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鶏舎の窓から

 さて、鶏を屠場に預けてきました。大き目のケージに8羽ずつ入れて運ぶのですが、捕まえる時は逃げるので、こちらも必死ですが、ケージに入れ終り、農場を離れ、いざ屠場に下ろす時になるとひどく申し訳ない気持ちになりました。生きれば10年も生きるのに、人間の都合でたった2年でお肉にされるのだから、当然といえば当然なのだけれど。鶏肉の案内用紙にも書いたように、頭では、ここの鶏は近代養鶏と違うんだ、とか、生きている間彼らがどのように生きたのか、それが大事なんだ、とか偉そうな事を言っていますが、それは言ってみれば人間の側にある意味・理屈の世界。それを与え合って満足している。実際にはそこに鶏はおらず、鶏の姿をした意味を乗せるためのモノがあるだけだ。鶏はそういう世界を生きてはいないのだから、40日で肉になろうと、2年で肉になろうと同じなのかもしれない。そんな事をぐるぐる考えながら帰ってきました。(鶏の事は鶏に聞いてみないと分かりませんが、人間(社会)にとっては40日で肉になるとの2年で肉になるのは全然意味が違う)
 「高級○○地鶏○○円!!」のような商品コピーと比べると、随分湿っぽい事を書いていますが、鶏担当としての気持ちをこうして週報に載せてお届けできるのは良いコトだなぁと思います。「まがりなりにもプロなんだったらそんな事を言うか?」という意見もありそうですが、精神的な負担を一方に置き去りにして、自分たちはおいしいところだけいただく、というのが現代社会の闇の部分だと思うのでそこにはきちんと対抗したい。そういう訳なので、気持ちはすっきりせずなんだかモヤモヤしながら、そして感謝していただく、というのが正しい姿勢だと思います。まぁ、食べれば美味しいですからね。ちなみに、歴史的には野鳥の時代から何千年とかけて馴化して、ようやくこんなにおいしい鶏を食べられる時代になった訳ですから、人類の歴史の総体からみれば、「何をそんな事でぶつくさ言ってるんだ、ありがたく食え」と怒られそうですが。
(2011.10.14)


イバ
by kurashilabo | 2011-10-15 21:16 | 週報からの抜粋