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ふみきコラム1229

 今年は体調もまずまずで、病院のお世話になることもなかったし、8月には一向に雨が降らずどうなることやらと気をもみましたが、一年を通してみればまずまずの出来で、おだやかな一年ではありました。農作業の面では常念君と菊地くんといういい研修生にも恵まれ助かりました。常念君はマイワールド、わが道を行くというタイプであり、菊地君は軽いフットワークで人と人、グループとグループをつなげていくというところが持ち味です。6月からは舟田氏が加わり、強力な布陣となり、彼は9月からスタッフになってくれたのでこれからが楽しみです。男手が3人いるとなかなか強力で、ボクはむしろ追われながら作業の段取りをつけていくような動きになりました。舟田氏はアメリカのアパラチア山脈、ロッキー山脈、シエラネバダ山脈、1万4千kmを踏破したハイカーですし(日本人初だそうです)、冬コートを自分で作ってしまうくらいですから凡人ではありません。彼の定住革命がどうなるのか楽しみです。

 当コラム、今年は理屈っぽいものが多くなり恐縮です。ボクにしてみれば、以前農場にいた時背負い込んだ宿題を今頃になって自分なりにまとめているという気分です。そういう意味でそれも農場の生産物だと思っています。初期のたまごの会は沢山の不安な質問やテーマを提出しましたが、それに答える間もなく分裂したり、歴史に押し流されてしまいました。それをそのままにしておくのは心残りなものです。3.11以降、今必要とされている多くのテーマはそこにあったのですから。だからボクが書いていることはほとんどがたまごの会論であり農場論であり、たまごの会の農業論な訳です。誰かがそれをまとめて今の時代に差し出していくことをしなければなりません。自分の書いていることがどれだけ妥当かはわかりませんが、自分にはこんな書き方しかできません。

 世の中は何やら怪しげな大波が渦巻いています。尖閣問題あたりから「ああ、みんな戦争したい気分なんだなぁ」と思っていましたから、選挙の結果には何の驚きもありませんでした。むしろ自分の中にもそれと共振する何かがあって、ちょっとたじろきました。なかなか難しい時代になったものです。明治維新から太平洋戦争まで考えてみたら70年ちょっとしかありません。戦争が終わってから現在まですでに70年弱、そろそろ平和という重さ、終わりのないまったりとした日常、一握の砂のようにサラサラと散る個人、際限なく複雑怪奇担っていく社会、そういうものに耐えられなくなっても不思議ではありません。誰もゆっくり考えることができなくなっています。

 しかしそうではあっても、波打つ退会の底の方では静かな革命が次第に形を為してきていると信じています。その革命は3.11のような文明の裂け目を通してしか見ることができませんが、私たちは確かにそれを見たはずなのです。すでに見えたのですから消えることはありません。その深く、静かな潮流を自分なりに「大きなアニミズム」と言ってみましたが、それが100年、200年のテーマであろうとボクはそこの住人でいたいと思います。

 来年がボクにとっても農場にとってもいい年になるように願ってはいますが、どうも自分の人生も農場も「安定軌道に乗る」ということは無いと思うようになりました。そんな人生しかやってこなかったのですから仕方ありません。安定軌道などカタギの言うことです。どうせロクなくたばり方はしないだろうから身辺整理とまで言わなくとも部屋の掃除くらいはやっておくべきだろうなぁ。S
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by kurashilabo | 2012-12-29 17:08 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

年末年始の出荷について

年末年始も休まず通常通り出荷いたします。

年内最終 2012年12月29日(土)着
年始最初 2013年1月4日(土)着


ただし、交通事情によって配送が遅れることがあります。
荷物の状況を確認したい場合は、一度農場にお電話ください。0299-43-6769
発送時に割り振られるお問い合わせ番号をお伝えしますので、最寄りの佐川急便営業所に確認してみてください。
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by kurashilabo | 2012-12-29 15:44 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム1223

 いわゆる新規就農の人々の前途は多難である。前途などあるだろうか、と言いたくなるほどだ。

 お金の問題一つとっても難題である。「お金が目的ではない」と「お金に替えられない豊かさ」と言ったところでお金は必要となる。このハードルを越せなくて撤退する人も少なくない。そもそも彼らを駆り立てた動機であるところの「農的」生活、ここで使ってきた言葉でいえば贈与性レベルの話はお金でカウントできない世界の話であり、お金とは最も縁遠いものだ。それゆえ実際の生活では逆ベクトルの農「業」の方に精を出さざるをえない。その「業」も、かってのように「有機ならやれる」という甘い時代ではなくなっている。「大地の会」をはじめ沢山の有機農産物を扱う業者があり、生協あり、雨後のタケノコのような直売所あり、ネットあり、今ではちょっとしたスーパーでさえ扱っているという具合。そこでは新規就農者はまともな競争力をもたない。それで多くの場合、野菜セットを宅配で送るという形に落ち着く。それしかないのである。しかしそれも親戚、友人、知人のサポートという範囲を越えることは少ない。才覚があれば、業者や生協との契約栽培ということもあるが、もうそのチャンスも極めて少ない(新しい契約栽培者を必要としない)。多くの新規就農者がそのあたりで立往生している。そんな印象をもっている。仮になんとか食べていけるレベルに達したとしても、「業」の方で手いっぱいで「農」どころではないというのが実情ではなかろうか。悩ましいところである。

 一見両立しにくいようにみえる「農」と「業」だが、実はかってのムラではごく普通に両立していたということは注意しておいてよいと思う。むしろその両方が活々していいてこそムラは人の生活の場たりえたのである。かっての農業はむろん農業として年貢であれ販売であれ出荷目的であったのは当然だが、同時にその農業のやり方、暮らし方には沢山の「農」が組み込まれていて、普通にやっていればそんな問題は起きようがなかった。共同体という場と伝統的コスモロジーがそれを可能にしていた。それに比して現在の新参農業者は全くの近代的個人であり、それぞれに「私小説的」営農をしているだけだ。両方を同時に成り立たせる「場」、「意味レベル」を欠いている。そこでは「業」と「農」が逆の方を向いてしまうのである。「業」に傾く人は農水省から表彰されてもいいようなベンチャーとしてのエコ農業の担い手になっていき、「農」に傾く人は自然農やパーマカルチャーに行ってしまう。中間でやっていくのは難しい。

 また、以前にも述べたことだが、新参農業者はどこまでも個人であり、そもそも共同性というものを欠いている。それ故、時には何日も人と話すこともなく、年中行事や祭りもなく、山や川や風土とのつながりもなく孤立して仕事をしていくことになりがちだ。それは現代の開拓者の不可避の属性であるのだが、それはそれでつらいものがある。そんな心の隙間に地域とかムラという幻想が入り込む。そこに私たちにない何かがありそうな気がする…。そして少なからぬ人が道を誤る。地域にはおもしろい発見や人物や風景が沢山あり、郷愁に満ちてはいる。しかしそこは私たちの活動のフィールドではあるが、(文化人類学が使うような意味で)メインテーマがそこにある訳ではない。私たちは地域の人でも農民でもないし、なることもできないし、なる必要もない。本当はその時、新しい共同性、私たちの出自でもある都市民を含んだ新しいムラ、新しいアニミズムのようなものが求められているのだが、これは途方もなく難しい。

 かようにどちらを向いてもまだ出口は見えていない。現代の「農」を目指すムーブメントは今後どのような展開をみせるのだろうか。現代の開拓者たちは何者たろうとしているのだろうか。生き方の問題として私小説的空間に遊ぶことで満足できるのだろうか。あるいは現代社会を根底でゆるがす根拠地のようなものに進化する可能性をどこかに秘めているのだろうか。それとも行政や農業関係者がリードする形で新しい農業の担い手という言葉にくるまれて、再び近代に回収されていくことになるのだろうか。それはわからないが、就農して有機農業を始めた人々は戦略なき生活と闘いを強いられている気がする。

 だがしかし、そうではあるが、彼らは大きなアニミズムに向かうかにみえる時代潮流のその波頭に立っていることだけは確かなのである。そして言うまでもないことだが、新規就農者とは私自身のことであり、私たちの農場のことである。
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by kurashilabo | 2012-12-23 10:11 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム1215

 「飼う」ということに贈与性のレベルを想定すると、いわゆる家畜化論もまた違った読み方ができるのではないか。家畜化論とは例えば「ニワトリはいつ、どこで、どの野生種から家畜化され、どのように品種ができ、どう世界に伝播したか」を実証的に研究するもので、沢山の蓄積がある。ここでそれに立ち入ることはできないが、現在の家畜化論にはその立論にいくつかの見過ごせない近代主義的限界があるように思う。

 ひとつは家畜化は何であれ経済的目的があって始まるというものである。豚であればむろん肉、犬であれば狩猟や番犬、ニワトリであれば闘鶏や卵等々。むろん当初から経済目的はあったとしてもそれだけで家畜化は説明できないのではないか。犬は最も早く家畜化された動物だが、「狩猟目的でオオカミを捕まえて飼いならした」というよりも、人とオオカミの出会いがあり、人からの贈与的アプローチを経て共生的関係が成立し、その中から「狩猟にも役立つ」という経済目的が発見される、というプロセスではないかと思う。犬は狩猟、番犬、闘犬、食用、役畜等々最も幅広く利用されてきた動物だが、またその昔からずっと人の「友だち」でもあった。今のペットとは多少意味が違うが、人の近くに住み着いて餌を与えられたり、なでられたり、子どもの遊び相手だったり、神としてあがめられたり、逆にバカにされて石を投げつけられたり、そんな仕方で人と共生しているというのが犬の基本的な在り方であり、その中の経済目的が期待できる一部のエリートが狩猟用や番犬、役畜等々として出世し、より濃密な人との関係に入っていくということではないか。私たちは野良犬的な“街の犬”を人が飼っていたものから脱落したものたちと考えがちだが、おそらくそれは逆なのである。定住化にともない身近な動物や植物との間に明確な家畜化、栽培化(経済目的のある)とはいえないあいまいな共生領域が生まれ、そこでのたわむれから農は立ち上がってくるのであろう。(家畜化プロセスは豚や鶏など定住民型動物と羊や牛などの遊牧型の動物で大きく違うはずだし、植物はまた別のプロセスがあるはずで一般化できない。とはいえ、そこには共通する原理があるはず。)
 
 家畜化論のいまひとつの問題は“野生”ということの捉え方の問題だ。家畜化論には家畜化=不自由・隷属、野生=自由という図式がほとんど無意識に前提されている。「自然の中で自由に生きている動物をそこから引きはがして囲い込み、隷属させ、利用する」というものである。(これは日本と欧米で違うかもしれない)。しかし実際には野生とはそれ以外の形では生きられないという意味で自由の入る余地はなく、常に餌を求め、敵を警戒している生活である。どんなレベルであれ、餌と安全が保障され生殖も用意されている「飼育(贈与)」は彼らにとって魅力ないはずがないのである。また、本当に嫌がる動物を長く囲い込み、家畜にすることは不可能で、家畜化の成立には動物側からの受入、参加が不可欠となる。家畜化は両者にとって「よりよい」ものでなければならず、そういうものとして共生関係を築くのである。

 さて、かように家畜化に贈与性のレベルを想定すると、今から1万2千年ほど昔、人が定住しプリミティブな農耕や動物飼育が始まったシーンを、単に食糧調達の新しい方法というだけではない形で理解することを可能にするだろう。それは狩猟採集という動物的(動物はみな狩猟採集生活者である)、一方的な関係に替わって、「飼う・育てる」という贈与性を媒介として相互にとって「よりよい」共生的関係を築き、その中で生活することを可能にしたのである。それは単に食糧不足を補うということを越えて、人と動物や植物との相方向的な新しい出会い方だったのである。人はそこで「飼う・育てる」という新しい戯れ、遊び方を発見したともいえる。むろんその時、それが人類史の新しいステージを用意することになるとは誰も考えなかっただろうけれども。
その後(紀元前数千年)チグリス・ユーフラテス川流域、ナイル川流域等、4大文明地帯で農業社会が成立する。(日本列島では縄文時代は定住革命の段階であり、農業社会化は弥生時代以降のことである)単に「飼う・育てる」だけでなく、生物が潜在的にもつ(自然界では適度に抑圧されている)増殖性を解放すれば飛躍的に大きな富をもたらすことができるという発見、その組織化。農業革命である。そこから現代まではひとつながりの歴史である。私たちが世界史・日本史として学んだところの。

 自然を破壊したり土をかき混ぜたり動物を殺したりと、経済としての農業は野蛮なものである。畜産はとりわけそうである。この農場の農業も畜産もむろん野蛮である。そうではあるが、農業はそこに贈与性のレベルが組み込まれているのが故に、からくも人はその野蛮を受入れ、飼い慣らし、文化としてこれたのである。近代畜産、近代農業はその近代性ゆえに贈与性のレベルを理解できず、(そんな問題領域があるとは思いもよらず)切り捨ててしまった。その結果、ただの野蛮になり果てたということなのであろう。そういう意味で、近代農業の成立をもって、弥生時代以来の長かった農業社会が終わったのである。 S
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by kurashilabo | 2012-12-16 16:05 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム1208

 動物を飼ったり、草花を育てたりというのはごく日常的なことだが、よく考えるとつくづく不思議なことである。またそれが楽しい、その相手をかわいい、愛おしく感じてしまうというのも不思議である。言語と同様、これは人間だけがもつ不思議である。

 私的な話になって恐縮だが、自分史を振り返ると実に色々な生き物を飼った。小学生高学年から中学生にかけての頃のことだが、魚であれ、虫であれ、カエルであれ、野鳥であれ、夜店で売っている3羽10円のヒヨコであれ猫であれ、何でも捕まえてきては飼っていた。あれは何だったのだろう。今になって思うと、何でそんなことをしていたのかよくわからない。ただ確かなのはそれは「飼う」という遊びであり、大きく育てて食べようとか、売ってお金に換えようとかいう経済目的はなかったということである。狩猟採集的な遊びにしか興味を示さなかった子どもが、成長のある段階で「飼う」という遊びを覚えるというのは面白いことだ。人は人類史を復習するようにして成長するという言い方がどれだけ妥当かはわからないが、先に述べた人類史に対応させていえば、小学生から中学生にかけての頃、人は定住革命を完成させるのであろう(農業革命への準備が整う)。

 それはさておき、その時の生き物を「飼う」という遊びが、自分の中ではそのまま今につながっている。今は犬や猫を飼ったり、山羊や豚を飼ったり、鶏を飼ったりしている。それもまた飼うという遊びであり、たわむれなのである。むろん豚や鶏は経済目的があって飼っているのだが、それはそれで別のことだ。私たちは長い農業社会を経ているので動物を飼ったり草花を育てるのは何か目的があってするものだという思考習慣にとらわれている。だからペットでさえ「心の癒し」を目的として飼う、などと説明する。それは間違っているとまでは言わないが、ペットとは「飼うこと」自体を目的とした動物たちのことである。「飼う」という遊びである。また、豚も鶏もむろんペットとして飼うこともできる。かように「飼うこと」はそれ自体独立した行為であり、経済目的がなくてもごく普通に存在しうる。逆に、近代畜産の現場には「飼う」という遊びは無いが、卵も肉も生産されている。それは逆の面から「飼う」と経済目的は別のことなのだということを証明しているといえよう。農業では「飼う」「育てる」という行為と経済目的かが合体して一つになっているのでわかりにくいのである。

 さて、「飼う・育てる」だが、これはひたすらの贈与である。そう考える。「飼う」とは物的、また精神的な何かを与え続けることである。彼らとのたわむれの中でその贈与が受け取られると(コンタクト)そこにひとつのチャンネルが開かれる。何も難しいことではない。山羊に草をやるとして、あの草は食べなかったがこの草は美味しそうに食べている。こちらも嬉しくなる。それが彼女とコンタクトし、通路が開かれたということである。そのようなささいな行為を積み重ねていく。その時彼らは贈与の返礼としてかわいくしたり、尾を振ったりしている訳ではない。ただひたすら贈与を受け取り、そこに開かれたチャンネルを彼らもまた楽しむのである。そこに開かれる相互幸福的な世界、自他不可分の世界が可愛い、面白いということではなかろうか。もし私が一羽の鶏を飼っているとして、このエサやりと交換に彼女が卵を与えてくれる、give and take と考えたらエサやりは単なる労働であって、かわいくも癒やしにもならないだろう。ひたすらの贈与(奉仕)という非交換的行為と、それによって開かれる自他不可分の、相互幸福的空間が彼自身を救済するのである。可愛い、面白い、癒し等々はそういう極めてプライベートで、微妙な心の状態の表現なのであろう。おそらくその時私たちは微かにアニミズムの世界に触れているのである。

 いわゆる伝統社会には、このようなひたすらの贈与によって開かれる自然との通路が、そこかしこに開かれていたのではなかろうか。それは繰り返し言ってきたように日常の営農に組み込まれていたし、家の神棚にも、路傍の石仏や丘の上のお稲荷さんにもあったし、川にも山にも樹木にも動物にも開かれていたに違いないのだ。明治以降、近代化のプロセスでその世界は急速に失われていき、内山節の「1965年を最後にキツネにだまされたという話は日本列島から消えた」という報告からすれば、その頃ほぼ完全に過去の世界となったのである。また1961年に始まる農業の近代化政策は農業の中からもそれを駆逐してしまった。

 1970年頃から都市民を中心に「農」あるいは「有機農業」という言葉がささやかれ出すのも由なきことではないのである。そこに私は失われた世界、アニミズムへの言葉にならない飢えを感じる。むろんそれはもう戻らないけれども。 S
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by kurashilabo | 2012-12-09 16:03 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム1201

 1970年以降、沢山の人たちが有機農業で新規就農したし、現在もますますそれは一般化し、もはやひとつの職業選択のようでさえある。就農とまではいかなくとも農業に関心をもち、関わっていこうという人々も加えればそのすそ野は大変広く、時代の一つの気分ともいえる。かような「農へ」という潮流の根本の動機もここまでくれば明らかだ。彼らは農業問題に関心があるのでも、日本の農業を憂いている訳でもない。口では食べ物の安全性や健康、無農薬などということを言うだろうが、本当はそれさえ本心ではないのかもしれない。むしろ畑を耕したり、作物を育てたり、動物を飼ったりという、それ自体が目的であるところの自然とのたわむれ(贈与的行為)の中で彼らとの相互幸福的な関係を築き、そこに出現する自他不可分の場所に遊びたいのである。それは自分の身体性の回復ということでもあるし、「自分」というとらわれから自由になるということでもある。それ自体が癒しであるような生活、明朗で疑問の余地のない“原型的”な暮らしと人生、そんな風にもいえるかもしれない。むろん実際にはそんな甘い場所があるはずもないが、彼らはそのようなあるかもしれない農的世界を夢想しているに違いないのだ。

 注意したいのはこれは農業とも農村とも関係ないテーマだということである。むしろそれは高度化を極めている現代都市文明が日々遠い過去から呼び起こしてくる亡霊のようなものだ。そのような意味で、彼らは現代文明の先端で彼らの「農業」を発見しているのである。その「農業」はもともと自分をとり戻したり、現代文明を批判的に生きるための道具だてであるからむしろ都市問題であって、現実の農業とは関係がない、で、ここからがやっかいなところだが、彼らが実際に就農するとなると、そこには現実としての農業と農村と経営問題があり、現実の農業者にならなければやっていけない。そして経験を重ね、月日を経るに従い農業者そのものになっていく。そこには変節、というよりテーマの横滑りがあるのだけれどそれは忘れられる。農業関係者や行政がトンチンカンにも「新しい農業の担い手」などと持ち上げるものだから、本人もその気になったりする。

 このようにして新規就農者はレベルの違う、ないしカテゴリーの異なる2つのテーマを同時に抱え込むことになる。これは新規就農者の宿命のようなもので、彼らの歴史、社会的立ち位置からくる仕方ないことなのだ。いわゆる農業後継者にはこの種の悩み(?)はない。また都市で農業を語っているだけの人にもない。新規就農者に特有の問題なのである。農か農業か、という例の問答もここから立ち上がってくる。農というのはここでの言葉でいえば農業が元来持っている贈与性のレベルのテーマである。ひたすらの贈与という行為は近代性と最もなじまない性格のものであるから、それは根底的な近代批判という性格を潜在的にはもっている。しかしそれはあまりに当たり前で、またあまりに根底的なので、本人自身うまく意識化できず、言語化されにくい。そこで自然農法とか有機農業とかいう前景的で口当たりもよく、わかり易い言説が幅をきかすことになる。これらの言葉は何やら正しそうで、意義もありそうなので、彼ら自身も進んでその言葉にとらえられていく(イデオロギー化)。

 しかしそれらは何といっても農業用語であるから、彼らの動機や実践のもつラディカルなレベルを切り捨て、それを旧来の農業の言説の中に回収し無毒化するという働きをもってしまう。有機農業論の功罪ということでいえば、この“罪”は小さくないと言わなければならない。「農へ」という自然発生的ムーブメントが10年経とうと30年40年経とうと何一つ新しい言葉を生み出していないのも、それを有機農業云々という言語群で語ってしまうからではないのか、そんな風に思ったりもする。それらの言語群で「農へ」という潮流をトータルに視野に入れることはできない。 S
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by kurashilabo | 2012-12-02 16:02 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)