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ふみきコラム0204

ボクは農場でシロという名の平凡な中型犬を飼っている。

 朝日新聞連載の漫画「ののちゃん」のおうちの犬は犬小屋にいて、いつもつながれている。しかしあれは昭和の風景で、平成の現代の都市部ではすでに8割が室内飼いだそうだ。(マンガの「ののちゃん」は全体の基本トーンがそもそも昭和だ。)昔は「お座敷犬」などと嘲笑気味に言ったものだが、いまやそれがスタンダードになってしまった。外の犬小屋にいるか、居間にいるかで犬と人間の関係は劇的に変わる。室内犬はいかにもペット、あるいはコンパニオンという言い方がよく似合う。そういう現代からみると昭和の「犬小屋につなぎ飼い」という風習がいかにも遅れたもの、奇妙な常識だったように思えてくるから不思議だ。どうしてあんな飼い方が常識のように通用していたのだろう。虐待とまでは言わなくともあれでは犬もストレスフルだし、人の方も全然楽しくない。外国の事情はよく知らないが犬小屋のある風景は日本独特のような気もする。おそらく一方に明治以来の野犬撲滅と放し飼い禁止という行政的・社会的圧力があり、他方、たたみ中心(お座敷)の家の構造があってあんな形になったのであろう。いずれにせよ放しておく訳にもいかず、かといって座敷にあげる訳にもいかずという中途半端でネガティブな理由だから犬にとっても人にとっても心地いいはずがないのだ。犬がいるところではどこでも犬に噛まれるという事故は起こるが、つなぎ飼いされている犬は特に危険だと思っている。放されている犬はむやみに人に噛みつくということはまずない。(但し噛み癖のついた犬やある種の犬種やそのために訓練された犬は別として)昔、ボクの子どもが小学生だった頃、友だちの家の犬にひどく噛まれ病院に駆け込んだことがあった。その時の犬も終日つながれていて、散歩にも出してもらえない状態だった。

 さて、日本近代百数十年の間に犬の飼い方も大きく変わってきた。江戸時代以来の地域犬という在り方があった(これを飼い方にいれるかどうかはともかく)。この地域犬はいつからか野良犬と呼ばれるようになって、昭和30年代頃までは街や村にウロついていたものだ。一方、明治の上流階級で始まった欧米直輸入の「従者としての犬、主人と共にある犬」は権威と権力の象徴として、またファッションとしてその後も上流では続いている(そういう人たちはもともと犬小屋などでは飼わない)。大正・昭和以降、次第に国民の多数になっていく中産階級にあって家庭犬が普及する。これは戦後、経済の発展とともに国民的習慣として定着した。犬小屋のある風景である。その延長線上に平成のペットとしての犬、室内飼いされ服を着、美容院にも行くという犬たちが出現する。今では茨城の片田舎の当地(石岡市柿岡)にも犬の美容院があって、つくづく時代は変わったと驚く。犬族もいよいよ近代の恩恵に浴するようになったのである。

 どの時代が犬にとって幸せだったのか、どれが正しい飼い方なのかと問いたいところだがそれは愚問だろう。犬は人との関係において犬なのであり、犬の歴史は犬と人の関係の歴史であって、その時の犬のありようはそのままその時代の人と社会のありようなのである。犬は人と社会に合わせて様々な顔をもって私たちと共に近代を生きてきたのであり、それは犬という家畜の懐の深さともいえよう。それは猫がいつの時代でも同じ「吾輩は猫」だったのと比べるとよくわかる。犬は人と社会を映す鏡なのである。S
by kurashilabo | 2012-02-05 16:47 | 鈴木ふみきのコラム