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ふみきコラム 渋谷のデモに行ってきた

6.11脱原発全国行動の呼びかけがあって渋谷までデモに行ってきた。
当日農場は田んぼの除草日で、人が来るので他の人は動けず一人だけの参加となった。東京の空気も吸いたかったし。若い人のファッションに見とれたり、「オー!ここがあのNHKか」などと、ほとんど「おのぼりさん」気分でした。

デモは「エネルギーシフト」というネットワークが企画したもので、穏やかなものでした(グリーン&ピース?)。音楽に合わせ風船と花を持って渋谷・原宿あたりを一周して終わり。一人さびしく参加かと思ったら、思いもかけず会場でYちゃんやM君(しばしば農場に来てくれている)と一緒になり楽しい一日となった。

デモをしたから何がどうなる訳ではないが、こうしたデモを政治行動としてみるのは妥当ではない、おそらく。自分としては政治的効果よりも、一日をそのために使うのはフクシマを忘れないため、祈りに似た行動だという気がする。それはたぶん災害現地にボランティアで入るのと同じく本質的に「贈与」的なものなのだ。今は全く見かけないがその昔、日蓮宗の僧侶や信者が列を作り、タイコを打ち鳴らしながらナンミョーホーレンゲキョーを唱え歩いていたがそのようなもの。あるいはずっと昔、時宗の人々が(時衆)ナムアミダブツと念仏を唱えながら街道を踊って歩いていたようなもの(踊り念仏)。性格的にはそれに近いと思っている。今回は「エネシフト・ナウ!」という念仏だった。

それはさておき、おだやかなデモもいいが、そこにデモ特有の怒りが感じられないのはなぜだろう。自分の中をのぞいても東電や原発への強い怒りが渦巻いている訳ではない。東電のバカとか、困ったものだとは思うがそれは怒りではない。日頃、畑で隣のオヤジが除草剤などを撒いて、それがほんのちょっとこちらにかかっただけでも一日中不愉快で怒っていたのに。放射能を撒かれて東電に怒らないのはどういう訳だ。当のフクシマからも怒りは響いてこない。無いはずないのに。なぜ本気で怒らないのだろう。それが不思議。原発事故の被害への補償を求めることはできるしそれは当然だ。しかし自分や子供の体が放射能で汚染され将来へのリスクを背負うこと、畑に種をまいたり、その稔りを食することができないこと、家を追われ、故郷を失うというということ、つまり自分の歴史をまるごと失うということ、そういうありえない現実を何がしかの金銭で受け入れるというのは間違っている。そういう性質の問題ではない。全然バランスしていない。見捨てられ、つながれたまま死んで腐った牛の写真がある。それは人ではないが起こっていることはそういうことである。それをそのままにしたら牛も人も土地も「たたり神」になってしまうのではないか?かつて水俣では「怨」という旗をたてて、消費に浮かれる都市民を驚かしめたものだ。しかし、そのように表現され、社会的に押し出されることでミナマタはたたり神にならずに済んだ(のだと思う)。「東電打ち壊し」などというノロシがあがってもよさそうなものではないか。(提案、あるいは扇動するものではアリマセン)。

震災では日本人の内在化された秩序意識が賞賛された(そうだ)。略奪が起こらないとか、並んで待つとか助け合うとか。しかしそれだけが日本の伝統ではない。中世以来「打ち壊し」は日本の伝統であり、江戸時代の一揆はもちろん近代になっても大正7年の米騒動あたりまでそれは続いている。日本人は穏やかなだけの民族ではない。近代化の深化とともに(左ヨク運動も含めて)そのような直接性、肉体性は精神の深奥に閉じ込められてしまったが、60年代あたりまではその残り火がチロチロしていた気がする。内山節にならって言えば、日本人がキツネにだまされなくなった60年代に最終的に人間が変わったのだろう。キツネにだまされなくなった精神はまた身体性を失い、散文化してしまったのである(身体の形而上学化?)。もっとも「東電打ち壊し」の一揆が呼びかけられても、小生などは手足まといであるから参加はしませんが。S
by kurashilabo | 2011-06-18 21:57 | 鈴木ふみきのコラム