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ふみきコラム ~鎮魂の儀式

収穫祭の前夜に「鎮魂祭」なるものをやることになっている。のだけど何をどうやればいいのかまだ何も決まっていない。催しの理由というか目的ははっきりしている。日ごろ豚を殺したりニワトリをシメたりしてそのお肉や卵を頂いているにもかかわらず、そのお礼を何もしていない。御礼とはいっても相手は死んでしまっているのだからそれは彼らの魂を鎮めあの世に送り、お肉や卵を私たちにもたらしてくれた自然(グレートマザー)に感謝するという形をとるしかない。

畜産というのは人間が勝手につけた理屈をはがしてそのまま見ればひどく残虐な行為であるからそれを続けていると気持ちがすさんでくる。負債感が蓄積してオリ(澱)のように心の底にたまっていく。それは精神衛生上よろしくない。そして「いい畜産」を考えてより動物たちの心身に寄り添えばそれだけこの負債感は大きくなるというやっかいなものなのだ。鎮魂際はそれを帳消しにするための儀式でありマツリである。「殺してごめんね。おいしくいただきました。ありがとう」ということだ。

が、モデルが無い。(あるかもしれないが知らない)。そもそも魂とか鎮魂とか言うには、あの世とか神サマがいなければならない訳だけれど「そんなものは存在しない」というのは我々が受けてきた教育であり、日常生活もその前提のうえに出来上がっている。突然、魂とかあの世とか神々を持ち出してきても実感を伴うものではないし、どのようにそれを表現したらいいのかも皆目わからない。戦後精神を生きてきた人間には答えが出せない。

・・・焦る。やさと農場の「秘儀」鎮魂祭はあさってだ。何でもいいから式次第をひねり出さなければならない。で、思いつくままデッサンしてみる。

●火をたく。 これは毎回(といっても2度しかやっていないが)やっている通り。
火の神はアイヌの伝承ではこの世とあの世をつなげるメッセンジャーである。

●呪文を唱える。 儀式はことばのない世界との交流であるからことばは使用しない。呪文は音であり、人と自然をつなぐものだ。とりあえず「ノーマク サマンダーバザラダン センダマカロシャヤ ソワタヤウン タラタ カン マン」を繰り返すとしよう。これは不動明王の呪真言でポピュラーなものだ。意味はどうでもよい。呪真言だから。

●「鉦」をたたく。 むろん本物の鉦はないから澄んだ金属音がでればよい。「場」を作る。

●五体投地をする。 大地にひれ伏すという最もプリミティブな祈り。
チベットのカイラス山のまわりを五体投地しながら巡るチベット仏教徒やボン教の信者の映像を見たことのある人もいるだろう。そのまねっこ。ちなみに古い時代には日本にもあったし、今でも成田山新勝寺では(堂の中でその場を動くことなく)「行」としてやっているはず。

●動物模写。 動物になりきるパフォーマンスで動物の世界を想像する。メンバーそれぞれ豚やニワトリや犬、猫、山羊、ヘビ、クモなどになって大地を這う。人間としての恥じらいは捨てる。

●豚の頭骨、豚足、ニワトリの頭、卵、米、野菜等を火に投げてあの世に送る。

ウーン。何か足りないような気もするが、ま、いいか。「踊り」が欲しいがイメージが湧かない。歴史教科書にもよく取り上げられている「一遍上人絵伝」の踊り念仏をやってみたいが、絵はあってもどんな振りと音なのか映像がないからなぁ。太鼓と踊りだ。

ちなみに野菜や米も鎮魂というのはいかなることか。野菜や米には魂は無さそうだけど(生きとしいけるものすべてに仏性があるとする考え方は日本仏教の伝統ではあるが)これは大地の恵みに感謝するということで一緒に。

サテ、どんな儀式になることやら、ちなみに体験、見聞したことはむやみに口外しないように。世間一般で通用する話ではありませんので。どんなカルトかと疑われそうだし。  S

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by kurashilabo | 2015-10-30 16:11 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

茜染めワークショップ+暦と陰陽五行+冬の養生トーク

2015年春にスタートした手仕事シリーズの第3弾は、再び、養生のための衣食を自給する冨貴工房の冨田貴史さんに来ていただき、「茜染め」をやりたいと思います。

人は古来から自然の恵みを受け取り、活用し、役立てながら、自然と共生してきました。
季節の巡りを心身で感じ、その時その時に必要な養生法をを自然と身に付けて生きてきたのではないかと思います。
季節感の薄い都市生活にすっかり慣れてしまった現代人は自然のリズムを見失っています。

でもほんの少し立ち止まって、ひんやりと冷たい土や石の感触、野に咲く草花の色、風に乗ってやってくる様々な香り、虫の声や鳥たちのさえずりなどに意識を向けてみるとみるみるうちに五感が目覚めていくのがわかります。そして心と身体が軽くなっていくのです。

農場に来た人たちが口をそろえて「癒される」「元気がでる」「眠くなる」と言うのはきっとそのためです。
暮らしの中にほんの少し、自然を感じたり、五感を使う機会を取り入れいけるといいですね。

今回も冨田さんに、染めだけでなく、日本で大切にされてきた月と太陽と地球のリズムから生まれた「旧暦」や「陰陽五行」のこと、冬の養生のことをお話ししてもらいます。この機会をお見逃しなく。


【日 程】11月14日(土)12時~15日(日)17時

●暦と陰陽五行のお話し(+昼食付)
 14日(土)11時半受付 16時終了予定
 参加費 3500円

●冬の養生を学ぼう
 14日(土)20時~22時
 参加費 2500円

*土曜日通し参加の人は6000円で夕食付になります。

●茜染めワークショップ(+昼食付)
 15日(日)8時半受付 9時~17時
 参加費 5000円 +染め素材代(手ぬぐい、ふんどし、Tシャツ、ショールなど)

★2日間通し参加費 12,000円
  (WS参加費、宿泊利用料、4食・おやつ付)
 ※染め素材代は別途かかります
 ※近くの温泉に行く場合も入浴料は各自お支払ください
 ※宿泊しないで通いで参加される場合は-1000円となります。
 ※農場の会員割引は今回適応されません。

【定 員】 
各回15名まで ※定員になり次第締め切ります。

【申し込み】
以下のフォームからお申込みください。
お友達を誘った場合はお友達にもこのフォームから申し込みしていただけるとありがたいです。

http://goo.gl/forms/gcCGByzmCT

【茜染め】
「衣服は大薬」という言葉があるように、服は薬です 。
皮膚から直接、びわ、ちょうじ、藍、茜などの薬効を取り込むことを「服用」と言いました。
本来衣服は、作って、着て、薬効が落ちてきたら染め直し、長年大切に使われてきました。
大地に根ざす茜の根は、下半身の保温力を高め、免疫力、解毒力を補ってくれます。
また、茜色は地上に降りた命が母親の胎内で見る色、地球上で初めて見る色であるといわれており、子供の精神を沈静する効果があるといわれています。
直接肌に触れる衣服を本来のあり方に戻していくことで、衣食住と私たち命のつながりを見直していけたらと思います。

【講師プロフィール】
冨田貴史(冨貴工房代表) http://takafumitomita.blogspot.jp/
京都在住。ソニーミュージック~専門学校講師を経て、全国各地で年間300本以上のイベント・ワークショップを続けている。ワークショップのテーマは暦、エネルギー、手仕事(茜染め、麻褌、鉄火味噌など)自家発電など。大阪中津にて養生のための衣食を自給する冨貴工房を営む。
疎開保養「海旅camp2015」共同代表。「21st century ship 海旅団」代表代行。
『原発事故子ども・被災者支援法』を活かす市民ネット代表。
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by kurashilabo | 2015-10-22 13:43 | お知らせ(告知) | Comments(0)

暮らしの実験室 収穫祭2015 開催します

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今年も1年間、無事に食べて暮らすことが出来ました。

農場があることに、大地に感謝して、皆さんと楽しいひと時を過ごせたらと思い、今年も収穫祭をひらきます。

ぜひお友だち誘って遊びにきてください。

【日 時】11月1日(日)11時~16時(準備は朝から)

【会 費】大人 2,500円(お酒あり)
        2,000円(お酒なし)
        1,000円(18歳まで)
         無料(3歳以下)

★お料理の持ち込みも歓迎です。会費を500円引かせていただきます。

【内 容】
ランチパーティー、餅つき、鎮魂式(前夜)
(体験)里芋掘り、薪割り、足湯、竹細工、トウミ
(展示)今年の制作物、開拓地、写真展など
(*内容は変更する場合もあります)

【申込み】以下のフォームからお申込みください。
http://goo.gl/NsQEHS

【締切り】10月26日(日) 

★前日・当日に宿泊することもできます。(定員18名)
 宿泊利用3,000円/会員1,000円 食事1回500円

★前日および当日早朝入りしてお料理や装飾など、収穫祭を盛り上げてくれる人大歓迎です。

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フォームから入力できなかった人は以下の内容をメールでお知らせください。
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参加者名:
同行者の氏名:
◎大人:  名(アルコール有り)
◎大人:  名(アルコールなし)
◎子ども: 名(4歳~18歳まで)

連絡先(携帯番号など):

前日宿泊希望…する/しない( 時到着予定)    
当日宿泊希望…する/しない

■e-mail/kurashilabo@gmail.com
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by kurashilabo | 2015-10-21 09:19 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム ~田舎志向の今と昔

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 「帰りなんいざ、田園まさに荒れなんとす」ではないが、近ごろ「田園回帰」という言葉を聞くことが多い。とりわけ「地方消滅」論の増田レポートを批判する文脈で。「増田レポートは最近の、とりわけ若い世代の田園回帰志向を見ていないのではないか。地方から都市へ、だけでなく都市から地方へという逆流が始まっているではないか」と。

 この農場のある石岡市八郷地区(旧八郷町)は地方移住の先進地域のひとつで、若い移住者が多い。そして確かにここ数年、その流れが加速している気がする。われもわれもという感じで。それが表層的で一時的なものなのか、それとも新しい地殻変動の兆しであるのか、サテ。気分はあるが足腰が無い気もするのだが。ボクは田舎に移り住んでもう40年近くなるから今に続く田園回帰のハシリだったといえる。当時の田舎志向は今と比べるともっと意志的というかイデオロギー性が強かった。まだ「田舎から都市へ」というベクトルばかりで、都会人が田舎に移住し農業をやるという発想自体がトンデモナイ時代であったから。常識に抗ってそういう人生を選択するには何がしかの「思想」のようなものを必要としたのだろう。

 「都市から田舎へ」というムーブメントにはいくつかの契機があった。ひとつはヒッピームーブメントの潮流で、これはベトナム反戦運動などとからんで先進国に同時代的に発生したもので、「現代文明への異議申し立て」という性格をもっていた。日本では田舎(というより山間地など)に移住し農業をやりながら共同生活をする「コミューン運動」という形をとるものが多かった。いまひとつは「成田空港建設反対運動」で(三里塚闘争)、そこでは「遅れたもの」でしかなかったムラや農が現代を批判する実践的視座として新しい装いで登場していた。もうひとつは「食べ物の農薬による汚染」に反対する有機農業運動である。そこでもムラと農業に新しい光が当てられていた。

 戦後の「都市から田舎へ」という意識や人の動きはこれらが絡み合って70年代初頭に登場したのである。そして「たまごの会」が面白かったのはその3つすべてがひとつの釜の中に混在していたからではないかと思う。全体としては「有機農業による安全安心の食べ物」を求める市民運動とみられていたし、農場をみればそこはコミューン運動だったし、「たまご革命」ではないがその活動に「現代」を越えていく鉱脈があると皆思っていた。

 ボクはたぶんそういう中で「農業者」になったので昨今の「今は田舎がトレンド」的な風潮になじめない、ないし戸惑っているのではないかと思う。しかしこれは自分が悪いのでも若い人たちが悪いのでもない。時代が変わったのだ。ポスト冷戦構造とか、IT化で抑圧の質が変わったとか、今は安全安心の食べ物ではなく安全安心の人生こそが求められているとか、そういう大きな話はこの際置いておこう。

 ここで指摘しておきたいのは田舎もまた変わったということである。象徴的にいえばいまこの農場から車で2分のところに「セイコーマート」があり、5分で「セブン」と「ファミマ」がある。コンビニは都会の出店のようなものだろう。スマホとパソコンがあり、宅配制度は完備し、道路はよく整備されている。車で幹線道路に出ればそれこそあらゆるお店がそろっている。農場暮らしとはいっても都会生活と変わるところがない。

 また先に述べたように百姓スピリットをもった世代、1960年代までのまだムラがムラとしての命脈を保っていた時代に農民として自己形成した世代が去り、ムラの人はもはや「ムラビト」ではなく基本的に都会の人と変わるところがない。若い人は特にそうだ。よく言われる排他性もずい分弱くなった(むしろ都会人に媚びている)。

 私たちはいまだに「都市と田舎(地方)」という言い方をする。しかしすでに田舎などというものは無く、「郊外」があるだけなのだ。おそらく。日本全国どこへ行こうと。そう考えれば「移住」とはいっても要は緑がいっぱいの「郊外」に住むというに過ぎないのであろう。越えるべきハードルなどそもそも無いのである。 S
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by kurashilabo | 2015-10-16 12:18 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム ~耕作放棄地という空き地

 耕作放棄地は一般にネガティブに語られることが多い。本来あってはならないこと、なんとかしなければならない問題として。しかしそこには耕作、あるいは農耕を無意識に善と考える農本イデオロギーのようなものが潜んでいる気もする。普通に考えれば必要なければ作らないのは当然だし、自然に還すのも悪いことではない。もともと過剰に耕作していたのである。
 
 また耕作しなくなって誰が困っているかと考えてみると、実は誰も困ってはいない。米も野菜も十分に足りているし(大量の食料輸入という現実はみておかなければならないが、その最大のものは家畜飼料で、輸入が止まれば現在の畜産は成り立たなくなる。)農家経営が困る訳でもない。(農家としてカウントされている人たちの8割以上はすでに実質的には農業から離れていて、その主たる経済は農外収入になっている。勤めているとか年金とか)むしろ中途半端に作ればそのために農業機械を揃えなければならないし、諸設備や資材を考えれば収入は相殺されて苦労だけが残ることになる。

 かように耕作放棄地とは社会にとっても農家(?)にとっても必要が無くなった土地のことなのである。日本が工業的に成功し、豊かになり、都市化した結果必要がなくなり棄てられることになった土地。ここ40年来急速に拡大し、これからも増えていくはずの無用の地。空き地。そこをどうするか、どう再利用するかは国土利用上の基本問題になっているはずなのだが行政も誰もそこには触れない。見てみないふりをしている。

 話がそれるが、昨今、田舎では雨後の竹の子のたとえそのままに至る所にソーラーが出現している。(私事になるが先日山梨の自宅に帰ったら隣接する一反歩の農地がソーラーになっていてびっくり。あまり愉快なことではないが阻止する法的手立てが無い。)このソーラーはすべて荒廃した里山か耕作放棄地に作られていて、そういう意味では棄てられた土地の再利用という面がある。固定価格買取制度のおかげで無用で「お荷物」であった土地が何年か後には確実にお金を産むのであるから農家がなびくのも無理はない。

 サテ、この「空き地問題」を誰もが見て見ないふりをしているのはそこに農地法と所有権の問題がからんでいるからだ。ウカツなことは言えないのである。農地法は戦後の農地改革を受けて1952年に施行された大変強い法律で、農地の農外利用や非農家が農地を取得することを原則として禁じている。(現在では規制緩和の圧力も強くなっている。「農家」自身も「じゃまもの」に思っている。売りたくても売れないから。また農業振興区域外ではもともと規制はゆるい)どんなに荒れていても行政上農地は農地であり続け、農地法の規制を受けるのでそれをクリアしないことにはどんなアイディアも実現できない。

 所有権の問題はもっと難しい。現在農地はすべて私的所有されていて、それを誰もが当然のこととして疑問に思わない。農家も「土地資産」と考えて恥じるところがない。しかし農地は自動車や住宅やお金のようにその人に全的に属するものとは本質的に違う。「私有物」である以前に、この列島に住む人々がそこに食い物を依存しなければならない地面としてその昔から「公共財」としての性格をもっている。それゆえ原理的に言えばそこを農地として利用する限り、その人に優先的にな使用権が発するのは当然だが、農地として使わなくなれば本来、公共の地面としてより高次の「公」に戻されるべきものだ。そのような意味で農地にあるのは所有権ではなく耕作権だと思う。歴史的に言っても農地が私的所有されるようになったのはさして古いことではない。もともとイエとかムラという共同体所有であり、同時により高次の「公」(藩とか天皇とか)のものでもあった。そこに私的所有の考えが導入されたのは明治の地租改正(地券の発行)からで、現在のように私的財産だから「煮て食おうが焼いて食おうと俺様の勝手」的になったのは戦後も戦後、ムラ共同体の解体以後のことではなかろうか。

 ややこしい話になって恐縮だが農地に関してはあまりの非常識が常識になっている。農地が本質的にもつ公共性と、制度としての私的所有の矛盾、そこをどうにかしない限り「空き地問題」の見通しは暗い。夢想ではあるが、もしその「空き地」が国民的な「入会地」のようなものとして公共的に管理され、希望に応じて使うことができるようになれば、われこそはと多くの人がそこに参入してくるのではあるまいか。 S
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by kurashilabo | 2015-10-09 16:06 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム ~「地方消滅」は必然?!

 「2040年までに全国の約半数(896)の中小自治体は消滅する」とした2014年の日本創成会議によるいわゆる「増田レポート」は「地方消滅」というショッキングなフレーズとともにひとしきり人々の話題となった。今では少し下火になったが「空き家問題」(地方では空き家がどんどん増えて困っている)などとともに「地方は崩壊しつつある」という暗い予感を多くの人に与えた。何の対策もたてずに自然過程に任せればそうなっていくという予測自体について根本的な異論を唱える人はほとんどいない。ボクも地方の「安楽死」は更に深まっていくだろうと思う。ただそれはひとつの結論、長い過程がいよいよ終点に近づいてきたということであり、タイムスパンをもう少し長くとらないと現象の全体像や意味はつかめないし、対策も「若い人たちに定住してもらうには(子どもを沢山産んでもらうには)どうしたらいいか」といったところに留まってしまうのではないか。

 ここでしばしば触れてきた「里山の荒廃」や「耕作放棄地」の問題もその「長い下り坂」のひとつの局面であり、地方消滅の前史であるともいえる。耕地より広大なエリアであった里山は1960年代にほとんど一夜にして「消滅」し、ただの荒れた山になってしまった。エネルギー革命や(薪炭から石油、電気へ)農業の近代化の結果である。耕地の遊休化は里山ほどには急激ではなかった。少し詳しく言うと、1960年代までは使える耕地はどんなに条件が悪くとも隅々まで耕作されていた。そうしなければ食えなかったのである。米の消費量は現在の2倍あったし、食料の輸入は少なく、小麦や大豆等の国内生産も多かった。機械化は進んでいなかったが田舎は大量の余剰労働力(次男、三男、外地からの帰還者など)を抱えていたから人力(と馬、牛)でそれができたのである。

 畑地は(地方によって異なるが)このあたりでいえば養蚕のための桑園が最も広かった。それが1980年代頃に養蚕の消滅とともに全て遊休化した(生糸の自由化による)。小麦や大豆も多かったが、これは輸入にとって替られ(コスト的に対抗できない)かってたくさんあったタバコも、これは需要自体が減ったこともあり最近では見かけることも少なくなった。サツマや落花生ももはや見る影もない。野菜類は産地化によって、産地以外のところでは経営としての栽培は成り立たなくなった。このようにして畑はあれども作るものがなく、「荒らさないための耕作」が急速に広がった。現在では近在で経営としての畑作物をみることは少ない。一見耕作されているようでも実質は遊休化しているのである。田については70年の減反政策(米余り)以来、条件の悪い小谷津田や山間の田(棚田)などから遊休化が進んだが、多大な資金を投入して圃場整備した「優良農地」は米価が政策的に維持されてきたこともあり、最後の「聖域」として現在も美田として続いている。しかしそれも経営は個々の農家から集落に1~2軒ある中核的な農家(ライスセンター)に移行しており、TPP等で中核的農家が打撃を受ければどうなるかわからない。

 このプロセスは一言でいえば経済構造が変わったからだが、みておかなければならないのは人もまた替ったし「変わった」ということである。先回も述べたように戦後農業をその中核で担ってきたのは1960年代以前のムラで農業者(百姓)として自己形成してきた世代だ。彼らが90年代から2000年にかけてほぼ一線から消えた。ムラ共同体の解体と同じようにそれは目に見えにくいのでそのことの意味に注意を払う人は少ない。そこでひとつの時代が終わり、ひとつの文化が消えたのである。百姓スピリッツも死んだ。繰り返し言ってきた「1965年の革命」が人的にも完了したということである。その後に続く世代はその親の世代とは断絶している。自然に還りつつある耕作放棄地の増大はそのことをよく示しているだろう。

 農村は農林業をベースとして人もシステムも経済も構築されてきた。それゆえ農林業で自ら立つことができなければそこは単に遅れた都会にすぎないものとなる。「地方消滅」はそういう長いプロセスの必然であり終点(バニシングポイント)なのである。 S
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by kurashilabo | 2015-10-03 16:01 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)