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ふみきコラム0526

因果はめぐりまたまた豚さんのお世話をすることになった。今日は出荷準備でお肉のカットをした。屠畜場から持ち帰ったブロック肉(モモ、カタ、ロースバラ)を小さく出荷向けにカットしていくのである。2頭分のブロック肉をドンと作業台に並べるとやはり卵や野菜類とはまた違う迫力がある。実は自分はもうあまりお肉はいただかない。食べないようにしているのではなく、沢山は受け付けなくなってしまった。身体の活動性が低下して必要なくなっているのだろう。魚の方が美味しい。(しかし残念ながら農場の食卓に魚がのぼることは少ない。自給できないから。)しかしむろんそれはお肉が悪い訳ではない。お肉が最高の食品であることに変わりはない。味、カロリー、料理のし易さ、栄養どれをとっても肉に勝るものはない。最高に「濃い」食い物なのである。ボクの身体の方がそんなものは必要としなくなってしまったのだ。残念ながら。今の時代、お肉は「身体にあまりよくない食材」(だけどつい食べてしまう)と考える人が少なくないが、それは間違いだ。かっては体内で炭素を燃やしてしていた仕事を、現代では人々は身体の外で燃やして仕事をするようになった。楽をしている。身体の活動量は昔に比べれば格段に低下した。また、現代ではお肉以外でも多種多様な美味しい食材が質量ともにこれでもかという位巷にあふれている。こんな時代はかってなかった。そんな現代であるから「肉」に出番が無くなってしまったのである。お肉を必要としない社会になったのだ。人類史もついにそこまで到達したというべきか。

「肉」は人類史の中で特別なものである。肉への欲望こそがヒトという種を「人」にしてきたのだといってもよい。霊長類はどの種も身体機能(消化器官)としては肉食が可能であり、潜在的には肉食への願望があるのだという。チンパンジーやゴリラは結局その願望を現実化する能力を持ち得ず森に住み続けたのに対し、ヒトだけがそのハードルを越え、「肉食するサル」という猛獣となってサバンナに進出したのである。しかし元来肉食動物=猛獣としての身体をもっていないヒトが「狩りをする」というのは実は大変なことなのだ。直立二足歩行、「手」の獲得、発達した大脳、高度なチームワーク(情報伝達と協働)等々、ヒトをヒトたらしめている諸特徴はみなハンターとしての進化過程で獲得ないし高度化した能力である。そして、その能力を獲得した時、サバンナも大平原も雪原も人類の新天地となった。そこにはウシ、ウマ、ナウマン象、オオツノジカ、マンモス、等々大型ないし中型の草食獣が大量に群生していたから。ヒトは猿人(アウストラロピテクス。500万年から200万年)から原人(ジャワ原人、北京原人などホモエレクトス。200万年~50万年)、旧人(ネアンデルタールなど30万年~3万年?)を経て20万年ほど前に今に続く新人(ホモサピエンス)が登場する。その新人のごくわずかな一団が生まれ故郷のアフリカを出て世界に拡散していくのが5万年位前らしい。ヒトという種が世界のどこに行っても生息しているようになったのはそれからである。(日本列島に到達したのは3万年前位?古モンゴロイド。)何百万年もの昔のことはわからないことが多いにせよ、5万年前氷河期で寒い寒い時代にヒトが世界に拡散できたのは彼らがすぐれたハンターであったからというのは間違いないところである。(そのスキルとノウハウを文化としてもっていた。)その時代、食い物になる植物はわずかしかなかったはずだ。かように「肉」という食い物が人類史を駆動してきたのであり、ハンティングこそがヒトの身体と精神と社会性の基本を形成したのである。人類史の実に99.8%の長きにわたり、ヒトはハンターであったということは忘れてならない前提である。 S
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by kurashilabo | 2012-05-27 15:37 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム0519

ぶーちゃんたちに給食残飯をやり、畑で刈って来た草をたっぷりと与え、水を替えて、彼らがほぼ満足したのを確認してボクの今日の作業は終りだ。朝の6時にはじまり、ダラダラとキクッチーや常念、ウーファーの大橋さんと一緒にあれやこれやをやって6時、今日も無事終了。「今日はかくてありけり、あすもまたかくてありなん」などと戻ってくると、待ち構えていたようにヤギのコユキが現れて、遊べ遊べとまわりで飛び跳ねる。子ヤギとはいっても去年の春生まれた子だから体は8割方大人だ。しかし顔はまだまだ子供、美人さんである。本当はもうとっくに柵の中に入れて飼わないといけないのだけれど、かわいいので農場内にいるかぎり大目にみて勝手にさせている。(姜女史からブルーベリーがみな食われたとか、ハーブが食われたとかいろいろ被害の報告があり、なんとかせいと言われている)ボクにはもう遊ぶ元気は残っていないので、若葉の美しいケヤキの一枝を折ってやると夢中で食べる。山羊は草よりもびわの葉やクヌギなど木の葉の方が大好き。その食いっぷりを眺めているとどこからともなくネコのナオキチとネムが現れて足にまとわりついてくる。となりでは犬のトマト(ダックスフンド)がキクッチーとサッカーを始める。トマトはサッカーを始めるともう夢中でボールを追い、ドリブルしキクッチーとやりとりする。これがなかなか上手でおもしろい。トマトとキクッチーのサッカーも毎日の習慣のようになっている。このけだるくメルヘンチックな時間がボクは好きだ。全く異なる生物種がこんな形になっているのはとてもおもしろいことだと思う。

農場には鶏(赤色野鶏)豚(イノシシ)猫(エジプト山猫)犬(オオカミ)山羊(?)人(ホモサピエンス)が混住し、「共棲」している。農場だし農業やっているのだからそれはごく日常で、あたりまえなのだが、あまりにあたりまえすぎて、私たちはその不思議さを忘れている。農業という文脈でものをみたり考えたりしているとその不思議さはさらに見えなくなる。「田んぼで米を作っている」という言い方をすると何でもないことのように思うけれど、住居近くに田という水辺をこしらえ、そこでイネという植物と濃密に関係し、ヒトとイネが共生(棲)することで自らの食い物を手に入れるというのは生物種としてみれば実にヘンな在り方をしているのである。自然界ではそれぞれの種は単独で生き、他の生物種は餌か、敵か、無関係かのどれかであり、互いに関係することはしない。多種多様な動物や植物と、かくも濃く関係し、その関係の中に自らの暮らしを築いているのはヒトだけだ。

ボクはシロという犬を飼っていて毎日鼻を突き合わせて「会話」する。言葉は通じないが一定の会話はできる。ヒトとオオカミがこんな関係になっているのだから不思議という他はない。インドに「オオカミに育てられた少女」という有名な話があるが、気がつけばなんのことはない自分がオオカミオジサンになっていたのである。(オオカミ少女の話は実は作り話だったということだが)ヒトがこんなヘンな生活の仕方をするようになったのはそんなに古いことではない。一万年前から一万二千年位昔のことである。相当昔のようにも思えるが、人類史は500万年くらいだし、現生人類(クロマニヨン人、あるいはホモ・サピエンス)が出現してからでも20万年くらいあるのだから人類史的にはごく新しい出来事なのである。定住し、こんな形で他の動物や植物と共生(棲)する暮らし方を始めたのを一般には新石器革命と呼んでいる。定住革命と言ってもほぼ内容は同じである。 S
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by kurashilabo | 2012-05-20 15:34 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

田植えしました

2012年の田植えは二日間とも快晴!参加者総勢20名で無事に1.5反植え終わりました。
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苗床は農場敷地内にプールを作って育てました。
ここ数年で一番きれいに仕上がったのでは?
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5月の陽気の下、田んぼに足をいれると最初はちょっとおっかなびっくりだけど、慣れてくるとどろどろ感がなんとも言えず気持いいんです。
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植え終わったあとは、みんなで豊作祈願。
田んぼの周りをくるくる回りながら踊ります。
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そして稲のポーズでしめ!(笑)
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by kurashilabo | 2012-05-20 10:27 | レポート(報告) | Comments(0)

キッチンから 5月

野菜がなんにもないので食当に困った一週間でした。それでも気がつくと(何を作ったか思い出せないのに)無事に何かしら食べたようで、今日も空腹に悩まずに生きているのだからすごい。サニーレタスとサラダ菜を混ぜてサラダにしたのはよく覚えています。ドレッシングは会員Y氏秘伝の醤油・生姜・胡椒・ごま油ブレンドだったり、実家から送ってきたイカナゴ(こおなご)の佃煮にマヨネーズを混ぜたものだったり、いろいろ。今週はラディッシュも入ったので、彩りアップですね。何でもいいから作って美味しく食べていれば、また一週間元気に過ごせるはずですね。イバ

鈴木さんが食事当番の週は食卓にのぼる料理がたいがい1品だ。美味しいし、ボリュームもあるので1品でもお腹いっぱい食べられる。鈴木さんは料理はめんどうだと思っているみたいだけど美味しい物を作ってくれる。今日の春菊の味噌汁も絶品だった。なんか変わったことしました?って聞いたら。「何も」と言う。分析するに、しっかり出汁をとっていることと、春菊を煮ないということだと思う。刻んだ春菊がボールに盛られて、何も入ってない味噌汁の横にあった。おわんに春菊をいれてそこに熱々の汁をかけるだけ。それだけなのにとにかく絶品。是非春菊の味噌汁やってみてください。(姜)

毎日葉物ばかり食べています。私は俵万智が好きで、サラダを食べるたびに思い浮かびます。ただ、本当に最近は、(味はともかくとして)毎日がサラダ記念日のようで、記念日のありがたみというのを忘れそう。肉と卵を利用してどうにかやりくりしています。たまたま朝日新聞にJ-オイルミルズ(味の素など3社の精油部門が集まってできた会社)の広告があり、「金環日食丼」が紹介されていました。卵とタマネギなど農場の野菜を焼いて太陽の部分を作り、鶏挽肉の甘酢あんで月の影を表現。直接見ても目を傷めない日食丼、簡単です。 菊地
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by kurashilabo | 2012-05-18 15:35 | 週報からの抜粋 | Comments(0)

ふみきコラム0505

農場横の湿田を池に改造している。

梅雨時のように降り続く雨の中で、傘をさしてできかけの池に水が溜まっていく様をながめていた。降る雨が水面に無数の輪を作り、静かだった。不意に自分の中に何ともいえぬ満足の感情が湧いてきて驚く。自分が帰るべきところに行き着いたような気持ち。至福といったら大げさではあるが。池とはいってもまだ魚もいないし、ゲンゴロウもいないし、水草もなく、オタマジャクシだけが水底でうごめくただの「うす汚い水溜り」ができただけなのだが。しかしそれはもう自分の中ではりっぱな「溜池」になっていた。その時の気持ちは自分の家を手作りした時の満足感とも少し違う。ある種のなつかしさのようなもの。おそらくはもっと原初的な人間であった自分の子ども時代への回帰、そんなところだと思う。まぁ、ともかく自分にとっての池はできたのだ。

地域は今、田植えの真っ最中で田んぼにはトラクターや田植え機が走り、人々が忙しく働いている。そういう人たちがふとトラクターを止めて、あるいは秘密を聞き出そうとするが如く近寄ってきて「一体何してるでぇ」と聞いてくる。朝夕の散歩途中のオバサンやジイさんが「何してるの?」と声をかけてくる。有機農業の青年が軽トラから降りてきて「何してるんですか?」問う。その度に「いやぁ、池を作っているんですョ、フナとか魚でも飼おうかと思って」と正直に答えると「ホゥ…池…いいですねぇ」などと小さく言い、そして微妙な笑みを浮かべる。まぁいい、小人を相手にしても仕方がない。自分でも「一体オレは何してるんだ、イイトシシテ」と思わないでもない。畑の作業だって詰まってきているというのに。しかしまぁいいのである。今更人生を反省しても遅いし、もうやり直しもきかないからオレはオレだ。米とか畑とか有用性の世界だけでは人は生きていけない。米や野菜は必要だが十分条件ではない。人間文化と自然の境界面こそ大事である。身の回りの小さな風景が人を救うことだってあるのだ。

たかが池などとあなどってはいけない。私たちは庭を作る時、しばしば池と石を配置する。名のある庭園をのぞけばそれがどれも池(水)と石(岩)を中心に構成されているのに気付くだろう。それが無いと「構造」ができないのである。池(湖)と石(山)は宇宙軸となって「聖地」を作る。チベットのカイラス山とナントかという湖(名前は忘れた)、男体山と中禅寺湖、箱根山と芦ノ湖、古来よりの(宗教以前の)聖地はみなそうである。そして聖地の構造はそのまま私たちの無意識のコスモロジーだ。自分では気付かないが、今も尚私たちはそのようなコスモロジーを持っている。ボクの「水溜り」も一瞬、そこに触れたのではないかと思う。

今日(3日)は終日強い雨が降り続いた。ほぼ形ができた池は水をなみなみとたたえ、あふれんばかり。何度も見てまわり排水や水位をみていた。池の隅にいくつも白い綿のようなゴミが浮いているので捨てようと取り上げたらそれは泡のかたまりで、いまにも孵化しそうな卵がいくつも見えた。生き物たちはもう活動をはじめているのである。何やら楽しくなる。 S
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by kurashilabo | 2012-05-06 15:35 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)