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たまごの会のはなし⑤

 いまひとつボクがたまごの会の“分裂”にウダウダとこだわるのは、平成の現代に農業を志す人は個人であれ集団であれ、必ず同じ問題に直面するからです。自覚的かどうかは別にして。

 平成の開拓民は明治の北海道開拓や戦後開拓とは性質が全然違います。かっては住む土地と食い物が動機のすべてでしたが、平成の開拓民は「農業という生き方」がしたい訳です。砂上に楼閣を築くような都会のサラリーマン生活には無い豊かさがそこにあるように感じられる…何か面白そう…。これはいわば都市問題であって彼らは全く消費資本主義の落とし子です。(高学歴、IT職などが多い。本当の貧困層やヤンキーは就農など考えない。)彼らはこの出自、基本性格から逃れることができません。「幸いにも」地方では伝統的共同体が弱体化し、農業が衰退した結果、遊休農地や空き家もあったりして移住と営農を可能にしています。社会的現実としてはそうであるハズなのに、彼らはそれを「農業をやる」とか「帰農」とかいう古色蒼然とした文脈に読み替える。そして移住して農業を始めれば有機農業であれ何であれ実業としての農業には違いなく、年月を経れば彼らは地域の農民以上に農民的になっていく。この時、彼らはひとつの矛盾を抱え込むのです。ポスト「都市」的な生き方としての農業という側面と、実業としての農業、まぎれもない農業者という側面と。個人の人生としてはやれることは限られているので、どこかの時点で自分の実践をどちらの文脈で読むか、比重をどちらにかけるのか決めなければなりません。生き方としての農業という方向に行けば、自給にこだわったり自然農志向になったり、あるいは都市民向けにカフェを開いたりイベントを催したりということになるのだろうか。しかしこれはこれでどこか箱庭的で行き詰まりのような気がします。こういう楽しみは長くは続きません。それとも農業者として自立して(職業としての農業)地域の一員として認知され、昔からの農家と同じような風貌の人となっていくのか。経済的にやっていくことが仮にできたとして(少数派ですが)彼らはそれで本当に満足できるのでしょうか。美しい風景の中の小さな家族という孤独、そういうこともあるのではないでしょうか。弱体化したとはいえ、ムラはムラであり、ムラはムラビトのもので私たちは異邦人です。地域住民にはなれてもムラビトにはなれません。

 さて、すぐわかるようにこれはたまごの会の分裂と相同であり、その個人版です。都市民という出自と動機を見すえて、その実践を都市に対するプレゼンと考えれば(都市を変える)“農場派”になり、有機農業運動的に農業を変え農民を変える地域へのプレゼンだと考えれば“契約派”となります。考えてみればたまごの会による農場建設は集団でする新規就農であった訳ですからこれは当然の成り行きです。ひとつの実践をこのように二通りに読むことができる、あるいは2つの側面があるというのが消費資本主義時代の開拓民の特徴であり時代性だということができるでしょう。そして大事なことはそのどちらかではなく、どちらも、でなければ平成の開拓民は輝けないし満足できないだろうということです。大変なのです。私見として言えばおそらくはそこで新規就農者、あるいは新住民の横のつながり、協同組合的結合が必要とされてくるのではないかと思います。どう考えても個人では時代と拮抗し、切り結ぶことはできません。長い目でみれば私たちの農場もその一角に位置を占めていくことになるでしょう。更に長い目でみれば、その新しいコミュニティは様々な形で都市とつながっていくはずです。その可能性がどれだけあるかわかりませんが、その時私たちはすでに「都市」の次のステージを生きている自分に気付くでしょう。

 たまごの会の分裂は現実の運動過程としてみれば(農場の共同生活の破たんや有機農業運動などというイデオロギーがあったから)やむを得なかったとは思います。しかし純粋に路線的な(?)意味でいえば、たまごの会が持っていた2つの側面というだけで分裂を必然とするものでも何でもなかったと思います。むしろ相互に相手を必要としていたと言った方が本当に近いかもしれません。分裂後は両派とも輝きをなくし十分には自分を展開できなかったことがその証拠といえばいえるでしょう。そのあたりがたまごの会の残した教訓といえばいいのでしょうか。

 時折、農場にも新規就農希望者が見学に訪れます。明るく目を輝かして。親心で「きみのレベルでは出家はムリかな。カタギでいなさい」とハートフルにアドバイスするのだけど、有機農業で熱くなった彼らは鼻にもかけません。困ったことです。ま、いいか、別に悪事を働こうとする訳ではないし。親でもないし。

 たまごの会の骨を拾うような作業もこれで終わりです。あとは仏壇に納め思い出した時に手を合わせるだけです。諸行無常、つわものどもが夢のあと…。 S
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by kurashilabo | 2013-04-27 11:20 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

たまごの会のはなし④

 たまごの会は1970年代という時代の産物だったとつくずく思います。戦後復興も終わり、1960年代以後、経済の高度成長の波に乗って近代化が生活の隅々まで押し寄せ人生も風景も根本から変わろうとしていました。明治以来の近代前期が終わり(産業資本主義)近代後期(消費資本主義)に移りつつあった時代です。その分まさに来ようとしている社会の負の側面が誰の目にもみえる形で露出していました。水俣病をはじめとした公害に典型的ですが、たまごの会は食と農という切り口でそれに異を唱えるものだったといえるでしょう。子持ち世代にとってそれは生活防衛として切実だったのです。他方、まだ戦後冷戦構造という世界の枠組みがあった時代であり、それと歴史を同じくするいわゆる運動意識もまだ(・・)一定の有効性を持っていました。そしてたまごの会を中心的に担ったメンバーの多くは、1970年前後の“政治の季節”と「その後」をくぐり抜けてきた人たちです。(いわゆる“運動”のもつ負の面を見届けつつ、そのようにならない社会変革のモデルをたまごの会の運営として試みていたことも忘れてはなりません。)たまごの会の立ち上げも農場建設もそうした諸々の社会的要因が重なったところに開いた花のようなものです。そこは古いものと新しいものが一緒くたに投げ込まれて煮えている釜そのものでした。そのような意味で全く1970年代という時代の落し子だったのです。

 それゆえたまごの会の経験は一般化できないし、その再来もありえません。全くのところ、あの時代においてのみ出現しえた、一回性の、あだ花だったと思います。残念だけれど。しかしそれを承知でたまごの会が今あったならば、とつい思うのです。その影響力や存在感はもっと格段に大きかったはずだと。当時もしばしばメディアにとりあげられ注目はされていましたが、その実践の深さや射程をまだ誰も十分にはつかめていなかったと思います。当事者を含めて。それを語る言葉も思想もまだ手もとにありませんでした。

 唐突な言い方ですが、3.11以後の社会が求めているものはすべてたまごの会にあったのではないか、そんな気さえします。たまごの会のセールスポイントは何といっても都市周縁部に共同自給農場をもち、都市会員(在家)と農場スタッフ(出家)がタッグを組んでそれを運営したということです。ただそれだけのことですが、そこに出現したのは単なる生産農場ではなく、もはや「都市」ではないが「田舎」でもない不思議な場所でした。そこは都市に開かれているだけでなく田舎(地域)にも開かれ、新規就農者にも開かれ旅人にも開かれ、落人にも開かれ、それらが混ざり合って発熱しているところでした。そのような「農場」を核(神社)として立ち上がってくるコミュニティ。農(場)を介して生命系(土)に深く根を張り、そこから極端に離陸することのないコミュニティ。贈与の原理が生きる運営。多数決民主主義を排して具体的「個人」に基づく民主主義…。その島のような小さなコミュニティの網の目のようなネットワーク。むろん社会の設計がそれだけでできる訳もありませんが、このイメージは過剰な交換的世界であえぐ人々にとって救いであるだけでなく、3.11以後にあっては原発という完璧な“非生命的”原理からエネルギーを引き出す巨大なシステムに対する対応イメージたりうるのではないかと思います。そのような意味でたまごの会というテーマは今尚アクティブなのです。

 たまごの会は歴史の変わり目に出現したほんの小さなあだ花ではありましたが、そこにはそれまでの運動にもその後の運動にもないユニークでラディカルなものが孕まれていました。それを歴史の彼方に忘却してしまうのはやはり惜しいことです。言語化し、この世に残しておくのもたまごの会に残された最後の仕事というべきでしょう。か。 S
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by kurashilabo | 2013-04-20 11:17 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

たまごの会のはなし③

 有機農業運動といわれるものが、生産者と消費者の提携という形を基本とすることで(必然的に)有機農業を「もうひとつの農業、もうひとつの経済」という枠に回収していくもだとすれば、たまごの会(農場派)は自ら「作り、運び、食べる」を旗印とすることで有機農業が開いた“贈与ワールド”をそのまま都市の暮らしの中に持ち込もうとしたといえるでしょう。共同自給農場も運営上の様々な仕組みもそのための装置ということができるかもしれません。その結果として、たまごの会は普通の市民運動の枠を越えてひとつのコミュニティを形成しつつあったと思います。半ば意識的、半ば結果としてそうなっていたということではありますが、それはたまごの会の隠されたもうひとつの目的であったともいえます。そこをどう見るか、おもしろさと可能性ととるか、運動のちょっとしたオマケとしてみるか、そこにも農場派と契約派のセンスの違いがありました。
 
 今になって考えると、たまごの会はよく出来たコミュニティだったと思います。それは伝統的共同体(ムラ)と較べるとよくわかります。まず第一に、共同体には必ず神社(鎮守)がありますが、神社とはいうなれば人々が自然という神々とつながるための装置です。神社を勧請(かんじょう)し、皆がその氏子となることではじめてムラを立ち上げることができました。(その逆ではありません)。そのようなものとして神社は全メンバーの(立場に応じた)出資と出労(ボランティア)によって建設され、維持されていました。その結果として神社の前では皆平等でした。共同体の形成にはその中心にこのような垂直的装置が必要です。たまごの会では農場が神社として機能していたといえるでしょう。農場は会員の(立場に応じた)出資と出労で建設されたものですし、また農場で営まれている有機農業(有畜複合農業)は農「業」というより「農」(自然に開かれた回路)として感受されていました。その結果として、農場という場ではフリーターもサラリーマンも役人も教授も主婦もみな平等に振るまうことができ、日常の硬い衣を脱いで自由になれたのです。

 第2に、集団のサイズです。ムラ(集落)は一般に50戸前後を単位としています。その程度が日常の暮らしの中では目に見え、付き合える範囲ということでしょう。たまごの会は最大で会員は300戸強でしたが、活動を担う中心的な人数はやはりその程度ではなかったかと思います。コミュニティは大きすぎず、小さすぎずということが大事です。

 第3にたまごの会は唯一の決定と執行機関である「世話人会」(各地区世話人の連合)によって運営されていましたが、世話人会というのは組織ではありません。たまごの会に普通の意味での組織運営はありませんでした(事務局が議案を提起したり、多数決で決めたり、年次総会で承認したりという手続きの)。「やりたいこと」とその実行意志のある世話人「個人」の連合が世話人会です(それぞれに組を構えるヤクザの組長が集まって、杯をまわしながら「ここは一発やろうじゃねえか」と次の出入りの段取りを相談するシーンを想像するとよい。筋も通り、ドスも効いた発言で場をとりしきる組長もいれば「いや、ワシはまだ腹が決まらねぇ」と腕組みして首をかしげる組長もいる訳です。そういう時「じゃ、多数決でいきましょう」とは言えません。多数決は相手を黙らせるためのケンカの作法で、コミュニティの運営には向きません。内部バトルになってしまいますから。)世話人会方式は組織運営というよりもむしろ一揆を組む時のやり方です。経常的な形としてはムラの「寄り合い」に近いものだと思います。そのような意味で、日本の伝統に連なる形ではあるのです。コミュニティにはいわゆる民主主義的な組織運営と違うスタイルが必要です。 

 その他にもいくつか挙げることはできますが、ここで言いたいのはその類似性ではありません。有機農業運動があくまで問題を農業と食べ物の問題、あるいは生産者と消費者の提携の問題として捉えていたのに対して、「作り、運び、食べる」のたまごの会(農場派)は有機農業をコミュニティ論に接続させようとしていたのではないかということです。その方向で暮らしを変え、自分を変える、そういうことだったと思います。そこに社会変革の新しい水路を見出そうとしていたのではないでしょうか。

 そしてコミュニティとしてのたまごの会のユニークさは、なんと言っても都市(都市中心部)と田舎(都市周縁部)という2つの軸足を持っていたということです。別の言い方をすると在家(会員、世話人)と出家(農場スタッフ)が相互に刺激を与えあいながらつながったということです。そこに尽きぬ面白さと可能性があったし、同時にそれは難題でもあったのです。 S
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by kurashilabo | 2013-04-13 15:46 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

たまごの会のはなし②

 このような筋道で考えてくると農場(たまごの会八郷農場)の意味、かっての大分裂の核心的な問い、「農場とは何か」に対する答えもなんとか言葉になるのではないでしょうか。

 農場はなんといっても安全で納得できる卵や野菜や肉を求めて建設された訳ですが、当然ながらそれはいわゆる有機農業、あるいは有畜複合農業という形をとりました。有機農業とは(有畜複合農業といおうと自然農法といおうと同じ)近代農業の中で窒息しかかっている贈与のレベル(動物を飼ったり植物を育てたり、その成果をありがたくいただいたりする一連の営みのもつおもしろさや豊饒性)を回復しようという意志に貫かれた農業です。それは動物や植物を単なるモノとしてみる経済としての農業の側面を否定するものではありませんが、いわゆる近代農業のように経済としてのみ農業を考え、効率と量的拡大こそ農業の発達だとする圧倒的な潮流に対するささやかな抵抗でした。食べ物の安全性の問題も、家畜たちの不幸も、農地の荒廃も、農家の跡取りがいないことでさえ、明治以来の近代農学と、1960年代以降全面展開した近代化農業が、農業の贈与のレベルを語る言葉をもたず、ほとんど無意識に切り捨ててきた結果です。

 有機農業は自然(土)の持つ萌え出ずる生命力、再生力に開かれ、それに依存し、それを取り込もうとする農業です。私たちは農法の未熟さによって、あるいはまた自然に向き合う作法の未開拓ゆえに(年中行事など)、未だに十分にはそのおもしろさ、豊饒さを引き出せていないかもしれません。しかし農業のおもしろさも、農場のある種の明朗性や華やぎも、突き詰めれば皆そこからやってくるのです。たまごの会は都市民を主体とした運動でしたが、共同自給農場をもつことでそのおもしろさに触れてしまったのです。農場は彼らにとって“最高の遊び”でした。農場はいってみれば人生を賭けた遊び場であったともいえるし、あるいは農業のもつ豊饒性を都市に還流させるための装置であったと言ってもいいでしょう。個人に即していえば、過剰な交換的世界でやせ細った自らの心身に自然性を回復させるための場所だったといえるかもしれません。

 むろんそのためには様々な仕掛けがたまごの会にはありました。第一に農場スタッフと都市会員が同じ立場で農場運営を担っていたことです。実際の生産活動のほとんどは農場スタッフでしたが、運営上は何をどう飼い、あるいは作付するかまで都市会員主体でした。第二に生産された卵や野菜は会員と農場スタッフの2人組によって(毎週メンバーが変わる)自主配送されていました。彼らが各地区をめぐり、農場と都市(地区)を結び付けるメッセンジャーとして機能したこと、これは大変大きかったと思います。 第三に生産物にいわゆる値段はつけませんでした。品代はありましたが、それは会員間の不公平を避けるためのもので、いわゆる価格ではありません。生み出されたものが“商品”になることを周到に回避していた訳です。 第四に農場スタッフに給料のようなものはありませんでした。必要なものは共同の財布から出費し、あとは少々のおこずかいだけというものです。それは農場の諸活動が通常の“労働”ではないということを意味していました。

 こうしたことを挙げていけば他にも色々あるでしょう。要は「作り、運び、食べる」を旗印として、農場で生み出された「モノ」が沢山のナマの情報を持ったまま(交換価値に堕することなく)食卓まで届くよう周到に仕組まれていたということです。それを担う人もまたすべてボランティア(手弁当)でした。別の言い方をすればたまごの会は有機農業の引き出した“贈与ワールド”をそのまま都市に送り込み、それを“教材”に暮らしを変え、自分を変え、人生を変えていこうと意図していたと言えますが、そのためには農場や会の運営もまた贈与の原理であることを必要としていたのです。

 その仕組みがうまく機能したかどうか、負の面は何か、長く続けるにはその原理だけでは無理なのではないか、等々言い出せばキリがありませんが、それはここでの主題ではありません。 S
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by kurashilabo | 2013-04-06 15:44 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

やかまし村2013建築ワークショップ 「星降ル露天風呂つくり」第2回

「暮らしは自分の手で作り出す」というテーマのもと、食だけでなく、ツリーハウスや縄文ハウスなどの建築物を造ってきましたが、今年は、お風呂を手掛けます。

ボタン一つで湯船が出来あがる現代のお風呂は便利である一方、インフラを外部に依存する不安定さや、暮らしていることそのものの充足感や豊かさの損失と一体です。わざわざ薪を集め、水を溜め、お湯を沸かす
ことは面倒な事ですが、灯油や石油に頼らずとも、暮らしに必要なインフラを自分の手で作れる、という感動があります。
また、作るからには露天風呂でしか出来ないことを思う存分詰め込んでやる、という考えのもと、星見や植樹、竹ランタン、など参加者同士の意見交換が新しいアイデアになって、それを実現していくのも今企画の醍醐味です。自然を感じるエコなお風呂造りを通して、人と人、人と自然のつながりを作っていきます!

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【実施概要】

☆★第2回作業内容★☆

その1.四季折々の草花を!花木センターに行って樹木を購入~植樹

その2.チラリズム竹垣作りと風呂釜周辺の整地作業

その3.風呂釜の保温加工

その4.給湯システム(薪ボイラー)作り

そしてもちろん、今回も仮設ごえもん風呂に入る予定です!

☆ご飯作り☆
みんなで食べるご飯は、新鮮な野菜や卵、お肉等を使って自分たちで作ります。生みたての卵や、畑から採れたての野菜を堪能できるのも農場の魅力です。

■日時:4月27日(土)11時半~28日(日)16時まで
   ★農場に11時半までに集合してください。

■参加費:各7,000円(宿泊、食事4回分、企画費)
     日帰り4000円
※暮らしの実験室会員は2,000円(日帰り1500円)引き
※開催予定日2日前から一部キャンセル料が発生しますのでご留意ください
 (全日2日参加⇒2000円、1日参加⇒1000円)

■宿泊定員:18名

■会場:暮らしの実験室やさと農場(茨城県石岡市柿岡1297-1)

■行き方
上野発常磐線で90分、石岡駅からバスで25分 
柿岡車庫行きに乗って柿岡停留所で下車、徒歩15分です。
詳細は http://yasatofarm.exblog.jp/10844737/
※10:35石岡駅発のバスがあります。

■持ち物
汚れてもよい服装・靴、お泊りセット
使いたい工具類

■申し込み方法
下記URLからお申し込みください。
http://goo.gl/Rrnhk
(参加申請頂いた方に後日案内メールをお送りさせて頂きます)

※質問がある方は下記アドレスまでお気軽にメールください!
 kurashilabo@gmail.com

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■年間スケジュール 全5回
①3月16日(土)~17日(日)←終了!
②4月27日(土)~29日(日)
③6月1日(土)~2日(日)
④8月10日(土)~11日(日)
⑤10月26日(土)~27日(日)

※更地から風呂釜設置まで一緒に作ると、最終日の初露天風呂も格別!
できるだけ全回参加してもらえるといいですが、各回参加もWelcomです!

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★やかまし村とは?
2008年5月4日。僕らはやさと農場で"村づくり"を始めた。
村おこしではなく、村づくりである。名前は"やかまし村"。
やかまし村は、茨城県のやさと農場での週末農体験イベントや都会でのシェアハウス生活を通じて、食べることや人とのつながり、自然との関わり方など、自分たちの生活を見つめ直すきっかけの場を提供しています。
皆が共存しながら生活している「やさと農場」という場所を活かして、自分たちがやりたい事、やってみたい事を企画して実現したり、自分自身を表現できる場でありたいと思っています。
http://noisyvillage.org/
http://www.facebook.com/yakamashimura

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by kurashilabo | 2013-04-05 10:20 | お知らせ(告知) | Comments(0)

稲豆学園 水稲部/陸豆部 お米と大豆を自給しよう!

茨城県石岡市にある暮らしの実験室やさと農場の田んぼと畑で、一年を通してお米と大豆を自給してみませんか。主食であるお米、味噌や油、醤油に欠かせない大豆、この2つを自給できる喜びはひとしおです!
今年はもち米の栽培もやります!

【稲豆学園(いねまめがくえん)】
一汗一粒(いっかんいちりゅう)を校訓とし、お米と大豆栽培の共同作業を通して、健全な精神の育成、自然への理解、文化の創出を目指す。卒業制作では、自ら育てたお米と大豆を用いて味噌を仕込むのが恒例となっている。
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■水稲部
部訓11カ条と部歌を持つ伝統ある部活動。米作りが始めての人も先輩が優しく教えてくれるので安心(部員は15名程度)。活動場所は里山の中でも特に風景が美しい谷津田で行います。

部費 6,000円(米10kgつき) 定員15名

*活動日*(全て土日)
5/18-19 田植え(手植え)
6/8-9草取り②(田車除草)
6/22-23草取り③(田車除草)
9/14-15 収穫(手刈り、天日干し)
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■陸豆部
味噌作りの本丸、大豆。自給率5%のこの世界に風穴を開けようと立ち上がった部活動。灼熱の太陽の元で種まき・除草を行い、寒風吹き荒れる中で収穫・脱粒を行うという正真正銘の農的魂が培われる。

部費 2,000円(大豆およそ2~3kg) 定員15名

※活動日※(11/4を除き全て土日)
6/29-30 種まき
7/27-28 除草
11/4(月祝) 収穫
11/30-12/1 脱粒
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※活動日は基本的に合宿形式となっています。
1泊4食つきで5,000円、日帰りは2,000円が毎回必要になります。
(暮らしのじっけん室の会員は割引となります)
部員にならなくても、通常の農体験と同様に田植え、稲刈などに参加することが可能です。
毎年部員のお友達参加も多数あります。

東京から2時間程度で来られます(交通費は片道約2,000円)。
お米も大豆も、やさと農場産のケイフン肥料を用いた無農薬有機栽培です。

<申込方法>
以下のフォームからお申込みください。
http://bit.ly/XAa5EK
※フォームがうまく作動しない場合は
 氏名/住所/e-mail/田植えの参加・不参加をご記入の上
 kurashilabo@gmail.com に直接メールしてください。

定員になり次第、入部受付は締め切ります。
ただし、田植えなどの単発参加は可能ですのでお気軽にお問い合わせください。

★水稲部入部締切:5月11日(土) 
★陸豆部入部締切:6月22日(土)


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<問い合わせ先>
暮らしのじっけん室やさと農場内
稲豆学園水稲部/陸豆部
顧問:茨木/マネージャー:姜
Tel/fax 0299-43-6769
kurashilabo@gmail.com
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by kurashilabo | 2013-04-01 18:20 | お知らせ(告知) | Comments(0)

やかまし村 陶芸×農体験でやさとの早春を満喫

第1回の陶器鉢作りは盛況のもと、無地終了しました!
桜、梅、桃、辛夷(コブシ)、木蓮、連翹(レンギョウ)、沈丁花、三椏(ミツマタ)、木瓜(ボケ)…やさとのありとあらゆる花々が私たちを歓迎し、絶好の創作日和の中、感性溢れる芸術家メンバーが集まりました♪
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自然とは、自分の思惑とは図らぬままに時と共に移ろい行くもの。
芸術もまた、どんなに意図して作っても、作品には図らぬ作り手の素顔が現れるもの。
今回は、そんな自然に身を任せ、各々の感性と美学で思い思いの創作に取り掛かりました。それぞれの個性が全開に輝いた、素敵な陶器が完成し、焼き上がりが本当に楽しみです♪
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夜には、盆景の事前学習として、自然からとってきた素材から「ペアを組んだ相手を表現する」という企画をしました。初めまして同士も、長らくの付き合い同士も、あえて時間を設けることで今まで知らなかった部分を引き出し、それを感じたままに、目の前にあるものを使って表現する。素材の使い方も表現方法もそれぞれで、自分の知らなかった面や、人によって感じる印象の違い等がとても興味深く表れていました。
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農体験では、秋に収穫したサトイモ、キョウイモの掘り起こしをしました。なかなかの重労働で、終わった後の昼ごはんが美味しかったー。

自然素材を使って作品を作ること。
すなわち、自然と向き合い、自分と向き合い、人と向き合い、生活や暮らしの中で“助け合うこと”“認め合うこと”で、文化や芸術が成熟してきた過程を全身で体感することができました。
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いよいよ第2弾では、やさとの里山に入り、苔や山野草をいただき、盆景を作成します。
新緑と、ぽかぽかと暖かい日差しが気持ちよいやさとで、のんびりゆるゆるとしたGWイベントを楽しみましょう☆初夏の田植え前、全面に水を張った水田に筑波山が写りこむ、この時期だけの幻想的な景色が広がります。
 
みなさまの参加をお待ちしております!!

報告:村長メグ
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by kurashilabo | 2013-04-01 16:58 | レポート(報告) | Comments(0)