくなかった。しかしあえて言ってしまえば古今東西の独裁者と較べれば多いとはいえない。ま、この位はでるだろう、という程度。後世、「犬公方」と嘲われ、「生類憐れみの令」は悪法の代表のように語られるが(それにはいろいろ権力内の事情があるようだ)、この政策を単純にアホな綱吉個人の、ある朝の思いつきととらえるのはおそらく正しくない。綱吉の治世は30年近く続いているのであり、諸大名の暗黙の了解とともに、大老・老中・側用人等を筆頭にした大きな官僚機構がそれに同意を与えなければ政権は動けなかったはずなのだ。
それは元禄という、かって経験したことのない豊かで太平の世を、どういう原理で治めるかという問題であった。綱吉はそこに「慈悲」と「仁」を置き、生類を憐れむという日常の行為を通してその精神を涵養しようとしたのである。だから次の家宣政権も、その政策の精神は継承すると言わねばならなかった(少なくとも形の上では)。政策自体は綱吉の死とともに自然消滅するのだけれども。そして思うに、その原理主義は綱吉の死とともに終わっても、その原理は江戸社会の「あるべき精神」としてその後の人々を規定したような気がするのである。私は年頭に当り、平成の綱吉と呼ばれたい、そう切に願った次第である。彼は実に正しい。S