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ふみきコラム0428

田んぼの減農薬運動でよく知られた「農と自然の思想家」宇根豊さんという人がいる。時々文章に触れて教えられることが多い。彼は「百姓」を自称していて必ず「百姓、宇根豊」と名乗っている。その自信がうらやましくもある。ひるがえって自分が何と自称したらいいのかわからない。実感としてはフリーターというか、一生プータローで終わるんだろうなぁ、という気分だが、これではあまり人をふるい立たせることができない。しかし百姓という自称はちょっとはずかしいしむずかしい。有機農業をやる人にはそう自称する人が少なくないが、有機農業を勇気農業と言い換えたりするのと似て好きではない。そもそも百姓という言葉には長い歴史がある。元来律令制下では百姓とは(ひゃくせいと読んで)人民大衆、公民のことだった。百の姓(かばね)である。中世になると本百姓とか草分百姓とかいう言葉がでてきて、この場合は荘園制下の自立農民という意味が強い。江戸時代になると百姓という言葉は(農民という意味も含みつつも)むしろ身分呼称となる。町方に住んでいれば(武士を除いて)商人であれ職人であれ町人であり、地方(ジカタ)に住んでいれば商売をやっていようと猟師であろうと皆、百姓だった。

歴史家の網野善彦によれば、台帳上は「水呑百姓」が実際は大きな船を何艘も所有する廻船問屋だったりすることもあるという。明治になると、四民平等ということになり行政上は百姓という言葉は消える。百姓身分はなくなったのである。正式には(?)百姓という言葉に対応する実体はなくなり死語となった。それゆえその後の使い方は恣意的というか、その時その人の気分を反映したものとなる。明治以降は富国強兵、工業化都市化の時代であり、明治(近代)を明るい価値のあるものとして装うには江戸時代は暗い時代でなければならず、そういう文脈のなかで百姓もまた遅れたもの、地方の者、農業社会的なもの、前近代を嘲笑する言葉となった。近代の側にいる人間が使えば差別的な含意となり、農家が使えば自己卑下と羨望を含んたものとなった。日本近代の屈折をよく体現する言葉になったのである。(むろん新聞などメディアが百姓という言葉を使わないのはそのためである。)

それをもうひとひねりして、マツロハヌ者、大地に生きる者、という近代批判の含意で使われ出すのは記憶では成田空港反対闘争あたりからである。それは農業の見直し機運と規を一にしている。有機農業をやる人が百姓という言葉を使うのもそういう流れの中でである。彼らはそのことばに更に百姓=百の仕事ができる自立したものという意味も込めている。(百姓にもともとそんな意味はない、念のため)。まぁそういうのは文学だからどういう使い方をしてもいいのだが、次第に業界内だけで通用する用語になっていくのではなかろうか(仲間内の言葉)。外国の人や、ごく若い人にそこに含まれる煩雑な含意を読み取ることは困難だ。百姓に限らず農業にかかわる言葉はよく考えないと使い方がむずかしい。有機農業などというのはその最たるものだ。アッ、これをやると有機農業界でますます相手にされなくなるなぁ。しかし有機農業という言葉の検証は避けて通れない気がする。 S
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by kurashilabo | 2012-04-29 15:17 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

4/29-30 5/5-6 農場体験のお誘い

ゴールデンウィークの予定はとくに決まっていない。
できたらのんびり過ごしたい!と考えている方に朗報です。

やさと農場ではGW中の29-30日(日・月)と5-6(土・日)で、加工&池作り関連のミニ企画をいくつかご用意して皆さんの来場をお待ちしています。

Plan1 ぶー油を使った石鹸づくり
Plan2 池に蓮根植えor土手に花の種をまく
Plan3 ハーブの定植
などなど・・・。

これを機会に農場でやってみたかったことを持ちこんでもらってもOKです。
例:石がまでピザを焼きたい! 露天風呂に入りたい etc.

来場のご予約は、
kurashilabo@gmail.com
0299-43-6769
まで、メールかお電話ください。

ご来場お待ちしております^^
なお、宿泊に関しては部屋数もありますので、定員オーバーになったらごめんなさい。

事務局:姜(かん)

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by kurashilabo | 2012-04-22 21:45 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム0421

農場横の小さな湿田を池に改造中である。

いよいよこの辺りの田に水が入り、夜の蛙の声も一段とヒートアップしている。先日掘りかけた池の水の中にもう蛙の卵がうねうねとただよい、オタマジャクシになりはじめたものもいる。水の季節の到来である。今日(17日)は日中ひどく暑いと思っていたら、夕方に激しい風と雷雨となった。今年はじめての夕立だが、4月のこの時期にはめずらしい。数日前に建てたばかりのトマトハウスが風で飛ばされはしまいかと、樹木のゆれる様と空の雲の流れをしばしながめていた(おかげ様で大丈夫でした)。雨であれ池であれ、水の風景は心の中にまで染み入ってくる。作りかけの池をながめながら、丁度来場していた会員のS氏と「ここに棚でも作ったらいいねぇ」などと話をした。私たちはどうしてこんなにも水を嗜好するのだろうか。その水も噴水やプールのきれいな水ではなく、あの、「古池や蛙飛び込む水の音」の水である。水へのそのような情緒的接し方はどこからくるのだろうか。

普段は気にもとめないそんなことを考えたのは、先日ここでもちょっと触れたイザベラ・バードの「日本奥地紀行」に次のようななにげない一文があったからだ。彼女は明治11年、激しく降り続く雨の中をようやく秋田県の白沢に到着し、すったもんだの末やっとのこと宿の一部屋を得る。「・・・部屋は一方が村に面し、一方は池に臨んでいた。部屋はあたかも蚊を招くかのように池の上に突き出して建ててあった。どうして日本人は、こんな汚い水溜まりが家の装飾になると思っているのか、私にはわからない」こんな言われ方をしたのでは宿屋も大工も立つ瀬がないが。(誤解のないように言っておくと、彼女は日本に対して悪印象ばかりをもった訳ではない。むしろ旅を続ける中で文章のトーンが微妙に変わっていく。例えば、「・・・この丁寧で勤勉で文明化した国民の中に全く溶け込んで生活していると、その風俗習慣を、英国民のように何世紀にもわたってキリスト教に培われた国民の風俗習慣と比較してみることは、日本人に対して大いに不当な扱いをしたことになるということを忘れるようになる。この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように≪残念ながら実際にはそうでない!≫英国民がますますキリスト教化されんことを神に祈る。」等々)

私たちが「こんな汚い水溜り」にかくも親和的なのは稲作という「水と共棲する生活」を長く続けてきたからだろうか。ならばそれはアジアの稲作民に共通のはずだが、どうなんだろう、そこはよくわからない。思うに、むしろそれは私たちの、子どもや動物や植物などに対する接し方、「かわいい、かわいがる、かわいそう」系列の言葉で表わされる関係と相同なのではないか。自分と対象の間に意識的な区別をつけない、あの未開の精神。バードが見たように、家の中に人と馬と犬と鶏、ご先祖や大黒様までが横並びに暮らしていて、それをごく当たり前のこととしてきた人々。私たちはもうすっかり近代化してしまったと思っているのに、実はかようなアニミズム的心性が未だに心身の底の方にくすぶっているのではなかろうか、驚いたことに。 S
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by kurashilabo | 2012-04-22 15:18 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

田んぼと大豆の自給企画!参加者募集スタート

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●○稲豆学園 水稲部/陸豆部 参加者募集のお知らせ○●
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※稲刈りの日程が変更になりました※

茨城県石岡市にある暮らしの実験室やさと農場の田んぼと畑で、
一年を通してお米と大豆を自給してみませんか?
主食であるお米、味噌や油、醤油に欠かせない大豆、この2つ
を自給できる喜びはひとしおです!
今年はもち米の栽培もやります!

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■みんなで育てるお米と大豆

【水稲部】
品種:ミルキークィーン(茨城のお米です)
規模:0.5反

【陸豆部】
品種:やさと地大豆(青大豆もあります)
規模:1区画10㎡(一人1区画担当制です)

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<年間スケジュール>

☆5月19-20日 入部式/田植え
 5月26-27日 除草①
☆6月9-10日  除草②
 6月23-24日 除草③
☆6月30-1日 大豆種まき
 7月7-8日 間引き除草
☆8月4-5日 大豆畑除草
☆9月29-30日 稲刈り/枝豆収穫
☆11月17-18日 大豆収穫
☆12月~1月中 脱粒
☆2月 味噌仕込み

※☆印は公式活動です。全8回あります。
※作業は基本1泊2日の合宿形式です。
 日帰り参加もできます。
※農場の施設利用料と食費は別途実費がかかります。
 (宿泊利用料3000円/1食500円/日帰り利用料1500円)
※入部していなくても各活動には参加できます。
※日程があわずあまり活動に参加できなくても
 入部すればお米と大豆はお送りします。

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★部費:8000円
(お米7kg、自分の畑でとれた大豆)
 ※追加のお米を割引価格で購入できます

★入部定員:16名

★応募締切:5月20日 
 ※田植えの日までにお申し込みください^^
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<申込方法>

以下のフォームからお申込みください。
https://docs.google.com/spreadsheet/viewform?formkey=dEhvVGNhRVZIeGNGQXVNN2VBMnl2X3c6MQ#gid=0
※フォームがうまく作動しない場合は
 氏名/住所/e-mail/田植えの参加・不参加をご記入の上
 kurashilabo@gmail.com に直接メールしてください。

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<問い合わせ先>
暮らしの実験室やさと農場内
稲豆学園水稲部/陸豆部
顧問:茨木/マネージャー:姜
Tel/fax 0299-43-6769
kurashilabo@gmail.com
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by kurashilabo | 2012-04-19 11:17 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム0413

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農場横の小さな湿田を池に改造している。

ごく狭いとはいえ田の土(泥)を動かすのは大仕事なので重機(バックフォー3tクラス)を使い、畑仕事の合間に少しずつ進めている。重機はつくばのインド人(?)のおっさんが日本人を2,3人使ってやっている中古屋で買った。(他の中古屋見たが、そこが一番正直な商売をしているように思われた。)お金をどうしたか…は問わないことにしよう(寄進というあれである)。

重機を動かすのは腰が痛くなるのを別にすれば楽しい作業だ。自分が百倍も強力になったような快感がある。ガンダムになったような気分。自動車が走る快感の延長だとすれば、重機は腕力の巨大化である。トラクターであれ何であれ人の操作する機械はみな人体の持つ能力の外延化だが、重機の動きは人の腕と実によく似ているので、とりわけ自分と一体化してくる。自分の手で土を掬っているような気分になるのである。これがあればいくらでも自然破壊できるし、したくなってくる、いやはや。

機械の話はさておくとして、池である。土(泥)を掘っていると深いところから割竹や砂が出てきた。暗きょ排水の残骸である。(暗きょというのは土中の水抜き)。今の人はこんな狭くて条件の悪い田にそんな手間をかけないから何代か前の人であろう。彼もこの湿田を少しでも使い易くしようと苦労した訳だ。その田をつぶして池にするのは少々申し訳ない気にもなる。このあたりの田は大なり小なり谷津田だが(台地にはさまれた細長い谷に開かれた水田。)昭和30年代まではこうしたごく小さな悪条件の田もみな耕作されていた。米(作り)こそが価値の時代だったのである。その後は米余りで減反になり、工業化で働き手も外に出て、機械の入らない田から順次耕作放棄されていった。幹線道路を走っていては見えないが、今では小さな谷津田の奥はどこもヨシ原になっていて(豊葦原!)、もうそこが元は田だったとはわからなくなっているところも多い。

そういう放棄された田をのぞくのが僕は好きで、時々マムシに気をつけながら歩いてまわる。ヨシ原に次第に樹木が生え、鳥やケモノたちの棲みかとなっていくのは自然の回復として、それはそれで喜ばしいことかもしれない。耕作放棄といえば聞こえは悪いが、そんなところまで耕作しなくても生きていけるようになったということであり、けっこうなことである。そのようにして「自然に帰る」のも悪くはないが(大勢としてはそれでいいが)ちょっと芸がない。場所がよければ池にしたり(養魚!)、乾田化できるところは樹を植えたり(林業!)、都市住民に開放したりすれば(公園化!)景観も大きく変わり、おもしろい場所になると思うのだが。

実際には地権(所有権)が入り組んでいて、農家は耕作していない田畑も自分の所有物として囲い込んでいるから(土地資産。法的にもそうなっている)難しいのだけれど。しかし農地の所有やお金の私的所有とは元来性格が違う問題である。田畑の生み出す食べ物は、この列島で生きていくうえで必要不可欠であり、そういうものとして万民の関心事であり公共の問題だ。であるからこそ農地や農家は手厚く保護されてきたのである。もっと言ってしまえば田畑は耕作していればこその田畑であり、耕作放棄すれば自然に帰るのであり田畑ではない。田畑という変わらぬ実体があるわけではない。列島の自然は農家の占有物ではなく公共財として万民のものだ。田畑の所有権は本質的には利用権であるはずなのだ。ま、誰もそんな話関心もたないだろうけれど。S

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by kurashilabo | 2012-04-15 16:36 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

キッチンから 4月

京イモ・・・よく蒸してから皮をむき、素揚げかカタクリをつけて、から揚げにして、塩をふって食べるのが最高。止まらなくなります。S

春菊、人参、ヤーコンを千切りにして混ぜたサラダがお勧めです。ドレッシングは胡麻油とお酢と醤油にすりおろしたニンニクとしょうがを入れて、韓国唐辛子を一つまみいれると絶品。少しぴり辛に仕上げるとヤーコンの甘みと合います。(姜)

春菊のチヂミは簡単でオススメです。2センチずつに切った春菊を水と卵で溶いた小麦粉に混ぜて焼くだけ。水溶き小麦粉はクレープくらいのしゃばしゃば感がいいです。具のツナギなので春菊に絡ませる感じで。たっぷりの胡麻油でカリッと焼いてください。お好みで玉ねぎや人参を入れても美味しいです。味付けは塩だけでOK。好みでポン酢などでお召し上がりください。 (姜)
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by kurashilabo | 2012-04-01 15:32 | 週報からの抜粋 | Comments(0)