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ふみきコラム エネシフトナウ

この機会に農場のエネルギー事情を見直そうということになった。一番の眼目は月6万以上かかっている電気料を限りなくゼロに近づけようということである。最初は原子力発電分3割減と考えたが、ここはもっと過激に「エネシフト・ナウ!」なのである。

都市生活、とりわけマンション暮らしなどは現代のエネルギーのインフラを前提に成り立っているので節電程度のことしかできないかもしれない(それもむろん大事)。しかし農場ではいろいろな工夫が可能だ。薪でご飯を炊く(現在はガス)、エコトイレ(糞尿の堆肥化、現在は水洗)ムロを作る(野菜の保冷庫は使わない)、風呂は太陽熱で、等々。地震で3日程停電した時、その不便さが意外と新鮮で、懐かしい感じさえしたのだ。日ごろは気付かないが私たちはもう過剰な便利さにあきれているのではないか。エネルギーを沢山使って便利になればなるほど失われていくものがある。ある種の身体感覚のようなもの、多種多様な環境情報。便利さ、快適さは豊かさではない。電気料をゼロに近づければそれだけジョイフルライフになる、そのような方向での「暮らし方革命」というのもおもしろいのではないか。

鈴木流に言えば新石器革命以後の人類史を復習するという事である。これは“実験生活”ではあるが、3.11以後の時代を生きていく時その感覚はどこかで役に立つはずだ。が、その前にエネルギーというものを原理的に復習しておこう。

エネルギーという側面からみると農業やここの暮らしはどうみえるのか。(中学の理科の復習のようで恐縮ですが。)御存知のように、物理法則に逆らって物を動かすにはエネルギーが要る。りんごが落ちるのは物理法則だが、落ちたリンゴを持ち上げるにはエネルギーが要る。この場合は筋力で、体の中で炭素(C)を燃やして(O2)エネルギーを発生させている。そのCは一般には食物としてとり入れ、O2は呼吸によってとり入れる。生物の体は実に効率の良い燃焼機関で、ご飯と魚と味噌汁くらいでかなりの重労働(仕事)ができる。ナマケモノなどは体温を少し下げ、ゆっくり動くことで、なんと1日手の平大の葉7枚で生きていけるそうである(スローライフ!)。でそのCはどこからくるかといえばそのほとんどは緑色植物の光合成による(化学合成の話は省略するとして)。光合成はいうまでもなくCO2とH2Oから光エネルギーを利用して有機化合物(でんぷん・C)を作る働きだ。そこで光エネルギーが化学エネルギーに変換され、(光エネルギーを炭素として蓄え)それを燃やして(呼吸)あらゆる植物の生長も、結局は動物の活動や運動も為されている訳である。

夏の野山は一面の緑だが、それは太陽パネルと同じで、ボー大な量の光エネルギーをとり込み、化学エネルギーに変換して蓄えていることになる。だが残念な事に自然状態の化学エネルギー(C)はほとんど人間は利用できない。薪や炭、あるいは少々の狩猟採集くらいで大変効率が悪い。農業という営みは、いわばその太陽パネルを人為的に組織し、できる限り効率良く人間が利用できる形にするということだ。基本は食物として取り込むということだが、馬車が動くのもそうだし、林業まで含めれば薪や炭、建材などもそうである。農業社会とはこの緑の太陽パネルが生み出すエネルギーによって動く社会のことであり、それは現在の光エネルギー(太陽)を利用するシステムだから、エネルギー量は大きくはできないが(加速度がつかない)永続性がある。(続く)
by kurashilabo | 2011-06-24 22:08 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)