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12/30(水)到着の野菜セット(レギュラー)

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人参 2本
大根 半本
ネギ 250g

コカブ 400g
小松菜(みすぎ) 320g
小松菜(楽天) 280g
ほうれん草 210g
ビタミン菜 200g

正月なのでイレギュラーな出荷となっています。今週はイモ類など重いものは避け、葉物類だけにしました。

ネギはいつも通り1本ネギです。ハモノは小松菜が2種類入っています。小松菜は品種(銘柄)によって全く異なる外観を呈します。1種類は一見にして小松菜と分かるものです。春3月用に蒔いたものですが暖かいので育ってしまった。もうひとつはもっと色が薄く葉が卵型のもので、伸びすぎているので葉先は落としています。このタイプはあまり市場出荷はなく自家用に作る程度です。小松菜は緑がこれでもかという位濃いものが一般的ですが、それはそれで不自然なものです。ホウレンソウも同じで品種で大きく異なります。農場では春先と秋のはじめに西洋ホウレンソウ系のものを作付し、メインは日本ホウレンソウと西洋ホウレンソウを交配した品種を使っています(その中にも銘柄はいくつもある)。その他はビタミン菜、コカブです。大根、人参はいつも通り。1月の出荷は1月9日(着)となります。

一年いろいろありがとうございました。来年がいい年でありますように。
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by kurashilabo | 2015-12-29 16:45 |  L 今週の中身 | Comments(0)

12/26着の野菜セット(レギュラーサイズ)

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ジャガイモ 400g
里芋 400g
大根 半本
人参 2本
ゴボウ(高) 320g

白菜 半個
コカブ 330g
チンゲン菜 300g
アブラ菜 250g
ほうれん草 190g

あたふたと日々を過ごしている間にもう年の暮れ、早いものです。残りの人生などすぐに終わりそうです。ここしばらくは暖かったのですが月曜の天気予報では最低気温がマイナス5度となっていて、いよいよ本格的な冬の到来です。
出荷は冬の定番のメニューになりました。ジャガイモ、里芋(唐芋)、大根、人参、ゴボウ。ジャガイモはマチルダでメークインに似た食感です。里芋は唐芋の子芋と親芋の人がいます。親芋は根のある下側を少し切り落とした方が食べ易いかも。味はいいのですが、煮崩れるくらい火を通してください。(ゴリっと感が残らない位)。大根は半分。人参も全体的に育ちすぎで大きいのもあります(味は変わらない)。ゴボウは高橋さんからです。
葉物としてコカブ、チンゲン菜、アブラ菜、ホウレンソウをとりました。アブラ菜は正月菜とか冬菜という名前でタネは売られているものです、おひたしなどにして美味しくいただけます。伸びすぎているので葉の上端を切り落としています。(ハモノの葉先はあまりおいしくない)。

次週の出荷は正月になるため変則的ですが30日(水)着となります。また時間指定は混雑のためその通りには着きそうにもありません。出荷する野菜は、大根、ニンジンの他は重いものはいれません。ネギ、ホウレンソウ、小松菜(2種類)、コカブ、壬生菜ないし水菜(採れれば)、ビタミン菜などハモノ中心になります。 S
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by kurashilabo | 2015-12-25 17:49 |  L 今週の中身 | Comments(0)

ふみきコラム ~昭和30年代の暮らし②

 「暮らしの原型」と言ったけれども、ではもし昭和30年代的な農業や暮らしを復元的に実践したならば、私たちは再び自然との親和的な関係を取り戻すことができるのだろうか?。そこには沢山の発見や癒しはあるだろう。それは間違いない。しかしそこに出現する「縁側、あるいは庭的空間」がかってのように人と自然の共生装置として機能すると期待するのはあまりにナイーブすぎるだろう。なぜならそれが活き活きと動き出すためには暦や神話と祭、年中行事、様々なレベルでの共同体、そうしたソフトが不可欠だからだ。しかし残念ながら失われたコスモロジーは個人の努力ではいかんともし難い。もうそれは民俗学と昔話しの世界となった。私たちの見るニワトリも稲も筑波山も昔の人の見ていたそれではない。現代は動物も植物も自然も生も死も限りなく散文化してしまった。私たちはそういう世界の住人だ。再び内山節にならえば1965年を最後に日本から伝統的コスモロジーは失われたのである。

 世界記憶遺産に登録された日本人に山本作兵衛という人がいる。筑豊の炭鉱で働いていた大正時代の人だが当時の庶民生活を独特の絵と言葉で残している。どの絵も興味深いが、その中に服を着た沢山のキツネの男女が怪我をして包帯で巻かれた男のまわりに集まっている絵がある。彼の少年時代のこととして炭鉱でケガをした人の家にこのように医者のなりをしたキツネたちがやってきて、好物である「焼けた皮」を食べてしまったというのである。彼はそこに「これは本当のことだから仕方がない」と注釈までつけているのである。彼は見たことしか書いていないから、これは想像でも戯画でもない。これが彼にとって事実であったのだ。ボクはツマラナイ人間だからUFOなど信じないが、このキツネのニセ治療はもっと信じ難い。イスラム国の世界観は僕からははるか遠いが、山本氏のコスモロジーはそれよりもっと遠いかもしれないと。キツネが服を着てそんなことをしていたとは!その山本氏はボクの親より少しだけ昔の人にすぎない。短い間に世界はそれ程変わったのだ。

 ならば「昭和30年代的」な暮らしの復元にどのような意味があるというのだろうか。先日、このコラムにコメントして会員の井野氏が30年位前の「未来社会と材料工学を考える」という座談会の記録の一部を送ってくれた。材料工学研究仲間の座談会で、あまり一般向けではないがその中で井野氏は次のように言っている(要旨)。「現代の工業社会の問題は1960年をターニングポイントとしてエネルギーや資源の多消費型の近代化の方向に進んだからで、その時環境と調和したゆるやかな発展や農業を壊さないような発展の方向をとっていれば今とは違っていたはず」「1950年代を今後の生産・生活スタイルの一つの目標とすべき」「一次産業にもっと人口が投入されるべきでエネルギー資源を少なく使う代わりにもっと人間の労働を使うべき。技術集約型の生産ではなく労働集約型の生産が必要だし、経済価値だけを判断基準にするのではなく、人間生活にとってどういうものが一番いいのか、そういうことも含めて労働や生産を考えたい」等々。こうした発言に対して「井野先生がおっしゃったことは、毛沢東がやろうとして失敗したことだと思うのです。」といった突っ込みもあって、それも確かにと思わないでもないけれど。

 しかし昭和30年代を目指すべき理想としてイデオロギーにしてしまうと毛沢東になってしまうけれども、井野氏の言っていることはそういうことではなく、昭和30年代以後の発展の在り方として、今と違う道も有りえたのではないか、ということだと思う。私たちは戦後はこういう道しか無かったと思っているし、近代もこういう形しか知らない。だがありえたかもしれないもう一つの戦後、オルタナティブな近代というものを「昭和30年代」を回顧する形で想像することはできるだろう。現代がどこか行き詰ってしまい先が見えないならば尚更それは必要な思考であるのではないか。

 田園回帰派の言っていることはほとんど「昭和30年代的」ということばで包括できてしまうが、彼らの実践も田園回帰などというものではなく、ありえたかもしれないもう一つの戦後、オルタナティブな近代の生き直しという思想運動としてみた方がいいのかもしれない。 S
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by kurashilabo | 2015-12-19 18:23 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

12/19のお野菜セット(レギュラーサイズ)

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(キャベツを撮りそびれて修学旅行に欠席した人みたいになりました)
ジャガイモ 400g
里芋 400g
人参(高) 2本
大根 半分
カボチャ 適宜
ネギ 220g
ゴボウ 350g

キャベツ 1ヶ
コカブ 340g
ビタミン菜 280g
小松菜 180g
ほうれん草 180g

今日は冬の到来を思わせる寒さとなり、朝は霜柱でバリバリでした。ハモノは昼の11時からの収穫となりました。ハモノ系としてはホウレンソウ、小松菜、ビタミン菜、コカブです。ビタミン菜はシャクシ菜と小松菜の中間的なハモノで鍋などにも使えます。キャベツが入りましたがこれで終わりです。畑に置きすぎていることもあり、一部裂球したり、下から傷んだりしていて切り落としたり外葉をはがしています。ゴボウは高橋さんのもの。次週もう一度出します。人参も高橋さんから。カボチャは普通の栗カボチャですが、時期的にホクホク感はあまりありません。里芋系は唐芋の子芋(エビイモ)です。粉質系でねばりは少な目です。ジャガイモはマチルダ。大根は今回半割の人が多くなりました。
畑作業は大方冬の支度を終え、あとは散らかしてある資材類の片付け等々になります。しばらくは冬ごもり、かと思いきや、1月からは例の「開拓」が本格的に始まります。冬は冬で忙しい。 S
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by kurashilabo | 2015-12-18 22:20 |  L 今週の中身 | Comments(0)

ふみきコラム ~昭和30年代の暮らし

 昭和30年代の暮らしと今の暮らしの違いは何だろう。「昭和30年代はいい時代だった」といかにもトシヨリっぽく言う時、その何がよかったのだろう?あの貧乏な時代の。くだくだ考えて「縁側、あるいは庭的」という言葉にたどり着いた。むろん象徴的な意味でだが。

 手っ取り早く言えば「縁側あるいは庭的」とはこの農場のような空間のことである。畑には多種多様な作物が育てられている。ニワトリや豚が昭和30年代的に飼われている。これらは出荷用ではあるが、かと言って商品経済一辺倒の近代農業のように「モノ」として扱われている訳ではない。山羊が飼われ馬もいる。犬や猫がうろついている。夜ともなればまわりの林やヤマからタヌキやアライグマやら野良猫が侵入し、残飯やニワトリを狙っている。そこは人が終始手入れをし、作物を育てたり動物を飼ったりしているという意味では人間に属した空間だ。しかし同時に野生、あるいは自然も力強く息づいている。外に開かれている内側、そういう場所だ。
これを行為としてみれば、「家畜化」ということになるだろう。ニワトリは東南アジアに棲息する赤色野鶏を長い年月をかけて家畜化したものだ。今は文字通りニワトリとして人間界の住人になっている。しかし人が「飼う」という行為を止めれば野鶏としての本質を現し自然に帰っていくだろう。彼らは人間界の住人でありかつ自然界の住人でもあるという両義性を生きていて、そのことによって人と自然を媒介している。豚であれ犬であれ猫であれ、かつまた稲であれ大根であれ皆同じである。

 農地もまた同じだ。農地というのは自然実体としてそこにもともとある訳ではない。原野を切り拓き、人が年月かけて飼い慣らしてきた地面、それが農地だ。そして人が「管理する、手入れする」という行為を止めればその本質を現しまた自然に帰っていく。人間界に属した土地であり、かつまた自然の地面であるという両義性において人と自然を媒介している。家畜化された地面なのである。

 同じことを田園回帰派的に言えば、「自給」ということになるのではないかと思う。田舎暮らしする人は何でも自給しようとする。これはむろん「お金がないから」ではない(自給するとよりお金がかかることもしばしば)。実は自給こそ田舎暮らしで目指されていることなのだ。田舎暮らし系の本を開けば一目瞭然、そこには自給の楽しさしか書いていない。食べ物はもちろん畑、衣服、住居、エネルギーなんでも自給だ。

 で、自給とは何かといえば、自分のために作るということであるから、その行為自体に没頭できる。そこには飼う、育てる、耕す、作るという行為が最もピュアな形である。それは交換経済から最も遠いところ、「ひたすらの贈与」によって対象をわがものとしようとすることなのである。そのようにしてわがものとされた、すなわち家畜化された動物や植物、地面や小屋だけが人と自然の回路を開くことができる。こうして自分の周りに「縁側、あるいは庭的」空間が出現する。これが自給ということであり、田園回帰派の夢だ。(彼らが総じて貧困なのも当然かもしれない。目指しているのが非交換経済の世界なのだから)

 このようにみてくれば有機農業というものもまた違った見方ができるだろう。一般に有機農業は農薬や化学肥料を使わない等という指標で語られている。しかしより本質的に言えば近代農業が交換経済一辺倒になることで失ってしまった「飼う」「育てる」「耕す」という行為のもつ贈与性を回復しようという実践だ。そして再び人と自然の親和的な関係を取り戻す。それが有機農業だ。だからたとえ無農薬無化学肥料でも大面積の単一作物を機械と人を使って栽培し市場出荷しているならそれは有機農業とはいえない。有機農業は自給性が高く大規模にはなり得ない。また、このような見方からすれば自然農法と有機農業の違いなどさして問題にならないだろう。

 昭和30年代までは人の生活が「縁側、あるいは庭的」な空間で営まれ、「家畜化」された動物や植物、小屋(プリミティブな住居)、地面であふれ、田舎に住む多くの人はその中から暮らしに必要なものを取り出して暮らしの基本を作っていた。「縁側、あるいは庭的」エリアを介して人と自然が親和的に暮らしていた。それは経済と技術の発展段階のしからしむるものではあったが、確かに「暮らしの原型」といえるものがそこにあったと思うのである。 S
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by kurashilabo | 2015-12-12 18:20 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

12月12日着の野菜セット(レギュラー)

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ジャガイモ 400g
里芋(高) 400g
人参 適宜
大根 半分
カボチャ 半分

白菜 半分
チンゲン菜 250g
水菜 180g
コカブ 240g
ほうれん草 120g
春菊 80g
生姜 一部の人
紫黄人参 一部の人

白菜を採りましたが虫が多く(アブラムシ、ヨトウ虫、ダイコンハムシ等)、外葉を多く除いているので見苦しいものもあります。大小あるので1ヶの人と半割りにした人があります。白菜はかさばるのであまり出荷できませんが、沢山いる人は別途送りますのでご連絡ください。里芋は普通のドダレで高橋さんからの出荷です。カボチャは白皮系のもので皮は硬いので削りとってください。白皮系のカボチャは保存性が高いのですが、この時期になると表面が傷んでいるものが出てきます。取り除いてご利用ください。また甘みは少ないのですが、バターや玉ねぎと相性がよく、洋風料理向きです。人参は育ちすぎて大きくなりすぎたものが多かった。11月がとても暖かかったためです。大根も育ちすぎなものが多いため半分にしました。ハモノはほうれん草、コカブ、春菊、水菜、チンゲン菜ですがそれぞれいつもより少量にしました。ショウガは一部の人。またみかんが見本で入ったひとがあります。一部の人に紫人参と黄人参が入りました。これは河ちゃん畑からのプレゼント。今回入れたジャガイモ、カボチャ、みかん等、全体的に表面が濡れています。これは昨日、一昨日と大変寒かったのに今日突然高温多湿になったので「結露」したためです。雨に当たったわけではありません。 S
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by kurashilabo | 2015-12-12 11:10 |  L 今週の中身 | Comments(0)

12月5日着の野菜セット(レギュラー)

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●ジャガイモ 400g
●唐芋 適宜
●人参(高) 2本
●大根 半本
●生姜 1ヶ
●ネギ 260g

●キャベツ 1個
●ほうれん草 180g
●チンゲン菜 300g
●春菊 170g
●小松菜(間引) 140g
●ノラボウ菜(間引) 100g
●みかん 600g

キャベツを1ヶ入れました。1ヶは多いかと思いますが、今年は11月以来暖かく、次々に烈球して畑においておけません。ハモノとしてほうれん草、チンゲン菜、春菊のほかに小松菜と春のトウ立ちを使うアブラ菜(ノラボウ菜という品名)の間引き菜を入れました。柔らかくて美味しそう。ネギをとりました。今年はネギの出来が良くなく、少なめで1週おきに出す予定です。今回のは1本ネギ系のものです。里芋は唐イモの親を中心に入れました。唐イモは親芋も子芋も使える品種です。親芋の根の出て来る下3分の1くらい、ややゴリ感があります(切り落としてもよい)。また、煮るときは煮崩れるくらいよく火を通すとおいしくいただけます。生姜は地生姜で細身です。地域で普通に作られている品種で、近江生姜のような太身のものは作りにくい。大根も育ちすぎのものが多く、半分に切っています。ジャガイモは品種はマチルダです。マチルダはメークインに似てホクホク感はありませんが煮崩れしにくい品種です。今年は男爵が不作でしたのでマチルダ中心の出荷となっています。人参は高橋さんから。みかんは宣伝でご試食くださればありがたいです。 
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by kurashilabo | 2015-12-04 15:40 |  L 今週の中身 | Comments(0)