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里山ジオ・ピクニック  春の餃子まつり2015_c0177665_20414870.jpg

春爛漫の里山・やさとを満喫するプラン♪

今年は「やさと盆地」の地形が織りなす不思議なジオの世界に触れてもらいます。

お昼はやさと農場の鶏・豚肉を使った餃子バー開店☆
手作りの発酵麦茶とともにお楽しみください。

食後は里山ジオピクニック。
筑波山地域ジオパーク構想に関わる地元の案内人の超絶マニアックなガイドのもと、この大地を作った何億年も昔の出来事に思いを馳せます。

山が笑う新緑の季節。お友達をお誘いあわせの上、ぜひ皆さん気軽に遊びに来てください。


【と き】4月5日(日)11時~17時
 ※午後から農場を車で移動するので遅れてくる場合でも、必ず12時半までにご来場ください。

【ところ】暮らしの実験室やさと農場とやさと周辺
     昨年とは違うコースになります

【参加費】3,000円(大人/アルコール有り)
     2,500円(大人/アルコール無し)
     1,500円(小中学生) 乳幼児無料
*お酒を持参は自由です。その場合は「アルコール無し」をお選びください。
 午後に里山ウォークがあるので、適量に控えてください。

【定員】30名
 ※定員になり次第締め切ります。

【スケジュール】
 11:00~ 集合
 11:30~ ランチ(餃子バーなど)
 13:00~ 移動、ジオピクニック
     山小屋カフェ森羅荘でコーヒーが待ってます!
 16:30~ 現地解散
 *里山ピクニックは、休憩を含み2時間半~を予定しています。
 *昨年より歩く距離が長くなります。全長3km程度の山道です。

【服 装】動きやすい服装、靴でご参加ください。

【雨 天】悪天候の場合は中止いたします。
     当日の朝ご連絡いたします。

<ガイド紹介>
矢野徳也さん
筑波山地域のジオツアーガイド。岩石からその地質を読み解く地学が専門ですが、植物についても詳しい解説をしてくださいます。

環境省委嘱 自然公園指導員
日本自然保護協会自然観察指導員
東邦大学理学部生命圏環境科学科 訪問研究員


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【申込方法】
フォームから事前にお申込みください。
http://goo.gl/3I41oG

【連絡先】
tel/fax 0299-43-6769
e-mail kurashilabo@gmail.com
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# by kurashilabo | 2015-03-13 20:39 | お知らせ

 田を借りたからといって必ずしもそこを自由気ままに使っていい訳ではない。地権をもつ人から借地して、書類を作り、農業委員会に提出すれば手続きとしてはOKだ。誰に文句を言われる筋合いはない。はずなのだがそう簡単ではないところが農地の難しさだ。例の「開拓地」の作業は水路を作ったり、草を燃やしたり、ゆっくりではあるが少しずつ進んではいる。ところがいつも車を停めさせてもらっている人から「ちょっと遠慮してくれ」と言われてしまった。地区の人が集まった折、「どうして知らん人たちに貸しているのか」と言われたのだそうだ。ムラはまわりの目を四六時中気にしなければならないところだ。ムラには必ずそういうことを言う人がいる。大半の人は「まぁいいではないか」と思っていても一人でもそう言う人がいれば無視できない。やっかいなことではあるが、ここにも農地のもつ公共性という問題がからんでいる。農地は法的には地権者の私的所有物だ。しかし現実には個人のもの以前に部落(地区)の土地であり、部落のみんなが慣れ親しんできた風景としてそこにある。地権者が煮て食おうが焼いて食おうと勝手という訳にはいかない(今はそうする人も少なくないが)。だからどこの誰だかわからない人(ヨソモン)に貸せば話題になり必ず何か言う人がいる。ボクらは「侵入者」であるからそれは仕方ない。大勢でワイワイガヤガヤと作業に入ることも多いから目立つということもあるだろう。そこは自覚して気をつけねばならない。

 こうしたことはムラの排他性としてネガティブに語られることが多い。しかしこれはムラのエゴというより元来ムラの自治に関わることで、自治には多かれ少なかれ排他性が含まれる。現在はかってのムラ共同体は解体してしまったし、街の人との混住化も激しいし、世代も交代しているので排他性も弱くなり陰口、あるいは愚痴程度のものになっている。ボクらへの奇異の目も遠からずやわらぐだろう。

 ムラの人たちの眼より気になるのはケモノたちの眼である。雨上がりの午前中、歩いていく道に点々と真新しいイノシシの足跡が続いている。ついさっきそこを歩いていたかのように生々しい。シノ竹林に分け入れば至るところにケモノ道があり、何か掘り出して食べたのだろうか、あちこち掘り返している。ここは彼らの生活圏であり、夜はシシガミの支配する土地なのだ。昼は山の奥にひそんで人の気配をうかがっているに違いない。北の方で原発事故が起きて以後、山の汚染が彼らを汚染し、食用不可が続いたおかげでハンターも来なくなり、増殖を続けているようである。(*2014年、石岡市では基準値超えのイノシシ肉は出ていない)
昼と夜で場所をシェアできればいいが農業の如きことを始めればそうも言っていられない。彼らを排除しなければ何の収穫も期待できない。ここは専守防衛でいくしかないか。農場の河村さんは何の目的なのか知らないがワナ猟の資格を持っている。しかし罠は捕獲した時は生きている訳だから、身動きできない彼らを突き殺さなければならない。しかしそんなことをしたら彼らはタタリガミになってしまうではないか?それは困る。そもそもワナ猟はだまし打ちでフェアじゃない。

 開拓はいつの時代もこの問題に悩まされる。常陸国風土記の行方郡の条に(茨木空港のあるあたり)6世紀頃のこととして谷津田開拓のエピソードが残されている。ヤハズノウジ麻多智という者が新田を拓こうとすると「夜刀の神」が仲間と共に現れておおいに妨害した。怒った麻多智は彼らを打ち殺し追い払うのだが同時に彼らを神として祭るのである。「この標より上、つまり山の上は夜刀の神の土地としよう。だが山の下の土地は人々が耕作する田である。今から後は自分が神を祀る祝(ほふり、神主のこと)となって永代にわたって祀るから、けっして夜刀の神は土地を追い払われたことを恨みに思ったり、人々に祟ってはならない」 こういうやり方もある。とはいえ「祀る」というメンタリティはまだボクたちに残されているのであろうか。 S
# by kurashilabo | 2015-03-07 17:02 | 鈴木ふみきのコラム

やつだ開拓団(仮)募集要項_c0177665_14162499.jpg
荒れ果てた耕作放棄地を開拓しよう!
やつだ開拓団(仮)団員募集
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お腹が空いたら「ぐぅ」と鳴る。
眠たくなったらまぶたが下がる。
そんな風に自分の体のサインが分かる。

けれど、ちょっとイライラした時、
運動が足りていないのか、
食事のバランスが取れていないのか、
心配事がストレスになっているのか、
その理由が分からない事もあります。

そんな風に、人は自分が潜在的に求めているもの、
不足しているものが何なのかが分からなかったり、
人に言われて初めて気がついたり、
期待していなかった体験に思いのほかハマったり、
する事があります。


私達は、現代人に足りていないもの、それが『開拓』だと思います。

荒れ果てた大地に自由に夢を描き、
それを一つ一つ実現していく楽しみ。

食べものを育てたり、果樹を植えたり、
基地になる建物を建てたり、炭焼き小屋を作ったり、
地形を活かして沢の水を使って何かをしたり、
山に入って山菜や木材を調達したり・・・。

鎌を持ち、草を刈り、
鍬を持ち、田を耕す。

誰に指示される訳でもなく、自分たちのやりたい事をゼロから考え、自らの体を動かして実現していく事が出来ます。真っ白なキャンバスに無数のアイデアを乗せる事ができる、それが耕作放棄地です。

■土地■
 舞台となるのは石岡市十三塚。筑波山に登る傾斜にあたる地域で、そこに独特の温帯が発生することから、みかんの栽培が可能になり、更に、りんご、葡萄、柿、栗、梨も加えて市内の果物スポットになっています。
 十三塚という地名の由来は、12匹の猫が1匹の大ねずみを命と引き換えに退治して、そのお墓が13つ並んだ事から付けられた、という、この地区の民話からきています。
 耕作放棄地は、この山間の谷になった場所にあります。ここは、30年前まで稲作が行われていた場所です。「筑波山の水をひいた田んぼだから、お米がとても美味しかった」と地主さんのおばあちゃんは話してくださいました。しかし山間の谷津田は耕作しにくく、やがて作付けされなくなっていきました。「またお米が取れたらぜひ食べさせてほしい」と、おばあちゃん。

■なぜ今、開拓なのか■
やさとは筑波山系に囲まれた自然豊かな地域です。しかし目を凝らしてみると、耕作放棄地は増え、果樹園は後継者不足で木が伐られ、子どもも減っています。土地を開拓し利用する事で、そこに人の営みが生まれ、賑わいが戻ってきます。そして、地域の自然を復活させ、活用し、守ることで豊かな風景が帰ってきます。里山を再生することで地域の人が喜んでくれる事は私たちにとっても大きな喜びです。

そしてもう一つ重要なことは、開拓は開拓する私たち自身が一番楽しい、という事です。田畑はもともと森林や湿地、草原だった場所を人が手を入れて作物を育てられるようにした場所です。ある意味では自然破壊ともいえますが、そのことによって生息できる新たな動植物もいます。しかし人が手を入れなくなると、そこはまた元の自然に戻っていきます。そうなると藪になり、猪が住みつき、荒れていきます。耕作放棄地は、人と自然が最もせめぎあっている場所、ともいえます。そのような場所を開拓するというのは、人類が長年かけて行ってきた歴史を追体験することだといえます。そしてその上で、その地形を読み解き、どうやれば自分たちに有益な場所を作り出せるかを考えるのは、実にエキサイティングなことです。そんな風に、実際に自分の体で作り上げる喜びは言葉では表せないものがあります。

食べものを自給し、エネルギーを自給し、子どもにも大人にも教育効果があり、いざとなればそこで暮らすこともできる。そのような場所を自分達の手で作り出し、持つ事は、これからの人生に大きな安心と充実を与え、かけがえのない財産になるはずです。

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<募集要項>

入団費 1万円/年(2015年12月まで)
(入団しなくても開拓活動に参加できます。)

【団員になると】
 ・開拓地の使い方を一緒に妄想する
 ・収穫したお米、その他の収穫物を分け合う
  (お米は一人10kgを上限)
 ・参加費割引

▼現在の進行状況▼
2月 草刈り(葦、イバラ、低木、シノダケ)
   刈った草を集めて燃やす

★今後の活動予定日
①3/21-22(土日) 水路作り、整地作業(予定)
②4/11-12(土日) 田んぼの準備(あぜ作りなど)(予定)
○5月      田んぼの準備(予定)
○6月      目指せ田植え!(予定)

★参加費
利用料1,500円/1日+食事 500円/1回
*団員でない方は+1,000円/1日をいただきます(イベント経費)
*農場に宿泊してもしなくても3,000円/2日になります。

★3月の締切 
 2015年3月17日(火)

<開拓地面積>
 4反くらい(約40アール/1,200坪程度)

<開拓作業>
*月に1~2回程度作業日を設けます。
*団員でなくても作業に参加することは可能です。興味のありそうなお友だちがいれば是非誘ってみてくださいね。

<申込方法>
以下のフォームからお申込みください。
http://bit.ly/1AFiWTj

# by kurashilabo | 2015-03-04 14:19 | お知らせ

歴史から抜け落ちた、耕作放棄地の時間を起動する

 その「開墾地」に至るには普通の道路から枝分かれした脇道を100メートルほど下らなければならない。この道がいかにも狭い。しかも下り坂で左側は崖だ。一部簡易舗装がしてあるとはいえ軽トラックで通るたびにヒヤヒヤする。雨の日やその直後は怖いのでその手前で車を止め歩くことになる。普通車は入れない。その坂を下り、沢にかかる石橋を渡ればあとは荒れた耕作放棄地が続くばかりだが、ボクたちが借りている場所はそこから更に100メートル位先である。道らしいところもあるが、地図では(地積図)道は途中で無くなっていてただ使っていたと思われるところを登っていく。草は刈ってあって歩くに苦労はないが、至るところイノシシが掘り返したあとがあり、ヌルヌルとすべり、現状では軽トラも通せない。

 その地を長く使っていくのであればこれではいかにも不便なので別の進入路はないものかと地図を眺め、数日周辺を歩き回っていた。しかしやはりどこにもない。畑と違って谷津田はヤト(谷)にあるので両側は山だ。50年位前までは使っていたと思われる道は途中で崩落していたり、消えていたりで使えない。それに昔の道は車のことは考えていないのでそもそも狭く、下りが急すぎる。新しく道を作るには地権の問題がある。沢に橋をかけるには水利組合の了解も必要となる。さてどうしたものか。

 今日、新しい「田であったとおぼしき場所」を「発見」した。先日借りている田に水を引く水路の元を探してシノやイバラをかきわけながら沢の奥の方に分け入った時、アレ?と思う場所があった。地図ではそこは山だと思っていたのだが、夜グーグルマップで見るとやはり田である。むろん現状はシノ竹やイバラの原野だが田であったところは皆そうなっているからわかる。今日、今度は山の上のほうから藪をかき分けて下り、その場所を確認した。狭いとはいえ2反歩(2千平方メートル)くらいはある。驚きだ。まわりのどこにも道はなく、山とヤブが人を寄せつけないのでよほど意志して分け入る人でなければそこは見ることさえできない。そしてそんな人はまずいないから誰も見ることがなかった場所。

 耕作放棄地は歴史から抜け落ちた場所であり、そこでは時間が止まっている。一人で坐っていると本当に静かだ。その静かさは音が無いということではなく時間が止まっているから。それは死や自然の属性だ。人はことばを使うことによって不可避的に時間を生きてしまう。だから死も自然も直接には触れることができない。「耕作」という人為の痕跡を残しつつ「放棄地」であることによって限りなく自然に還りつつある場所、そこは自然自体よりも余計に死と自然を想起させる。それが耕作放棄地の不思議な気配であり静けさなのだろう。ボクらはそこを再び人為の側に呼び戻そうとしている訳だが人が動けば時間も起動する。静けさは去るだろう。そがはいいことなのかどうかはわからない。しかし人間はそのようにしか生きれない。少なくとも「文明化」された人間は。

 いや、道の話しだった。考えた末、山の中を通る古い道を整備して使うのがやはり一番いいだろうと思い至った。一部崩落しているところはう回路を作るしかない。愚行の第一歩として?  S
# by kurashilabo | 2015-02-28 16:58 | 鈴木ふみきのコラム

 その「開墾地」に至るには普通の道路から枝分かれした脇道を100メートルほど下らなければならない。この道がいかにも狭い。しかも下り坂で左側は崖だ。一部簡易舗装がしてあるとはいえ軽トラックで通るたびにヒヤヒヤする。雨の日やその直後は怖いのでその手前で車を止め歩くことになる。普通車は入れない。その坂を下り、沢にかかる石橋を渡ればあとは荒れた耕作放棄地が続くばかりだが、ボクたちが借りている場所はそこから更に100メートル位先である。道らしいところもあるが、地図では(地積図)道は途中で無くなっていてただ使っていたと思われるところを登っていく。草は刈ってあって歩くに苦労はないが、至るところイノシシが掘り返したあとがあり、ヌルヌルとすべり、現状では軽トラも通せない。
ふみきコラム 開拓日記③_c0177665_12354181.jpg
 その地を長く使っていくのであればこれではいかにも不便なので別の進入路はないものかと地図を眺め、数日周辺を歩き回っていた。しかしやはりどこにもない。畑と違って谷津田はヤト(谷)にあるので両側は山だ。50年位前までは使っていたと思われる道は途中で崩落していたり、消えていたりで使えない。それに昔の道は車のことは考えていないのでそもそも狭く、下りが急すぎる。新しく道を作るには地権の問題がある。沢に橋をかけるには水利組合の了解も必要となる。さてどうしたものか。

 今日、新しい「田であったとおぼしき場所」を「発見」した。先日借りている田に水を引く水路の元を探してシノやイバラをかきわけながら沢の奥の方に分け入った時、アレ?と思う場所があった。地図ではそこは山だと思っていたのだが、夜グーグルマップで見るとやはり田である。むろん現状はシノ竹やイバラの原野だが田であったところは皆そうなっているからわかる。今日、今度は山の上のほうから藪をかき分けて下り、その場所を確認した。狭いとはいえ2反歩(2千平方メートル)くらいはある。驚きだ。まわりのどこにも道はなく、山とヤブが人を寄せつけないのでよほど意志して分け入る人でなければそこは見ることさえできない。そしてそんな人はまずいないから誰も見ることがなかった場所。

 耕作放棄地は歴史から抜け落ちた場所であり、そこでは時間が止まっている。一人で坐っていると本当に静かだ。その静かさは音が無いということではなく時間が止まっているから。それは死や自然の属性だ。人はことばを使うことによって不可避的に時間を生きてしまう。だから死も自然も直接には触れることができない。「耕作」という人為の痕跡を残しつつ「放棄地」であることによって限りなく自然に還りつつある場所、そこは自然自体よりも余計に死と自然を想起させる。それが耕作放棄地の不思議な気配であり静けさなのだろう。ボクらはそこを再び人為の側に呼び戻そうとしている訳だが人が動けば時間も起動する。静けさは去るだろう。そがはいいことなのかどうかはわからない。しかし人間はそのようにしか生きれない。少なくとも「文明化」された人間は。
 いや、道の話しだった。考えた末、山の中を通る古い道を整備して使うのがやはり一番いいだろうと思い至った。一部崩落しているところはう回路を作るしかない。愚行の第一歩として?  S


# by kurashilabo | 2015-02-28 12:31 | 鈴木ふみきのコラム