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ふみきコラム0402

放射能をどのように怖れたらいいのか困っている。放射能が怖いというのは理屈以前に身体に刷り込まれていて、そんなことは分かっている(と思う)。広島・長崎の原子爆弾、繰り返された米ソの原水爆実験、ビキニ環礁での焼津の漁師の被曝、チェルノブイリ、それらと同時代を生きてきたのだから(原爆の時は生まれていなかったが)。

しかし現下の状況で放射能の危険性を声高に語るのに躊躇している。よくないとさえ思う。野菜が出荷できなくなるから、ではない。現段階では放射能自体の現実的危険より、放射能という観念、放射能は怖いというあいまいでうすらぼんやりした気分のほうがはるかに危険だと考えているから。

事故を起こした原発で、おそらくは使命感をもって苦戦している人々を別に考えるとすれば、現状のレベルの汚染ならば、今後放射能そのもので身体を壊す人はほとんどでないだろうと思っている。大甘と言われようとそれが私の判断。それに比べて、放射能は怖いというあいまいでうすらぼんやりした気分はこれから沢山の人の、失わなくてもいい生活を失わせ、失わなくてもいい土地を失わせ、失わなくてもいい命を失わせるだろう。それを恐れている。

先日、福島で有機農業を営む男性が首を吊って死んだ。これも失わなくてもいい命だったはずだ。福島県のどこかで規制値を越えたとかでキャベツが出荷できなくなったからだという。詳しい事情は知らないが、キャベツ3千個が出荷できなくなった位で普通、人は死なない。放射能汚染というコトバが彼の頭を真っ白にし、未来や希望を失わせたのではなかろうか。もう何をどうしようとだめなのだと。規制値というのはおそらく必要なのだろう、政治的・社会的には。しかしそれは恐怖にお墨付きを与えるものでもあるのだ。

フクシマの他の有機農業者はどうしているのだろうか?フクシマでは多くの農民が農業を失うのではなかろうか?フクシマの農業者をこそ救うべきではないか?フクシマを見捨ててはならない。フクシマの農業者の運命はやさと農場の明日でもある。仮に近辺で汚染が規制値を超える様な事態になれば(そうならないことを祈っている)野菜の出荷はストップすることになるだろう。それが長期化するようであれば、即、農場はたちゆかなくなる(自転車操業だから)。つまり農場を失う。これはどう考えても理不尽なことだ。実に多くの人の熱意と人生を積み重ねて、からくも維持してきた農場の歴史と現在をまるごと失う損失と、出荷している野菜の放射能汚染による実質的被害を比べればそれがどれほど理不尽なことか分かるだろう。放射能ということばはそういう力をもっている。怪物なのである。

私自身は汚染が規制値を越えても野菜を食べるし、数倍越えても食べるし、フクシマの野菜をもってこいと言いたい位だ。その程度の危険因子は自分の身体にとって無視できる範囲と思うから。(姜も、いや菅総理もフクシマの野菜を食うというパフォーマンスを示すべきではないか、その昔厚生大臣だった頃、カイワレ大根を食ってみせたように。)日頃、日常的に呼吸困難や胃からの出血や、腰痛や腕の痛みを抱えてヨタヨタしている身にとってみれば、そんなことはどうでもいい位。放射能は痛みもかゆみもないみたいだし。むしろのどかな春の一日、たんぽぽの咲きほこる畑に寝ころんで心ゆくまでまどろみたい。S
by kurashilabo | 2011-04-02 20:28 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)