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放射能測定結果

当農場では、2011年5月につくば大学の研究室で行った土壌検査において、畑の放射能汚染濃度を測定、その後、9月と10月に常総生協が購入した測定器をお借りして、田、畑の土壌、野菜、玉子、豚肉の放射能値も測定しました。表内のbq(ベクレル)は1kgあたりです。

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品目    時間   セシウム137  セシウム134
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土壌(畑) 30分   81.1 bq     57.1 bq
土壌(田) 30分   152 bq      133 bq
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豚肉    30分   32.6 bq     25.4 bq

鶏肉    30分    不検出      16.9 bq
            (19.3 bq)    

玉子    60分    不検出      10.9 bq
             (10.9 bq)    

牧草    60分    不検出       不検出
             (14.8 bq)     (19.2 bq)
                      
ジャガイモ 60分   11.9 bq      不検出
                         (14.2 bq)

大根     60分   不検出       不検出
             (12.9 bq)     

白菜     60分   不検出       不検出
             (12.1 bq)  

小麦     30分   不検出       不検出
             (16.2 bq) 
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*土壌に関しては2011年春のお米の作付制限が5000bq/kg でした。
*不検出の下のカッコの中の数字は検出限界です。
これ以下の数字はこの検査時間では測定できないということです。
*12月22日厚生労働省が発表した新基準値は、野菜や穀類、魚肉類などの「一般食品」が100bqで、給食に使う食材は40bq となりました。
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by kurashilabo | 2011-12-24 22:07 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム1224

農場で僕はシロという名の平凡な中型犬を飼っている。

「犬殺し」という言葉を聞いたことがないだろうか?今は死語になっているから若い人は知らないだろうけれど「前期高齢者」とか「後期高齢者」の方々の中にはいるのではないか。小さい頃、犬を放していると「犬殺しにつれていかれちゃうよ」などと親から脅された記憶がかすかにある。少なくとも「犬殺し」という言葉を僕は知っている。「人さらい」と同じで、何か禍々しい響きと恐ろしさがそこにはあった。その言葉に部落差別の含意があることを僕は知らなかったけれども。当の親がそれを知っていて使ったのかも定かではない。

明治の初期、政府は江戸時代以来、街や村に住みつき、地域の人々とそれなりに共存してきた地域犬の撲滅に乗り出すが、その捕殺の仕事をいわゆる“部落民”にやらせたのである。文明開化と狂犬病対策を大義名分とした「登録され、飼い主が決まっており、つながれている」以外のすべての地域犬の捕殺(撲殺)には表だった反対は記録されていない。しかし、幕末から明治への戦乱の直後で、まだ社会が混とんとしていた時代であった。表立った反対ができよう訳がない。地域犬のジェノサイドという政策は(登録し、責任を負い、つないで飼うという習慣はまだ一般的でなかったから実質すべての地域犬が対象となった)当時の人々の精神を逆なでしたはずである。江戸期の人々は「動物を殺す」ということにきわめてナイーブだった。「動物を殺さない」というのは当時の人々のコスモロジーの根本に組み込まれた“身体化された倫理”だった。家のまわりをウロつく犬を撲殺するなど思いもよらぬことだったのである。その仕事を“部落民”にさせた。そこに政権の「犬の撲滅への反感を部落民の方へ向けさせる」という高度な政策意図があったかどうか、それはわからない。ただ、現実的にいって、その仕事ができるのは彼らしかなかったのも確かである。歴史的に牛馬をはじめとした生き物の処理、ノウハウとスキルは彼らにしかなかったからだ。

このようにして「犬殺し」という言葉は複雑な含意をもつことになった。そこには最も身近な動物である犬を、何の理由もないのに無慈悲に殺してしまうというやり口への深い嫌悪と恨みがある。そしてまた当の実行者たる“部落民”への強い差別の眼差しがある。かような強制的な地域犬撲滅政策にもかかわらず、地域犬はその後も歴史から消えることなくしぶとく街や村を徘徊していた。それは犬の繁殖力の強さもさることながら、この撲滅策が人々の本当の同意に基づいていなかったことによるだろう。地域犬、すなわち野良犬が私たちのまわりから最終的に消えたのは昭和も後半、日本が経済の高度成長を謳歌していた頃である。それは政策というよりはむしろ、私たちの超近代化された社会がそれを排除したと言った方が正しいだろう。道端に犬の糞がころがっているだけで眉をしかめるようになったのである。

こうして野良犬ということばは、二重の意味を持つようになった。社会の害悪であり、かつ権力にまつろわぬ頑固者という。そこには犬の近代史が刻み込まれているのである。「犬殺し」ということばは死語となった。しかし犬殺しが無くなった訳ではない。僕は未だに“保健所”という名前にいい印象がない。「犬殺し」はなくなったが「保健所につれてかれちゃうよ」とは今でも聞くのである。保健所の職員の方々には申し訳ないけれども。シロを放し飼いにしていた時、それが一番怖かったのである。S
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by kurashilabo | 2011-12-24 18:23 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(1)

ふみきコラム1218

農場で僕はシロという名の平凡な中型犬を飼っている。もう一匹農場には犬がいて、トマトという名のミニチュア・ダックスフントである。もう何年か前に「しばらく預かって」という名目で実質捨てられた犬だ。ミニチュアとはいえよく運動するので筋肉が付き、9kgもある。シロはつなぎ飼いだが、トマトは放し飼いである。放し飼いにしておいてもトマトは遠くへ行かない。去勢はしていないから発情が来るはずだが、それもはっきりせず、発情期にメスを求めて遠吠えしたり放浪するという事もない。いつでも農場の敷地内でウロウロしている。マンション犬というのはそこまで品種改良が進んでいるのかと驚く。もう半分は犬でない犬、堕落した犬、僕はそう言っている。

シロは放しておくとスタコラと農場を出て、時には1週間も10日も帰ってこない。はじめのころは放し飼いだったが、近所の人から(メス犬を飼っている)「お宅のシロちゃんが…」と電話が来たり、おまわりさんが連れてきてくれたり(放している犬がいるとおまわりさんに連絡する人がいるようだ)して近所迷惑だし、交通事故や野犬狩りが心配なので、今はつなぎ飼いである。犬をつないでおくと犬の魅力、面白さは半減してしまう。犬を放しながら散歩すると本当に楽しい(今はリードをつけている)。その疾走、そのジャンプ、ハンターとしての情熱、つかず離れずついてくる群れ意識、どれをとっても犬の犬性に感動してしまう。犬という哺乳類の能力にはすごいものがある。ロープで繋いで歩いていてはその楽しみはほとんど無くなってしまう。人が犬のあとからそのクソを拾って歩く、などという屈辱的なことは僕はしないが、毎日の散歩はロープつきだ。さみしいし、つまらない。犬は疾走してこそ犬だというのに。「犬の放し飼いはやめましょう」などと、いつからこんなことがあたかも市民のモラルのように口うるさく言われるようになったのだろう。

そこには犬をめぐる歴史と政治がある。ものの本によれば江戸時代まで犬はほとんどが野犬だった。野犬という言い方は正確でない。街に住み、時に餌をもらったりクズをあさったりしていた野良犬。今でいえば地域犬だった。特定の飼い主はいないが街や村でそれなりに認められ、飼うとはなしに飼われ、保護するともなく保護されていたのである。それが「犬というもの」だった。今日のように品種などという意識もなく、どれも似たような犬の群れ。一部の上級武士や、猟師は自分の犬を飼っていたが一般の人に自分の犬を飼うという習慣はなかった。そこに幕末から明治に西欧的な犬の飼い方が入ってくる。西欧人の多くは犬をつれていたのである。すでにイギリスなどを中心に多くの品種が固定され、特定の個人につき従い、飼いならされた、美しい犬。そういう犬が出現した。維新後、そのような犬と犬の飼い方は日本の上流階級に受け入れられる。それが新しい文明の一つのファッション、洋風化の一つとして理解されたのである。

新しい犬の概念が入ってくることで、従来の地域犬のへの眼差しが変わる。文明開化と条約改正を急ぐ政権にとって江戸時代以来の日本の犬は貧民階級のもの、アジア的なもの、消え去るべきものとなった。狂犬病を名目として大々的な野犬狩りが始まる。登録され首輪をし、つながれた犬以外の街をうろつく犬はすべて撲殺の対象となった。明治は激しい時代だった。当初は賞金もでて、一日に100匹も200匹も殺せて、いい商売になったという。これが犬にとっての文明開化であり、個人が飼う犬、つなぎ飼いはこのようにして始まったのである(つづく)
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by kurashilabo | 2011-12-18 18:15 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム1211

アンソニー・ミンゲラ監督の映画「コールド・マウンテン」(2003)を観る。南北戦争を背景とした純愛ものだがこれがなかなかいい。「イングリッシュペイシェント」も印象深いがそれより楽しめる。どちらかといえばむしろクラシックな映画だが、こういう映画を観ると、日本映画がひどく安っぽいものにみえてしまう。日本人としては日本映画の情緒も楽しめるのだけれど、その私小説性に耐えられない時がある。日本人には作れない映画というものがあるのだ。仕方のないことだけれど。映画評はさておき、印象に残ったワンシーンを。

戦線離脱した南軍兵士のインマンは脱走兵狩りに追われながら故郷の恋人の元までひたすら歩き続けるのだが、その途中、瀕死のところを山棲みの山羊飼いの女に助けられる。そのシャーマンを思わせる老女が山羊を撫でながら語る。「人は山羊一匹で永らえることができる。話し相手になるし、ミルク・チーズ、いざという時にはいい肉になる…」そして静かに山羊のノドを切り、その血を皿に受けながら続ける。「この世には定められた筋書きがあるんだよ。自然をごらん。鳥が実を食べ、糞になり、糞から芽が出る。鳥にも糞にも種にも役割がある。いい子だ、お前も立派に役目を果たしてくれた。」そうつぶやきながら尚、横たわる山羊の体を撫で続けるのだ。

ウーム、作り話とはいえよくできたシーンだと思う。映画を農業的な見方で語るのは色気のないことだけれどボクはつい2つの事を考えてしまった。ひとつは技術的なことで、「山羊はこうして屠るのか」ということである。農場でやった時は押さえつけて直接心臓にナイフを入れるという荒っぽいやり方だった。しかしこのように撫でながら抱き寄せ静かにノドを切るという方法もあるのだ。(このシーンが何の考証もなく作られているとは思えない)いまひとつはこういう人と動物の関係はいいなぁということである。広い意味でいえばこの山羊も家畜であり畜産の一つの形といえるだろう。しかしここにそんな言葉は似合わない。人の暮し方、生き方のひとつの形がある。コンパニオンとしての山羊と、お肉になる山羊が老女の振舞いと語りの中で同居していて、そこに無理がない。人と動物の原初の出合いがある。この農場にも山羊はいるが、残念ながら(?)農場には食べ物があふれていて、かような生存家畜としての山羊の出番はない。それ程貧しくないのだ。山羊は家畜としては元来大変すぐれ者なのだ。かわいいし、おとなしいし、いざとなれば草だけで生きるし、生長が早くて頑強だし、ミルク・チーズ・お肉はもとより皮も使える。「山羊がいれば生き永らえることができる。」そんな底力を発揮する場面がないのはちょっと残念。農場では彼らはペットであり風景の一つになっている。

鶏や豚についても本当はそうなのだ。彼らを生存家畜としてみると実にすぐれた能力があり、彼らと共生(棲)することで人の生活は格段に幅と奥行きが出る。豊かになる。しかし農場では彼らは舎飼いされ十分な餌を与えられるので、その元来の底力は発揮されないままで終わる。鶏や豚が沢山いるこの農場でも実は本当の彼らの姿は見えていないかもしれないのだ。生存畜産(?)と経営としての畜産は全く別物なのである。S
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by kurashilabo | 2011-12-11 18:19 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

収穫祭2011のお知らせ

暮らしの実験室 クリスマス忘年収穫祭2011

2011年、大変な一年だったけど、
それでも暮らしの実験室に関わってくれてありがとう!!の気持ちを込めて。


日程:  12月25日(日)
時間:  10:00~16:00
参加費:(感謝価格):大人1,000円 子ども500円
参加対象: 会員 と その友人

★ランチパーティーのメニュー
・やさと農場産小麦を使った天然酵母ピザ
・春を感じるオレンジソースと新鮮野菜のゼリー寄せ
・やさと農場の野菜を生で味わうバーニャカウダー、他手作りソース数種
・鶏ガラスープの逸品料理
・やさと農場の大豆や雑穀を入れたお餅つき
・やさとの朝搾りミルクと朝採り卵を使った手作りプリン食べたい放題!
・縄文ハウスでほっこりチャイ
・クリスマスケーキ作り
・やさと農場産加工芋で干し芋も作っちゃいます
・他にもおいしいお料理が盛りだくさんです。
 
   などなど
 
寒い時期ですが、寒くならないように 工夫しますのでお気軽にどうぞ。

★参加申し込み
 下記のフォームからお申込みください
 http://my.formman.com/form/pc/EAf53pC6hHZwRQZQ
 *前日宿泊希望の方は20日までにその旨お知らせください。
 
★去年の収穫祭の様子
 昨年は広場を使って文化祭のような形式で行いました。
 動画がありますので、よかったらご覧ください。各6~7分程度で4分割になっています。
 やさと農場収穫祭①http://www.youtube.com/watch?v=F0rZexdTRGA&feature=related
 やさと農場収穫祭②http://www.youtube.com/watch?v=fdQ_o8eCA9g&feature=related
 やさと農場収穫祭③http://www.youtube.com/watch?v=JxQdhHHe2tk&feature=related
 やさと農場収穫祭④http://www.youtube.com/watch?v=dnWEzJnNqEo&feature=related
(撮影・編集 新井ちひろ)
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by kurashilabo | 2011-12-09 16:05 | お知らせ(告知) | Comments(2)

鶏舎の窓から 卵の消費期限

 
届いている卵がいつの卵か、という事について前から書こうと思っていたのですが、サルモネラの事も合わせて書いた方がいいなと先延ばしにしていたら、問い合わせをいただいて、とりあえず、出荷の仕組みの方だけ先に説明します。

発送は金曜ですが、金曜は出荷作業でバタバタしているので、パック詰めは木曜に行います。パック詰めの段階では木曜の卵はまだ回収しきれていないので、一番新しいのは水曜、古いのは土曜のものです。土曜~水曜の5日分を出荷しています。それ以上古いものは入りません。1つのパックの中は同じ日のものが入っています。卵は毎日チェックして日ごとにコンテナに積み、パック詰め時はそれらを順に詰めていくので、日が混ざるようにアトランダムに入れるのは不可能とまでは言いませんが、労が多いし、あまり意味もないと思っています。

というのは、1週間前の土曜のものでも十分新鮮だからです。よく卵の宣伝で、いかに新鮮かをいうのに「卵が掴める」というのがありますが、ここの卵も掴めます(写真は先週の土曜のもの)卵は基本的には生き物なので、よっぽど古くなければ腐りません。いつだかの事件で半年前の卵を賞味期限を書き換えて販売して捕まった会社がありましたが、あれだって、それで食中毒を起こした、という事はありませんでした。それは今の話とは次元の違う良くない事ですが、保存次第でそれだけ持つ、という事です。冬場だったら生食で14日、火を入れればひと月は持つと思います(これもあくまで目安であって、もっと食べられると思う)。話は戻って、日によって産卵量は変わるし、出荷量も毎週同じではないので、足らないときは木曜の卵を回収後にパック詰めする時もあります。基本的には木曜と金曜の卵は農場では「月曜出荷」と呼んでいる月曜に発送する出荷先がいくつかあって、それにあてています。卵が余ると、地主の高橋さんに献上したり、農場で食べて消費しています。 イバ
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by kurashilabo | 2011-12-03 18:12 | 週報からの抜粋 | Comments(0)