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ふみきコラム エネシフトナウ②

一人が食べる米の量を仮に月10kg程度とすると(そんなに食べない?)年120kg、これの生産に必要な田の面積は2~3畝(60~90坪)程度である。小麦、大豆、野菜などを加えても1反歩(300坪くらい)ほどの田畑があればまかなえる(動物性のものは省略)。水田や畑を作り、米や麦や大豆…等々の植物たちと共生関係を組めば人間1人たった300坪程度の地面で生きていける。料理や暖房など外部エネルギーとしての薪炭に必要な山林はおおよそその3倍程度であろう。

たったそうれだけの面積の地面に注ぐ光エネルギーで人間は生活できる。これが農業社会のエネルギー効率である。伝統的共同体や風土という装置はエネルギーという観点からいえば、光エネルギーをより効率的に利用するために成立してきたのであり、その一つの完成型であるといえる。7月の水田は文字通り、緑一面の太陽パネルである。

私たちは農というエネルギー産業の効率を日頃忘れている。エネルギー問題という時、この水田・畑・山という農業社会的エネルギー装置の価値はもっと正当に評価され、有効利用が考えられてよいのではないか。そのエネルギーだけで江戸時代には3000万人が十分生活できたのである。

産業革命以後、人類は石炭・石油というエネルギーを使い出した訳だが、これは生物史がはるか遠い昔、長い長い時間をかけて蓄えた光エネルギー(を化学エネルギーに換えたもの)だ。これは過去の貯金なのでそれを引き出す技術さえあれば一気に使うことができる。物を大量生産できるようになり、遠距離大量輸送が可能となり、人口が増え、物が増え便利になった。近代はこの貯金を惜しみなく使うことで加速度をつけ、現在の物質的な繁栄を築いてきた。蕩尽はきっと快楽なのである。

近代化の果実はむろん農業にも及んでいる。化学化(農薬、化学肥料、様々な農業資材・・・)機械化、等々すべてそうである。かっては家族総出でやっていたコメ作りも現在では80の爺さんでもできるようになった(失礼)。かっては体内でC(炭素)を燃やしてするしかなかった多くの仕事が、今ではCを外で燃やしてすることができるようになったからである(機械化等)。楽になったというのはそういうことである。

ちなみに近代農業を批判して有機農業する人も(自分のことですが)ほとんどの人は沢山の機械を使う。皆車も使うし、その生産物の販売も近代輸送システムに依存している。農薬や化学肥料を使わない等はエネルギー的にはごく小さな問題で、そのような意味では有機農業も実体的には近代農業の一つの形であるといえる(だから何?)。

それはさておき、現代農業の効率は現在の光エネルギーと過去の貯金を同時に使うことで成り立っているということである。(投下されたエネルギーに対して得られるエネルギー比率はその分低くなっていて、農としての原理的効率は大変悪化している)現在問題となっている原子力は全く性質の違うエネルギーで(核分裂とか融合とか)農業方面では全く役に立たない。原子力トラクターも草刈機もできない。原子力エネルギーは外燃機関にしかならず、図体が大きすぎ、使い勝手が悪い。(その熱で水蒸気を発生させ、タービンを回してはじめて利用できる)それで発電とか大きな船くらいしか使えない。結局、爆弾のような雑な使い方が似合っているエネルギーなのではなかろうか。原子力で電気の3割をまかなっているといっても農業的エネルギー、化石系エネルギーなどエネルギー総体からみればそのウェイトはごく小さいのではないか。使い勝手は悪いしリスクばかり大きくてどうしてこんなものに手を出したのか不思議なくらいである。S
by kurashilabo | 2011-07-02 10:23 | 鈴木ふみきのコラム