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ふみきコラム 百姓?⑤

 自由にできる土地(地面)と機会があれば、草花を育てたり家庭菜園にしてあれこれの野菜を育ててみようと思う人は少なくないだろう。ニワトリも飼ったらもっと楽しいかもしれない。そのような時、確かに野菜や卵という実益は不可欠だが、むしろ植物を育てたり動物を飼ったりすること自体を楽しむというのが本当の目的といえるだろう。ペットの場合はもっとわかり易い。ペットは飼うこと自体が目的の動物たちで、そこでは実益(経済的目的)は普通考えられていない。ペットであれ家庭菜園であれ、動物を飼ったり、植物を育てたりすること自体を楽しんでいる訳である。実益、新鮮な野菜が食べられるとか犬の散歩で足腰を丈夫にするとかはおまけのようなものだ。それを癒やしと言ってもいいが、癒やしということばが受動的すぎるというならば、もっと能動的に心身の自己回復と言ってもいい。 自給というのもそれと同じで、「何をどれだけ自給したか」とか「収奪の上にある社会から抜ける」とか実体的に考えるより「自給は楽しいから」でいいのではないか。日常の仕事や生活で「すりへったり」「ゆがんだり」した感覚や身体の活性化が楽しくない訳がない。自給というのは身心の自己回復であり自己教育なのである。私自身、普通の都市生活者に比べれば食べ物の自給度はかなり高いし、家もほぼ自分で建てたし、鍼灸やストレッチで身体管理してできるだけ医療の自給にも励んできたし(いざという時には病院ですが)犬や猫や山羊に囲まれて暮らしていて暮らし全般の自給度は高い。(お墓の自給も話題としてはあったがまだ達成に至っていない)それも楽しいからやってこれた訳で、自給すること自体に価値があると思ったことはない。

 このように考えることが自給を過小評価することになるとは思わない。第2次世界大戦後に本格化した、筧さんが言う「構造的な収奪の時代」は別の言い方をすれば市場経済がグローバリズムとして世界を覆い、また生活の隅々にまで浸透してきた時代である。等価交換の原理が人の心理と行動を支配する基本原理となる。それは気楽で自由な個人をもたらす反面、人とモノ、人と生き物、人と人という関係にあってはそれを切断する方向で機能する。また市場経済は競争の原理でもあるから効率化(生産性の向上)のために分業は極限まで進み、機械は益々高度化し、IT化は際限がない。そこでは生き物としての人間から身体性と時間が収奪されている。そのような時代がその内部に対抗原理として「自給」ということばを生み落とす。こんなわかり易い話しはない。「農的」と言おうと「田舎暮らし」と言おうと「自然農法」と言おうと意味するところは同じだ。その言葉にとらえられて少なからぬ人々が「おかげでサ~、抜けたとサ~」と言って田舎に移住したり、「就農」したりする。考えてみればこれはすごいことだ。近代がその先端においていよいよ普通の若い人たちをつなぎとめておくことができなくなっているのだから。大正ロマン主義の「新しき村」、昭和ロマン主義(?)の旧たまごの会「消費者自給農場」の古き良き時代に比べて農的ドロップアウトはこれほど大衆化したのである。

 「自給」はわかり易く、おもしろそうで、かつ根源的である。それはおそらく自給が交換ではなく贈与を原理とするからだ。自給というとまず第一に食べ物の自給だが、それは野菜や米を「育て」ニワトリや山羊や豚を「飼う」ということであり、その結果としての「恵み」をいただくということである。それを「育てる・飼う」という労働を投下し野菜や米や卵という生産物を得ると考えるのは工場的生産に慣れすぎた思考であり、また「育てる・飼う」というgiveがあり、その反対給付としての野菜や卵というtakeがあると考えるのは等価交換に慣れ過ぎた思考である。人は野菜や卵を「生産」などできるはずもないし、「育てたり飼った」からといって収穫したり卵を横取りする権利が生まれる訳でもない。「育てる・飼う」というのは人から植物や動物へのひたすらの「贈与」として独立した営みであり、野菜や卵は光エネルギーを根源とした生態系から人への贈与である。この贈与のレベルにおいて、人は米や野菜やニワトリと交歓し、人と自然が親和的となり、心身の自己回復が為される訳である。二つの独立した営みをつなげているのは「食べ物を得る」ためという経済目的であり、とりわけ農業社会になってからは経済が前面にでて肥大してきたので私たちは日頃そのことを忘れている。理屈で言うとややこしいが昔の「お百姓さん」は文化として、あるいは身体感覚としてそのことを知っていたと思う。彼らにとって百姓仕事は労働ではなかったし、米も卵も生産物ではなく「恵み」であった。しかし農業農村の近代化を経た現在農業のもっていた贈与のレベルは失われ農家にもおそらくもはやその感覚は無い。

 さてかように自給という営みは可能性として「構造的収奪の時代」となった近代後期の根源的批判という性格をもっているのだが、それを反近代とか近代の「超克」と言っていいのかどうか・・・。。 
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by kurashilabo | 2013-10-26 13:48 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム 百姓?④

 筧さんは自給的農業を説き、皆がそうすることが自立社会への入口となるという。自給的農業に果たしてそれほど積極的な意義があるのかどうか。自給的農業ということばもそもそも意味不明なところがある。自給というのはありていにいえば家庭菜園であり、どんなに立派にやっても普通それは農業とはいわない。農業というのは年貢としてであれ、商品としてであれ出荷するために作る仕事で、社会的分業の一つだ。レベルの違うテーマを一緒くたにしたら訳がわからなくなる。

 考えてみると私が(気がつけば)30年を超えて農業の如きことを続けてこれたのはそれが自給のためなどではなかったからだ。日常の仕事でもほとんど無意識に食べてもらうもの、出荷するものとして作っている。美味しい野菜を食べてもらいたいし、それで収入を得て生活を、賄わなければならないし、同業者の眼もあるし、そういうあれこれの社会性の中で作っているから続けてこられた。そこに動機もありおもしろさもあり、はりあいもある。自給が目的であったなら1年か2年、よくて3年位で飽きてしまうだろう。家庭菜園というのは他に仕事(社会性)を持っている人が週末にやるからいいのであって目的となるようなものではない。そこは筧さんも同じはずで、生産物を出荷してそれでお金を得て生活しているのだから自給ではなく立派な農業だ。

 自給的とか自給自足ということばが何かおもしろそうな、あるいは意義あることのように使われ出したのはそう昔のことではない。その昔は「自給自足的」など原始社会の形容でしかなく、進歩と真反対のイメージしかなかった。その後歴史の「進歩」や高度産業社会がどうも人々に幸福をもたらしそうにないことが誰の目にも見えてきた。仕事は極度に分業化され、IT化などでますます手触り感を失い抽象化していくばかり、そういう現代が自給自足ということばをひとつの対抗概念として呼び起こしているのであろう。そういう意味では「縄文」とか「農的」とほとんど同義な訳である。それ故対抗概念として使う分にはいいが、それをそのまま実現しようとしたり、「農業は元来自給的なものだ」とか「江戸時代は自給を基礎とした社会だった」などと実体的に使い出すとちょっと困ったことになる。

 農業が自給的だったことなど歴史上一度もない。農業社会の始まりとされる弥生時代からしてすでに農業は農業であり、流通を前提とし、権力を前提とした社会的分業として営まれていた。江戸時代についても自給という視点からではそのダイナミズムは見えないのではないかと思う。江戸時代は日本の歴史を通して農業が最も高度に展開した時代と言っていいが、それを可能ならしめたのは実は商業(流通)や工業及び土木技術の進歩であった。例えば江戸初期、全国で驚くほど新田開発が進み、耕地は倍増し、多くの新しいムラが生まれたが、これは戦国時代に戦争に消費されていた人的、経済的資源と技術が一斉に農業に投資されたからだ。また江戸時代は江戸・京・大阪だけでなく各地に地方都市が生まれた時代であり、水戸なども5万程度の人口があったのではないか(推測ですが)。この点も重要だ。町方の人々は自家菜園を持つ人はいたものの基本的には消費者であり、都市の周辺には近郊農業という形で商業農業が発達した。かつまた町人は衣料であれ農具であれ工具であれ、様々な工業的生産者であり、その生産物は商人を介して地方にも流通した。都市が成立することでモノの生産と物流が一気にレベルアップしていったのである。一般的に言って、農業は農業自体の中に発展の動機を持っていない。逆に非農業部門の活力と強度が実は農業を高度化させていくのである。都市を核とした非農業部門の高度化が農業を発達させ、より高度に発達した農業が非農業部門を支えていく。農業はそのようにしてしか発達しない。江戸時代の農業の高度化は商業・工業・土木の発展(と優れた統治システム)と一体のものであり、それらが相まって、近代日本の基礎体力を作り、驚異的なスピードの近代化を可能にしたのである。むろん今に比べれば暮らしの自給度は格段に高かった。高度に発達したとはいっても物流は限られていたし、不足するものを(お金の節約のためにも)身近な材料でまかなおうとするのは当然のことだ。しかし江戸時代はすでに「お金は暮らしを豊かにするが無くても生きていける」時代ではなく、お金がなければ生きていくことはできない時代になっていたのではなかろうか。

もちろん、だからといって、私は「自給的」ということを無意味だと言いたい訳ではない。 S
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by kurashilabo | 2013-10-20 09:21 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

収穫祭2013 開催します!

今年も一年の収穫&恵みに感謝して収穫祭を行います。
ランチパーティの他にも、暮らしの実験室らしい企画を準備しています。
一緒に楽しみましょう。
こんなことやりたい!という提案も歓迎ですよ。

是非お友達を誘い合わせの上、ご参加ください。

日 時:11月3日(日)10時スタート!
場 所:暮らしの実験室やさと農場(石岡市柿岡1297-1)
参加費: 2,500円(お酒のむ人)
     2,000円(お酒飲まない人・中高大学生含む)
     1,000円(5歳~小学生以下)

対象:会員、とその家族&ご友人
    やさと農場に来たことある方 とそのご友人

★申込フォーム★
http://goo.gl/gScKXb

※前日からの参加もOK。簡単な前夜祭も予定しています。
※宿泊希望の方は早めにお申し込みください。宿泊定員は20名です。
※予定していた大豆の収穫はまだ時期尚早ということで延期になりました~。楽しみにしてくれてた人ごめんなさい。

★内容★
ついに完成間近!!露天風呂で足湯?
自然の恵みで草木染め体験
手仕事マスターやっちゃんが今年作ったもの展
一年間の活動報告

★ランチメニュー★
炊き出し手打ちうどん
日本一硬くて美味しい焼き鳥★
鈴木さんのスペシャルソーセージ
炎の番人朝井氏による鶏岩塩焼き
今年のMVPこんちゃんによる燻製祭
石窯ピザ and more! more!! more!!!

こんなの食べたい、こんなの作りたい!という積極的な提案やご飯作りへの参加お待ちしています。
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by kurashilabo | 2013-10-18 10:08 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム 百姓?③

 筧さんの話しの中で私がちょっとびっくりしたのは(これは質疑応答でのことだったが)「個人主義は悪である」と確信的に言われたことだ。そんなこと言われてもなぁ、というのが正直な感想。自分の人生を振り返れば、大学に行くも行かぬも、大学で何するも、就職するもしないも、どこに住むも誰と結婚するも何もかも「個人主義的自由」でやってきた。そして今はこんなところで農業の如きことをやっている。それは自由を謳歌してきたなどというものではなく、それしかなかったからそうしてきただけのことで。同時代を生きてきた筧さんも同じはずで、30年全く個人主義的な田舎ライフをやってきて個人主義は悪であるもないだろう…。

 ちなみに私たちの農業の如き実践と、伝統的百姓暮らしが外見的には似ていても本質的に異なるというのはその点だ。私たちの農業は個人主義的人生選択ないし職業選択であるのに対し(私流にいえば私小説的農業)伝統的百姓暮らしは共同体的である(叙事詩的農業)。共同体的という意味は個人が無いということではなく、個人を生きることが同時に共同体という意味レベルを生きているということになるような暮らしのあり方である。「イエ」であれ「ムラ」であれ共同体という「生き物」が生きていて、個人はその一員であることで個人でありうる。そのようなあり方。そしてその生き物はその土地、山や川や田や畑と一体のものあり、個人は共同体のメンバーであることでその土地と結ばれている、その文化ないしコスモロジーを生きることができる。水利組合もシキタリも年中行事も祭りもあれもこれも(ヨソモノ排除のメンタリティも)その共同体の生命活動である。それを不自由というのは近代を知った人間で、その中にいる限り自由も不自由もない。そして一旦外を知った人間はもはやそこに戻ることができないようなもの。それが共同体だ。

 それに対して私たちの田舎暮らしは個人主義的であり、農業のやり方であれ生活の仕方であれ全く自由であるが(共同体社会ではそれにもシキタリがあった)同時にあふれる緑の中で孤独である。山や川や土地の神々と通じることができない。神社もなければ祭もなく、時間は単調で、一人ひとりが孤立している。それは新規就農者の抱える基本問題なのだがここでは深入りしない。百姓暮らしや「土着」への道は志向するもしないもなく、そもそも閉ざされているのである。

 さて筧さんが個人主義は悪であると言うのは、要は近代の個人主義的自由は16世紀以来の長い収奪経済の結果、「北」の工業国が手に入れたもので「南」の貧困と相互依存的にしかありえないからというものである。それは間違いではないとしてもその論理を敷延していけば近代の諸価値、学問も近代医療も社会保障制度も民主制度も科学技術や機械もすべて悪であるということになってしまう。実際彼はそれに近いことを言っている。近代医療も社会保障制度も、あるいは学問も確かに根本的(原理的)問題があるとは私もまた思う。しかしそれは収奪経済に依存しているからという理由ではない。筧さんの論理で実践を律するとすればアメリカの原理主義的な信仰共同体であるア-ミッシュのようなものになるのだろうか。ア-ミッシュについてはドイツ系キリスト教の一派という位の知識しかないので間違っているかもしれないが。彼らはやはり近代的諸価値、個人主義や学校制度や自由恋愛や医療や電話やパソコンやらを悪として遠ざけ、18世紀的(中世的)暮らしを共同体として営んでるのであろう。そのような生き方があることを否定はしないが、それで近代を「超克」したことになるのかどうか。

 私には個人主義は収奪経済の結果だから悪であるという実感がない。また逆に個人主義的自由がすばらしいものだという実感もない。むしろそれを生きるのは凡庸な人間には難しい。例えば「ひきこもり」も個人主義的にひきこもる訳だが彼らの「受苦」が南の人々の貧困や暴力というむき出しの受苦より軽いとは私には思えない。それは「構造的収奪の時代」の北の「相」である。私たちは北の人間であり近代の北の「相」を引き受けて生きて行くしかない。飛躍するようだが私たちの「個人主義的な」農という実践も「構造」を介して近代の南の「相」で苦闘する人々とどこかで呼応しているはずなのだ。そうでなければならないし、そう考えてやっていくしかないのではないか。 S
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by kurashilabo | 2013-10-12 09:12 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム 百姓?②

 私たちの農業のやり方(有機農業)や生活は確かに一見昔の「百姓暮らし」に似てはいる。しかし実はこれほど似て否なるものもないのだ。それは私たちの農業や生活を成り立たせている諸条件を考えてみればすぐわかる。新規就農者は土地の人(農家)から畑や田(遊休農地)を借り、そこで有機農業を営み、その生産物を固定客(会員など)に売って収入を得て生活をまかなうという形が一般的だ。また出荷には宅配便を利用するのも共通している。このどれもがきわめて現代的、筧氏のことばを借りれば「構造的な収奪の時代」にしてはじめて可能になったことである。昭和30年代までは農村人口は今よりずっと多く(工業化がまだ十分に成熟せず、農村人口を吸収できなかった。)、その人口を「土地が生み出す富」(米や麦、お蚕さん、タバコ、炭…)で養わなければならなかったから、田も畑も里山も利用され尽くされており遊休農地などなかったし、かつまたムラの共同体もまだまだ強固であったから都会の若造がノコノコやってきて畑を借りたり住んだりすることのできる場所ではなかった。また家が絶えたり都会に出てしまうようなこともまずなかったから借りることのできる「古民家」なども当然なかった。すべては1961年の農業基本法の制定を機に一気に加速した農業・農村の近代化の結果生まれたことである。

 ここで詳しく述べる余裕はないが、農業・農村の近代化は振り返って考えれば日本史を画する出来事であった。農家の台所や居間の隅々まで、また田や畑の草木一本に至るまで近代の論理、市場経済の論理が貫徹された結果、ひとつの時代が終わりを告げたのである。それは農業社会の終わりと言ってもいいし、伝統的なコスモロジーが最終的に失われたと言ってもよい。都市(工業社会)と田舎という関係で考えた場合、太平洋戦争あたりまではいわば「強制的な収奪の時代」といえるかもしれない。地主制は小作人の労働を収奪したし、徴兵制は人そのものを収奪したし、学校制度を介して有能な人材の多くが都市に流出した。大雑把に言って、明治以降は都市の時代であり、その都市の発展は地方が蓄えていた富を様々な形で収奪することでなされたといえるかもしれない。それは工業国(帝国主義国)が植民地から富を収奪してその成長と発展を成し遂げたことの国内版といってよい。商品経済(市場経済)もむろん田舎に及んでいた(養蚕、タバコ、米…)。しかしそれでも戦後の一時期までは農村は強固に中世以来の自立性と独自の文化を持ち続けたし共同体も生きていたのである。風土というものがあり、百姓暮らしがあった。それに引導を渡したのが農村、農業の近代化だった。

 田畑の遊休農地化も空き家の多発もその一つの現象である。この地域でも畑地の大半は遊休地化していて(一見作付しているようにみえても「捨て作り」だったり、草刈りだけだったりで、経営的に使われているところは少ない。)私たちは容易に畑を借りることができる。有機農産物のニーズについても同じだ。私たちが「差別化商品として」有機農産物を売って小銭を稼ぐことができるのは近代化農業がその大量生産方式の必然として食品の品質低下を招いているからに他ならない(味、栄養価、安全性、等々)。また宅配便についていえば、時間指定やクール便などで翌日には個人宅に届けられるなどというのはかっては考えられなかったことで、これもまた物流革命の先端で可能となったことである。

 農業近代化が昭和30年代まではからくも生きていた「百姓暮らし」と共同体を最終的に解体し、そのことによって私たちのような新規就農者が田舎に出現することが可能となった。そして農業の近代化とは「構造的な収奪の時代」の農業バージョンに他ならない。私たちはそちら側の人間である。この自分の歴史的立ち位置の自覚がないまま農家の味方の如く振る舞ったり、百姓暮らしを語ることに私はなじめない。どこかそこはかとなくうしろめたいものがある。むろん現実には農家が持て余している田畑や空き家を「管理してあげている」のであり、ギブアンドテイクで何ら恥じることはないし(田や畑の管理労働は小さくない)、またかっての「百姓暮らし」や江戸時代的自立社会を暮らしのひとつのモデルとして語ることを否定するものでもむろんないのだが。 S
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by kurashilabo | 2013-10-08 09:10 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム 百姓?①

 筧次郎氏は私と同じ歳で、八郷在住30年のベテラン「百姓」であり、哲学者である。先日、とはいっても8月のことだが、筧氏のお話を聞く機会が農場であった。庭の木陰にゴザを敷いてのお話は法話のようでなかなかいい雰囲気であった(筧氏は仏教徒)。「自立社会をめざして。丸い地球の暮らし方」と題して、御自身の百姓暮らしや有機農業のポリシー、世界史の500年にわたる収奪の歴史、江戸時代的な自立経済の豊かさをめざすべき事、等々を話された。私はといえば、お話を自分なりには理解したのだが、一方で何か腑にスッキリおちないものがあった。質疑応答の時間は短かったし、質疑応答的な疑問でもなかったのでその場では何も言わなかったのだが。気になる点もあるので忘れないうちにこの場を借りてそれが何なのか考えておきたい。

 私は「百姓」とか「百姓暮らし」という言い方に疑問がある。そしておそらく私の不満はそこだけなのである。新規就農して有機農業を営む人の中にしばしば自らを「百姓」と呼ぶ人がいる。筧氏もまた就農した時のことを「百姓を始めた時」と言い、自らの暮らしを「百姓暮らし」と称している。むろんそこに自らの実践は今日言うところの「農業」ではないのだという意味が込められているのは良くわかる。しかしあえて言うのだが、「百姓」という言葉は妥当ではない。ありていに言えば、都会からノコノコやってきた人間が鍬を持ったからと言って百姓になれる訳ないではないか。百姓というのはすでに百姓である者たちのことで、なるものではない。

 そもそも百姓という言葉はすでに死語である。そんな言葉をどうして墓場から掘り起こしてくるのか。(以前にも触れたことがあるが)「百姓」という言葉は歴史のその時々で微妙に意味を変えてきた。断片的な歴史知識しかないが、律令時代には「ヒャクセイ」と読んで良民、一般、人民大衆を指す言葉であった。文字通り、百の姓(カバネ)というだけである。中世には「草分け百姓」などという言葉があり、地付きの者たちという程の意味で、凡下とか地下(ジゲ)とほとんど同義であった。江戸時代にはむしろ身分呼称であり、城下(町方)に住んでいれば侍以外は皆「町人」であり、地方(ジカタ)に住んでいれば皆「百姓」だったのである。大工であろうと商人であろうと酒屋であろうと職人であろうと関係がない。だから台帳に「水呑(百姓)」とあっても土地を持っていないというだけで、実際は大商人であったりすることもめずらしいことではなかったようである。明治になると四民平等が宣せられ百姓身分は公式には無くなった。百姓という言葉に対応する実体が無くなったのであり、以後「百姓」という言葉は浮遊して、使う人や立場によって意味内容を変えていくことになった。文脈で理解する言葉になったのである。明治以降は大勢として近代化、都市化を価値とする時代であったから、その立場で使えば「百姓」とは遅れた者、消え去るべき者、汚い者といったやや差別的なニュアンスが含まれた。一方農家が自らを「百姓」といえばそこには何がしかの自己卑下と、その逆転としての「食い物を作っている」者のプライドが隠れていた。このようであったから1970年ごろまでは「百姓」という言葉は大っぴらには使えなかったのである。その後一部で百姓という言葉がもっとポジティブな使われ方をされるようになる。大地に根を張って生きる者、自然と最も親しく生きる者、近代の諸価値とは違う世界をもつ者たちといった意味合いである。記憶ではそれは一方に、成田空港反対闘争や水俣病をめぐる戦いの中で「最も遅れた者たちが最もラディカルでありうる」ということがリアルな政治として見えたからであり、他方戦後一貫して近代主義的な進歩史観のなかで解体を必然づけられたものとされてきた伝統的農業や共同体について、守田志郎をはじめとした論者たちによってその再評価が進んだからである。

 今日、百姓を自称する人はおそらくそういう文脈においてであろう。がしかし、百姓というのはあくまでそこに社会的、歴史的存在として現に生きている人たちのことで、彼らをどう呼び、彼らがどう自己認識するかという問題だ。しかし私たち(自分や筧氏や多くの新規就農者たち)は近代の先端で自己形成した人間であり、昨日まで都市で生活していた人間だ。そのような者が地方に移住し、少しばかり畑を耕したからといって百姓になれる訳ではない。それは都市に出自をもつ人間の人生選択の問題であり、職業選択の問題だ。現に農業をやっているのだから農業者という言い方はできるだろう。「農的暮らし」もまぁよい。しかし「百姓暮らし」ではない。それは言葉の誤用である。くどいようだが私たちには百姓などという言葉は無縁であり、自己の社会的歴史的な存在規定(私たちは何者であるのか)に関わるところでそんな「誤用」をしたらその後の論理が築けない。戦略が描けないのではないか。 S

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筧次郎氏の著書
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by kurashilabo | 2013-10-01 08:56 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)