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ふみきコラム 311以後①

放射能は全くもってやっかいなものだ。「放射能が心配で…」とばらばらと人がやめている。農場としてはゆゆしき事態だが「規制値以下だから安全」などと言っても仕方ない。そもそも規制値以下なら安全などという根拠は無い。放射線はどんなに低いレベルでも一定の危険因子となる。病院でバシャバシャとレントゲンやCTをとるたびに私は不安になる(子どもが入院した時、毎日のようにレントゲンをとってひどく心配したものだ)。病院のレントゲンレベルだから安全などというのはおかしい。あれは危険だがそれ以上のプラスがあるものとして仕方なく受けているものだ。

また風評被害という言い方も妥当ではない。ホーレンソーが汚染されていれば他の野菜も怪しいと考えるのは合理的だし、怪しいものは食べないというのは何も間違った行動ではない。放射能に安全レベルというものはないのだから。フクシマやイバラキの野菜がどんどん相場を下げているのも当然のことなのだ。(むしろこんな時にフクシマやイバラキの野菜を食べようとするのはフツーではない)

しかし逆に「規制値を越えているから危険」というのも同様に根拠やデータが無い(おそらく)。300とか500とか1000ミリシーベルトレベルになれば直接的被害が目に見える。しかし年間で10ミリとか30ミリというレベルだと危険だと言おうとすればそう言えるし、さほどでもないとも言えば言えそうである。(日常的に放射性物質を扱いなれている人は案外アバウトなように見受けられる)規制値などと言うと何か根拠があるかのように思うが実際はグレーゾーンがひろがるばかり。底なしの沼のように、確たる根拠、事実がどこにもない。

そのようであるから放射能というコトバはいともた易く妄想となる。事実以前に死の影を滞びた不吉なコトバとして人々の心に巣喰い制御不能な妖怪となる。「東日本に一匹の妖怪が徘徊している。放射能という妖怪である…」この妖怪を退治するにはその巣である「フクシマ第一」を封じ込めるしかない訳だが…新聞や週刊誌を読むたびに暗たんたる気分になる。数ヶ月、いや年単位かかるなどと簡単に言い、よりシビアアクシデントへの展開の危険性を排除できないと専門家はささやいている。どうしろと言うのか。この暗澹たる気分と恐怖をかかえて生きていくしかないのか。焼け跡にも何がしかの希望はある。ヒンシュクな言い方だが、津波でガレキの原野となった写真にも「必ずまた立ち上がる」というコトバを与えることができる。しかし原発事故の周辺は喪失と死の影が漂うばかり。ニンゲンの言葉が届かない。未来も希望もない。

有機農業はいわずもがな、農業は清浄な空気や水、土を前提にしている。それへの信頼の上に全てが成り立っている。土や空気や水や光を野菜や米や卵に換えるのが農の営みである。それが崩れたらオ・シ・マ・イ。事態はもはや農業者の手を離れている。

今日、私はサラダナやサニーレタスの定植をのどかな春の日差しの中で終えた。
農業者はそうするしか能が無いから。
どんな事態になろうと少なくともボクは食べてあげるからね。S
by kurashilabo | 2011-04-09 20:48 | 鈴木ふみきのコラム