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8月の農場は子どもたちで大賑わい

2014年今年の夏は特別に子どもたちの来場が多い夏になりました。
3年目となった柏の学習塾ネクスファの子どもたち(総勢19名)のキャンプが8月の第1週にあり(2泊3日)、そのあとは2日空けて、杉並のボーイスカウトから、カブ隊の子どもたちが12名やってきました(3泊4日)。


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自由時間たっぷりで、自分たちでご飯を作ったり、お風呂を沸かしたりと「自立」をテーマに遊び倒したネクスファと、規律や集団行動を身につけさせることが目標のキャンプ生活と、大人が考えたストーリー仕立てのプログラムで子どもたちを遊ばせるボースカウト。まったく異なるタイプのプログラムが農場内で繰り広げられて面白かったです。

そして、後半戦は、大人の合宿プログラムが2本あります。
千客万来。

こうして8月はあっという間に過ぎていきそうです。

★ネクスファのブログに掲載された報告
http://nextph.blog.fc2.com/blog-entry-271.html

(姜)
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by kurashilabo | 2014-08-17 09:58 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム 馬のはなし③

 日本の牡馬の気性が荒かったのは去勢されていなかったからでもある。欧米では種馬以外は去勢して利用するのが普通だったが日本では去勢は一般化しなかった。元をたどれば日本に馬が入ってきたのは4,5世紀の頃、北方騎馬民族の文化としてであるから去勢という技術を知らなかった訳ではないだろう。またよく言われるように古代日本は中国の律令体制にならって国家を作りながらかの国の宦官の制度は取り入れなかった。去勢という行為に何かしらの違和感があったのであろうか。これについて渡辺京二は「去勢をはじめとする統御の技法がほとんど開発されなかった(のは日本人が)馬を自分たちの友あるいは仲間として認め、人間の仲間に対してもそうであるように、彼らが欲しないことを己の利便のために強制するのをきらったからであろう」と述べている。

 付け加えることはないが、去勢や調教には「彼らは他者である」「人の利便のために存在する」という覚醒した意識が必要なのである。ところが日本での人と動物の関係は「かわいい、かわいがる、かわいそう」系列の言葉で表現されるような自他未分化で横並びのものであった。明治のはじめ東北から北海道を旅した英国の女性イザベラ・バードによれば「馬の性質が悪くなるのは、調教の時苛めたり、乱暴に取り扱うからだと以前は考えていたが、これは日本の馬の性悪さの説明にはならない。というのは人々は馬を大変怖がっていて、うやうやしく扱う。馬は打たれたり蹴られたりしないし、なだめるような声で話しかけられる。概して馬の方が主人よりよい暮らしをしている。おそらくこれが馬の悪癖の秘密なのだ。」「・・・馬に荷物を載せすぎたり、虐待するのを見たことがない。…荒々しい声で脅されることもない。馬が死ぬとりっぱに葬られその上に墓石が置かれる。」バードは旅行中に100頭近くの馬(駅馬)を利用したがその上でこのように言うのである。このような人と馬の関係からは去勢も調教という観念も立ち上ってはこない。

 明治の近代国民国家形成期になって日本も北海道開拓、軍馬としての利用、馬耕や荷馬車としての利用等として「調教」を輸入する。それは酪農や養豚養鶏など「畜産」の輸入と軌を一にしたものである。調教も畜産も「彼らは人の利便のために存在する」という自他のの区別と上下関係(垂直的関係)の意識が前提となる。明治とはこのように人と動物の関係に大きな転換が生じた時代であった。その「近代化」は一応成功したといえるだろう。しかしその時から、私たちの人と動物の関係はダブルスタンダードとなった。そのことの意味を私たちは未だに十分理解していない。それは例えば日常、犬や猫を溺愛しながら、他方、家畜たちの虐待と命に対する無関心が矛盾なく同居するという御都合主義ともなる。動物との関係のあり方は人と自然の関係、人と人の関係の在り方と相同である。そこのところはよく覚えておかなければならない。

 話しを戻そう。1960年代頃を最後に馬は役畜としての役割を終えた。北海道開拓にも軍馬にも必要なくなったし、運搬も馬耕も荷馬車もすべて機械に変わった。振り返れば日本人の馬との関係はその程度のものである。日本人全体からみれば乗馬を日常とするのも馬耕や荷馬車の利用もごく少数でかつごく短期間にとどまった。ヨーロッパやアメリカの映画を観ていると、しばしば馬への深い思い入れのような作品に出会う。近いところではコッポラ(?)の「戦火の馬」もそうだし、監督は忘れたが「すべての美しい馬たち」もなかなかいい作品だ。西部劇などほとんど馬の映画といっていい位である。日本の映画でそのような作品は記憶にない。馬の、文化としての厚みが違うのである。弁解する訳ではないが、ボクがリュウ君の去勢をどうするか悩んだり、その扱いに戸惑うのも(ムチを使うかどうかなどひとつをとっても)十分に歴史的理由があることなのである。 S

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by kurashilabo | 2014-08-09 16:48 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム 馬のはなし②

 ポニーのリュウ君は少々クセが悪い。噛みつくし、引き綱する時も道草は食うし、気に入らないと立ち上がり前足で蹴りかかろうとするし。要するに全く調教されていないのである。犬の場合だとちょっと肉の切れ端でも投げてナデナデしてやればたいていは従順になる。毎日メシをくれる人ならば尚更だ。ところが馬は美味しい餌をやろうとブラシをかけてやろうとそれはそれ、これはこれ。気にいらなければ反抗するのである。(考えてみればこれは当然かもしれない。犬や猫がエサをくれる人によく慣れ従順になる生物学的根拠を問えば、生育初期に親からエサをもらうからということに行き着くだろう。ところが馬は草食動物で、親からエサをもらうという経験をその生育過程にもっていない。ミルクを飲んで、あとは自分で草を食うだけだ。人が餌をくれたからといってそれはそこに草が生えているのと価値的には同じなのであろう。)

 リュウのクセが悪いといってもこれはリュウ君がとりわけ性悪というのではないようだ。渡辺京二の『逝きし世の面影』に面白い話しがいくつか収録されている。幕末から明治にかけて来日した欧米人の間では日本の馬は性悪で有名だったらしい。「…騎乗するのは(去勢されていない)牡馬のみであるが、常に注意深くしていなければならない。なぜならほとんどすべての馬は咬みつくクセがあり、また互いに歯や蹄で喧嘩し合うからである」「こいつらの大部分は慣らされておらず、獰猛で、ベンガルの虎と同じくらい背中に鞍を乗せるのを嫌がっている。」「日本には、性格のよい仔馬はめったにいません。蹴飛ばしたり、噛みついたり、前足を振り上げたりする機会を始終ねらっています。」等々。要するにほとんど調教されていなかったのだ。しかしそれは良し悪しではなく、そこに欧米と日本の馬の利用の仕方の違いと動物観の違いがあることをみておかなければ不公平になるだろう。

 ひとつは欧米人にとって馬と言えばまず乗馬であるが、当時の日本には乗馬という習慣はほとんどなかったことである。一人で乗馬することが許されていたのは武士だけで町人、百姓が乗馬することはできなかった。その武士にしても日常乗馬をすることはほとんどなく、位の高い武士が馬丁に口綱を引かせながら(身分、立場を示す形式として)乗る程度であったからだ。戦国時代はすでに遠くに去り、軍事上に騎馬軍はすでに必要ではなかった。民間でもまたそうである。田や畑を馬で耕す馬耕は高いレベルの調教が必要だが、実は江戸時代までは馬耕や牛耕は日本にはほとんどなかった。これは最近ある本(「馬耕教師の旅」)で知ったのだが馬耕というのは文明開化として明治期に輸入された技術であり普及したのは大正の頃からのようだ。(そして1960年代には消えたから長くみて60年程度の歴史しかない。)
 馬車にしてもそうで日本では歴史的に馬車は全く発達しなかった(坂が多い、道が狭い等地形によるのだろう)明治期に導入されはしたが、これも使われていたのはフォーマルな場がほとんどで、一般に普及したのはむしろ人力車だった。荷馬車(荷車)も同様で、ボクは小さい頃(小中学生の頃まで)馬が荷車をひいている光景をしばしば見ていて時として懐かしく思いだすのだが、あれも日本の伝統などではなく近代化として欧米より輸入された技術だったのである。近代前期の技術であり江戸時代には無かった。
 では一般に馬がどのように使われていたかというと、背中に荷を乗せて運ぶ、それだけ。その馬を馬子が引いたり飼い主が引いたりしていくだけであり、人を乗せる場合も乗馬ではなく馬子が口綱をもって引いていくのである。このようであったから馬は人についていくだけでよく、高度な調教は必ずしも必要なかったということなのであろう。(続く)。 S
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by kurashilabo | 2014-08-02 16:41 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)