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ふみきコラム 家畜の断章(5)

さて、世界各地の神話や宗教が「動物とどう関係したらよいか」「殺して肉を食ってよいか」とそれぞれに必ず立問するのは、それが単に動物との関係や肉食の是非の問題に留まらず、倫理の根本にかかわるからではないだろうか。そこが定まれば、他は自然と定まってくるような根本命題。動物たちとの関係のあり方は、自然と人間がどういう関係にあり、そこに於いてどう振舞えばいいかという問題であろう。
また、動物をどう飼うか(ドメスティックな動物とどう関係するか)というその姿勢は、そのまま子供をどう育てるか、どう関係するかという事であり、それは家族のあり方や、人間関係のあり方を規定してくるであろう。「殺して肉を食って良い」というのは、動物に代表させて、自然と人間の間に上下の関係があることの承認であり、その関係に於いて「経済」を優先させて良いというメッセージとなるだろう。(むろん殺生と肉食を禁じるのはその逆のメッセージである)こうした在在の座標軸が定まれば、そこからひとつの暮らしのコスモロジーが自ずと立ち上がってくるのではなかろうか。仏教が殺生と肉食を禁ずるのも、単に慈悲の心を持てということではなく、おそらくそれを認めてしまっては原理的に仏教のコスモロジーが成立しないからなのだ。

動物を虐待している場面に出会うと、私達はほとんど本能的に、凶々しいものをそこに感じる。それはそこにひとりの人物の根底が露出するのを見るからではないだろうか。あるいは小学校などで、ウサギやチャボなどの小動物を世話させるのも、動物を飼うという行為、身近な動物との接し方というものが(授業では決して教えることは出来ないが)人間精神の健全な形成に役立つという直感があってのことであろう。効果のほどはともかくとして。あるいはまた私が、「口蹄疫で何十万頭処分」という報道に、理屈以前に、それはマズイのではないかと思ってしまうのも(たとえそれが防疫上妥当な判断だとしても。それも疑わしいが。)、そこになにか凶々しいもの、倫理の根底に低触してくる何か不吉なメッセージを読み取っているからかもしれない。本当はそちらの方がずっと怖いことなのに。モラルハザード。誰もそれを言わない。誰も言わないが、そのメッセージは確実に子供たちに伝わっているはずなのだ。それこそ恐るべきことではないか。

以下は蛇足だが、宗教学者の山折哲雄氏が土葬のススメを説いて曰く「近頃、病院から火葬場へ直接遺体を運び込む直葬が全体の3割くらいになっていて、ほとんど生ごみ処理のように遺体を扱う。そのよう社会では死生観や他界観は生まれない」と(13日 朝日)。もっともだと思うけれども、動物を、それも生きた動物を生ごみのように処理して、何ら不思議にも疚しくも感じない社会が、そうなっていくのはけだし理の当然のことなのだ。彼は土葬の復活を説くより「生類憐れみの令」の復活をこそ言うべきではあるまいか。今度会ったら教えてあげよう。S
by kurashilabo | 2011-01-15 14:33 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)