研修生を随時募集しています


暮らしの実験室やさと農場では、有機農業や循環型の暮らし、共同生活などに関心があり、経験や実践を積みたいという人を研修生として受け入れています。農場に住み込みながら、スタッフと一緒に畑作業、鶏や豚の世話などを行います。興味をもたれた方はお気軽にお問い合わせください。

研修終了後、スタッフになることに関心がある方も歓迎です。

<研修期間>
1年間(2018年1月以降随時)
※期間は相談に応じます。短縮・延長も可能。

<募集人数>
 2~3名

<条件>
ⅰ)農場内に住み込むこと
ⅱ)スタッフや滞在者との共同生活ができること
ⅲ)性別、国籍、農業経験は問いません
ⅳ)成人(20歳以上)であること
 ※未成年者は保護者の同意を得たうえでご相談ください。
 ※犬や猫と同居しています。動物が苦手な方はご遠慮ください。

<待遇>
・研修費、食費、部屋代などはいただきません
・生活手当を月2万円支給いたします
・傷害保険に加入します
・部屋は相部屋になることもあります
・1週間に1日、お休みがとれます
 ※農閑期であれば相談の上、連休も可能です。
 
<応募方法>
まずはメールかお電話でご連絡ください。
折り返し、応募シートを送らせていただきます。
1週間程度のお試し滞在をしていただいた後、正式な受入を決定いたします。
1週間滞在の難しい方はご相談ください。

■連絡先 
email kurashilabo@gmail.com
tel/fax 0299-43-6769  担当:姜(かん)

[PR]
# by kurashilabo | 2017-12-01 12:19 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム20171125 小さな林業について考える

 日本各地の里山はどこでも似たようなものだと思うが「開拓地」周辺の山も多くは針葉樹林(ヒノキ・スギ)だ。人里近くの針葉樹林は困りものである。間伐もされない林内は暗く、冬に落葉もしないので植物相や動物相は一般に貧弱になる。林内だけでなく南側に林があると畑であれば日照が得られず、広く使えなくなる。住宅であれば尚更困ったことになる。

 この農場の豚舎裏は50年生位のヒノキ林で、そちらが南面になるので豚舎には一年中全く陽が当たらない。冬の冷え込みは厳しくコンクリ床の豚たちにはつらい時期となる。南東側も土地の境界林としてヒノキが一列植えられていて農場内を暗くしている。またこの居住棟の南面と東面は建設当時は桑畑で明るく開けていたが、その後栗林となり、その栗林も十年程前に放棄され、ヒノキが植えられてしまった。そのヒノキがすでに栗の高さを越えて成長し、年ごとに農場に陽が当たらなくなっている。ボクの部屋は農場では朝日が一番よく当たるところだったが、段々と陽が入らなくなっている。(このままでは遠からず農場は暗い日陰に入ってしまう。早急に話をして切ってもらわなければならない)

 人里近くがこれ程スギ、ヒノキだらけになったのは古いことではない。主に戦後のことだ。第1の理由は50年代から60年代にかけての燃料革命で、田舎でも薪炭から石油・ガス・電気にエネルギー源が変わり、里山が無用になったこと。低木林や草地だったところにスギ、ヒノキが植栽された。次は70年代前後、全国的に蔓延した松枯れ病で枯れた松のあとにスギ・ヒノキが植えられた。その頃はまだスギ・ヒノキを植えておけば将来金になると誰もが考えていたのである。2000年代に入ってから畑にスギ・ヒノキが植えられたのは(農場前のようなところ)全く別の理由で、土地の地目を畑から山林に替えたいからだろう。(地目が農地のままだと宅地として売りにくい)。また日常目にすることはないが、奥山地帯では「拡大造林政策」で広大に天然林が皆伐され、スギ、ヒノキが植栽されている。
 ま、こうした様々な理由で至るところに植えられたスギ・ヒノキが価格低迷や担い手不在などにより放置林として繁茂し、「負」動産化している訳である。いわば山の耕作放棄地だ。

 政策レベルの大きな話しはとりあえず置くとして、「開拓地」で直面している問題は3つある。ひとつは何度かの大雨で東側の山すその小さな谷が深くえぐられしまい、結果その上の山の斜面が一部すべり落ち(土砂崩れ)ヒノキが十数本倒れ込んでいる。何をするにせよ邪魔なので切らねばならない(が、危険作業となる)。針葉樹は根が浅いのでしばしばこういうことが起こる。二つ目は70年代の減反と同時にヒノキを植えた田が一部にあり、それが故にまわりの日照が広く遮られ(仮に開拓しても)使えなくしてしまっている。切るにしてもすでに40年以上になる木であり、数も多く大仕事となる。また現状では運び出しの道もない。(しかし皆伐し、材とすることができれば小さな住宅なら何棟か建てられそうではある)3つ目にはボクたちが道として、あるいは広場や小屋予定地として使わせてもらっている山の斜面の南側が約2反ヒノキ林(30年程度)となっており、それ故こちら側の土地の半分はまともに使えない。

 このように人里近くの針葉樹林は迷惑なものだが、もし自前の製材能力をもてるならば話は俄然違ってくる。ジャマだジャマだと思っていたものが資源になる(間伐材ならタダの)。 むろん現在の林業、製材、流通システムからすれば量的にも質的にも取るに足らないようなものではあるが、自前の製材能力は魅力である。(有機農業だって主流の流通からみれば取るに足らないようなものではないか?)それは経済の問題ではなく、主権の問題だ。

 林業や製材は長らく山主や森林組合、製材所等々の占有領域で素人(市民)は口も手も出せないと考えられてきた。しかしわずかな経験だが間伐材の利用という入口からのぞいてみると、必ずしもそうでもなく、そこにはオルタナティブな(市民的な)森林への関わり方や製材・木材の流通という可能性が開けてきているようなのだ。「きらめ樹」間伐の活動にそのようなことを教えられた。 S
c0177665_16430611.jpg

[PR]
# by kurashilabo | 2017-11-25 16:38 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム20171117 きらめき間伐!?を知る

 先日、「きらめ樹」間伐をすすめているグループ(NPO法人・森の蘇り)の全国キャラバン隊の4人が来場した。宿泊場所としての農場利用だったが、夕食後なごやかな(?)交流会をもつことができた。
 「きらめ樹」間伐とは「皮むき間伐」の一種で、立ち木の皮をできるだけ高く、樹の中程まで剥ぎ、立ち枯れさせて1年間位放置乾燥させた後伐採し、木材として利用するというものだ。簡易間伐としての皮むき間伐は以前からあったが、それは立ち枯れさせて放置するだけのもので間伐材としての利用は考えられていなかった。それに「きらめ樹」というキラキラネーミングを与え、市民が森に関わる機会とし、得られる間伐材を住宅用建材(壁やフローリング材)として製品化するというのが彼らのアイディアである。NPOの活動とは別に「きらめ樹工房」という名の小さな木工所を全国数カ所に立ち上げていて新しいビジネスモデルも提案している。ここ数年知られるようになってきていて(知らなかったけど)、「今が勝負時」とのことであった。

 正直、彼らの活動に強い関心があった訳ではない。全国に広大な面積がある放置針葉樹林(スギ、ヒノキ)に市民がイベント的に関わったところで何がどうなる訳でもないと思っていたから。啓発活動としての意義は認めるとしても。 ボクが聞きたかったのはひとつだけ、「簡易製材機のようなものはあるか」ということ。彼らなら知っているだろうと思ったのだ。今年「開拓村講座」がらみで何度か間伐をした。それを小屋作りプロジェクトや中心となる建物の建築に利用できないかということで。しかし実際にやってみると間伐は口で言うほど楽ではないことがよくわかった。まず切り倒すこと自体が大変だ。材として利用できる直径20センチほどの樹でも高さは20メートル程あり、かつ上部で枝が絡み合っているので枝元を伐ってもそのままでは倒れないのである。ふたつ目にはそれをやっとこさ大勢でロープをかけて引き倒し、4メートル位に切り分けても生木はやたらと重い。1人や2人では動かせないし、軽トラでは運べない。三つ目には人数や重機でそれを引き出せたとしても、丸太のままでは実は建築材としてはほとんど使い用がない。材にするには製材所に頼まなければならずお金もかかる。結局、「買った方が安いよね」というところに落ちつく。そこで立ち往生してしまう。

 しかしまわりにこれだけある放置された潜在資源を利用できないなんて悔しいし、大きく言えば「ノルウェー、フィンランドに次ぐ世界第3位の森林大国なのに世界第一位の木材輸入国」なんていうどう考えたっておかしい現状を受け入れてしまうことになる。それも腹立たしい。せめて簡易製材機はないものか、そうすれば・・・と考えていたところだったのである。
 「カナダ製で120万くらいでありますヨ。直輸入で、部品が段ボールに入ってきて自分で組み立てなければならないけど」 「他に30万位の機械をそろえれば基本的な製材は全部できますよ」 それを聞いてパッと心がキラメキ重い気分が飛んでいったのである。「きらめ樹」間伐も(痛々しくてキライと言っていたのに)立ち木のまま乾燥させるのでともかく軽い(話を聞いた翌日体験させてもらった)。生木の3分の1位までになるそうだ。これなら切り倒しも運びもかなり楽だ。このやり方なら放置林という潜在資源と暮らし(住宅、小屋、木工、薪…)を市民的手法で結びつけることができそうだ。暗い針葉樹林を宝の山として活用できるし、建築の自給ということが視野に入ってくる。急に視界が開けたようで自分の中で盛り上がっていき、床に着くころには「暮らしの実験室きらめき木工所」がアタマの中で稼働を始めていたのである。S
c0177665_16350303.jpg
c0177665_16344248.jpg

[PR]
# by kurashilabo | 2017-11-18 16:32 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム20171028 高松田んぼの収穫

 今日、久しぶりの晴れ間をぬって、やっとこさ高松米の脱穀ともち米(約1アール)の稲刈りを終えた。高松米というのは旧たまごの会の世話人でもあった高松修氏を中心とした市民による米作りグループで、高松氏が亡くなってからもその志を継いで米作りをしている。農場では数年前から地元の世話役という立場でそのお手伝いをしている。稲刈り自体は3週間ほど前に終えてハザ掛けしてあったのだが、その後長雨に入ってしまい脱穀の機会を失していたのだ。ハザ掛け乾燥ではせめて4~5日は晴れが続かないと脱穀できない。しかしこの間2日と天気はもたなかった。しかも市民グループなので作業予定が土日となると脱穀のチャンスはさらに少なくなる。
 雨だけならまだしも先日は台風で、ハザが倒れたら水びたしになった稲束をすべて掛け直さなければならない。台風の進路予報をみて「これは倒れるな」と覚悟した。ところが雨量は相当なものだったが、風は強まったものの突風という程でもなく、幸いにも倒壊はまぬがれた。で、台風一過で快晴が続き、土日で脱穀と思いきや、月、火は曇りがちで昨日はなんと小雨、しかも週末はまた台風で大雨になるかもという予報。

 稲はあまり長く雨に当てていると「穂発芽」といって穂についたまま発芽してしまいコメの質を大変悪くしてしまう。ぬれたままぶら下げておくのもそろそろ限界だ。それで今日、グループの4人と一緒に脱穀することにした。こんなに濡れた稲を脱穀するのははじめてだ。ハーベスター(自走脱穀機)に詰まったらと心配したがなんとか脱穀することができた。ともかくホッとしたというのが正直なところ。むろんこんな湿った米をそのままモミスリ(玄米にする)することはできないので、高橋さん(地主、ライスセンターをやっている)のところに明日持ち込んで乾燥とモミスリをお願いすることになる。
 これではハザ掛けした意味が無くなってしまうが(天日乾燥ではなく熱乾燥になるので)ま、こういう年もある。しかしハタと考えれば、これがOKならばハザ掛けなどしなくとも稲刈りと同時に脱穀もできるということになる。乾燥機に入れることを前提にすればそれも可能なはず。コンバインは稲刈り機と自走脱穀機が合体したものだから。これだと天気の心配も少なくてすむ。晴れが続くことを祈るように待つ日々から解放される。ウーム、やってみたいがそれでいいのか・・・?農家がハザ掛け方式から撤退し、皆コンバインになっていくのも無理はない。現在、旧やさと地域は完全にコンバイン+乾燥機になっていて、ハザ掛けをしているのは農場のような零細有機農家だけ。有機農家の多くはまだ若く、体力勝負ができるからだがいつまでもつのやら。そこには確かに「不便益」の面白さがあるが、日常化したり高齢になっていくとキツクなってくるのではなかろうか。

 ところで今日、田の脇の農道をバックで舗装道路まで出ようとして田に車を落とした。それも何でこんなミスをするのだ、というような仕方で。農道なのでバックする時バックミラーで轍を見ながらバックする。農道の途中、小さな社があり幅が広くなっていて、そこに軽トラが一台止まっていた。その脇を通り抜けようとしたのだが、気がつくと通り抜けようとした反対側の田に落ちていた。幸いにも落差が小さく、車は出られなくなったがケガなどは無かったのだが。(止まっていた軽トラのおやじさんがロープで引っ張ってくれて脱出できた)どうしてあんなミスをしたのだろう?確かに夕方でうす暗くなってきていたし、少々焦っていたこともある。しかし・・・。右バックミラーでバックしてきて、その車の右側を通り抜けようとするなら、そこで左バックミラーに目を移し、その車の際を抜けなければならない。そこでどうしたことか、右バックミラーのまま車の際を通り抜けようとしたようなのだ。アタマのニューロンが劣化してきているのかなぁ。ショックだなぁ。 S
c0177665_16290152.jpg


[PR]
# by kurashilabo | 2017-10-28 16:16 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム20171021

 時節柄、やはり関心は選挙。安倍の私欲、党利党略のための選挙に駆り出される腹立たしさ(山梨に戻って期日前投票を済ませてきた)。小池百合子などに振り回されるバカバカしさ(某評論家が希望の党は政界の肥溜め、小池はハエ取り紙と揶揄しているのを読んで溜飲を下げている仕末)。しかし何と言ってもびっくり仰天は前原氏の奇策だろう。いつから小池と気脈を通じていたかは知らないが、90人もの議員をようする野党第1党の「民進党」をひょっと出の「希望の党」に売り渡してしまうなんて前代未聞。ほんの一ヶ月前に党の代表選でエラそうなことを言っていたのに。しかし見物人としてはこれほどおもしろい選挙はない。普段は見えにくいそれぞれの「地」が見えてしまうから。

 策に溺れた感のある前原氏だが、現時点からみれば政局のコマを何年か早送りしただけの気もする。自民党より右のような人から元社会党までいるのだから民進党は野党としては戦いようもなく、遠からず分解したはずだし。選挙後を考えると暗澹たる気分になるし、怖ろしくもあるが、いずれ来る危機ならば早く来た方がよい。先に行けば行くほど事態は悪くなる気がする。

 さて、いつも立ち寄るコンビニ「セイコマ」の新聞スタンドに「産経新聞」があったので先日、選挙をどう報じているのか読んでみた。選挙の動向分析などは「自公で300議席うかがう」などと朝日と変わりないが、一面トップ記事で「米の北攻撃、準備に2か月」と題して米軍の北攻撃が間近いことをにおわせ「だから首相は今解散したのだ」という話になっている。次ページでは北の核攻撃があった場合、韓日で200万を超える死者が出るとか、武装難民が押し寄せるとか、米朝衝突の様々なシミュレーションを示し、「安保関連法案が無かったら大変なことに・・・」とまとめている。

 北朝鮮危機を煽って集票するという安倍のサポート記事だが、このような米朝衝突や「斬首作戦」のシミュレーションはコンビニの雑誌コーナーにカラー劇画としても売られている。ニーズがあるのであろう(ボクも立ち読みした。買わなかったけど)。劇画には尖閣危機から始まる「日中衝突もの」もある。それらを読んでいてハタと気付いたのは映画「シンゴジラ」も同じパターンだったなぁということである。映画として、ボクはあまり評価してないが、けっこうヒットしたようだ。あのような危機とカタストロフ、軍事、自衛隊の活躍、清新な政治家、ワクワクする何かを人々は期待しているのであろう。明るいニヒリズムと先の見えない社会にすっかり倦んでいて、「ちゃぶ台返し」をしたい気分。おそらく若い人たちにとって、ゲームの世界も、映画も、シミュレーション劇画も、現実の政治も本質的な違いはないのだ。

 いや、「若い人たちは」などと言っていられない。最近ボクは自分の心理に異なものを感じている。朝、新聞を開くたびに「斬首作戦」(!)はまだ始まらないか、とどこかで期待しているようなのだ。それは明らかに「反戦的」ではなく、「早くやってしまえ」的で好戦的なものだ(自分ではそれを「トランプ化」と呼んでいる。)。理性より深いところでそのような心理がうごめいている。中国についても同じだ。その崩壊と没落を心のどこかで待望している。それが怯えの裏返しだとはわかっていても心理であり気分であるのでいかんともしがたい。そういう大衆的気分が安倍を押している。

 憲法とか民主主義、人権といった近代的理性の言葉はそこに届かない。人を動かすことができない。戦争を経験した人々の身体的反戦意識だけがそれに対抗できるが、もうそういう人もわずかになってしまった。時代はそれを体験した人たちが退場することによって変わる。戦後は終わっているのである。
 選挙後にボクらが直面するのは自分をも含めたそういう大衆的気分であり、日朝、日中の関係が緊迫すればそれは軍事的、政治的に目に見える形で政治社会に浮上してくるだろう。その時われわれの政治的理性は踏ん張ることができるだろうか。いずれにせよ、ノンポリティカルではいられない時代に入っていくことになる。 S

[PR]
# by kurashilabo | 2017-10-21 16:12 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

ふみきコラム20171007 開拓地の秋

 おかげ様で稲刈りも終わり、あとは乾くのを待って脱穀をするばかり。空模様に気をもみながらそのチャンスをうかがっているところ。
さて、田はすでに水を抜いてあるが、水を抜いてしまうとそこを住処としていた水生昆虫などが困るので、隅にほんの2坪くらいの池を掘っておいた。何の変哲もないただの水たまりだが、先日ふと気が付くとアオミドロが覆っているその水の中に直径が3センチほどで3枚の花弁をもった薄ピンクの花が咲いている。水面に花だけが浮くように開いていてなかなか可憐である。池の浅いところには田の難敵コナギが密生していたので、はじめは深いところに生えたコナギの花かなと気に留めなかったのだがどう見ても違う。しゃがみ込んでしげしげと水中を見ると、大きな葉がみえた。それが丁度オオバコを水没させたようで、しばらく眺めているとミズオオバコという言葉が頭に浮かんだ。知っている訳ではない、どこかで聞いたような気もするという程度だが。
c0177665_16061473.jpg

 帰って調べてみるとミズオオバコという草が確かにあって、それに間違いなかった。トチカガミ科という聞いたこともないような科の植物で、水草の一種である。雑草のコナギは水陸両用で水がなくなっても湿地なら生きていけるがミズオオバコは沈水性で水がないところでは枯れてしまう。(逆にコナギは水中で発芽、生長できるが、水深が10センチ程度を越えると発芽も成長も抑制される) 見たところ水深40センチくらいのところから葉や花茎を伸ばしているようだ。珍しいという訳ではないと思うが、見たのは初めてだ。今は田も川も水路はコンクリ化されているので、繁殖できる場所がなくなっているのであろう。

 不思議なのは今年の春に掘ったばかりの池にどうしてミズオオバコが生えるのかということだ。ミズオオバコは種を水中に落とすので、空から種が舞ってくるということはない。気がつかなかっただけかもしれないが去年はいなかった。推測だけれどもずっと昔の種が泥の中に潜んでいたのではなかろうか。泥の中は嫌気状態になるので種が長く生き残る(大賀ハスが有名)。それが池を掘ったことで光に触れ息を吹き返したということなのだろう。ちょっと得した気分になる。

 得した気分といえばこれも先日ツチガエルに再会した。これもめずらしいという訳ではないが何十年も見たことが無かったのである。子どもの頃には家の裏の小さな川(用水)に湧くようにいて、皆にクソガエルと呼ばれてバカにされていたカエルだ。当時、子ども仲間ではカエルにもランクがあって、大きくて捕まえるのが難しいウシガエルは崇拝の対象、山の中で会うアカガエルは「食える」しキレイで目を引き、トノサマガエルは身近な標準で、ツチガエルは美しくもなくあまりに沢山いるので相手にされなかったのだ。ちなみにガマガエルは妙に哲人風で人間くさく人気があったが、繁殖期に山中の水たまりに群れて交尾する様はそのタマゴともども脅威の光景だった。
ツチガエルがまわりから消えたのはボクのおぼろげな記憶では昭和40年頃で、突然消えたという印象をもっている。強い農薬がでてきた頃で、孵化と発生が農薬に弱かったのだろう。それ以後出会った記憶がない。
 「開拓地」は幸か不幸か早くに耕作放棄されたし、圃場整備もされなかったので(農業振興地域外なので)昔の生き物たちが細々と命脈をつないでいたのであろう。春に咲くレンゲも蒔いたものではなくヤブを刈り払ったので種が芽吹いたか、シノ竹の密生する隅で代を重ねてきたかしたものである。何でもないことだがこうしたことがちょっと嬉しい。

 今年一番に冷え込んだ今日、田の周りを歩くと、ミゾソバの花が満開でこれが実に美しい。沢山のミツバチが群がり、その羽音が遠くまで聞こえる。ベニバナボロギク、ツリフネソウ、アキノノゲシ、ツルアズキ…秋も本番である。 S

[PR]
# by kurashilabo | 2017-10-07 15:50 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

2017年10月6日(金)出荷 野菜セットのなかみ

c0177665_15403155.jpg


【カボチャ】 ファミリー 半割 / レギュラー 1/3割
品種「鶴首かぼちゃ」。その名のとおり鶴の首のような形の長細いカボチャ。ネットリ滑らかな食感で繊維質の少ない日本カボチャです。ポータージュなどにぴったり。カットして入れていますのでお早めにお使いください。

【サツマイモ】  ファミリー 2本 / レギュラー 1本
品種「ベニハルカ」。ネットリとした食味で焼き芋・干しイモ用で有名な品種です。

【人参】  ファミリー 3本 / レギュラー 2本
品種「陽州五寸」。

【たまねぎ】  ファミリー 500g / レギュラー 300g
鶴首カボチャ
品種「もみじ2号」。

【じゃがいも】  ファミリー 500g / レギュラー 300g
7月に収穫して貯蔵しておいた「マチルダ」です。貯蔵性が高く、煮崩れしにくいのが特徴です。

【しょうが】  ファミリー 約150g / レギュラー 約80g
品種「三州しょうが」。出荷するのは秋の内だけなので、使い切れない分は刻んで冷凍すると長く使えます。

【長ねぎ】  ファミリー 600g / レギュラー 350g
近隣の提携農家高橋氏からの出荷です。

【さやいんげん】  ファミリー 130g / レギュラー 90g
品種「マンズナル」。夏野菜がどれも減ってくる時期ですが、播種時期をずらして栽培していたサヤインゲンがやっと採れ出しました。モロッコインゲンに似ていますが、より大型の平さやいんげんです。煮物・炒め物・和え物に。

【春菊】 ファミリー 180g / レギュラー 120g
品種「さとゆたか」。今シーズン初モノ。

【間引き大根】 ファミリー 2・3本 / レギュラー 1・2本
大根の間引き菜です。葉先から根元まで、お浸しや汁の具・菜飯などに。

【枝豆】 ファミリー 大1株 / レギュラー 中1株
枝付きの枝豆です。品種はこの地域の地大豆「青御前」です。

【シシトウ】 ファミリー 180g / レギュラー 120g
ピーマンと似ているので青色のテープで袋を閉じて区別しています。一般的なシシトウより大きい「松の舞」という品種です。辛いものが多いのでご注意ください。

【ピーマン】 ファミリー 150g / レギュラー 80g
小ぶりで細長い「京みどり」という品種です。

【ミニトマト】  ファミリーのみ 300g
品種「プレミアムルビー」。そろそろシーズン終了です。

【ナス】 ファミリーのみ 2・3本
品種「千両2号」。そろそろシーズン終了です。






.

[PR]
# by kurashilabo | 2017-10-06 15:40 |  L 今週の中身 | Comments(0)

ふみきコラム20170923

 鳥獣による農業被害はむろん今に始まった訳ではない。綱吉治世、「生類憐み令」下の対応をみてみよう。政治権力がどう「生類」と向き合ったか、などということは普通記録には残らない。しかし綱吉の治世は「仁心」と「慈悲」をもって生類と関係するという精神を統治の基本政策としていたから多くの資料が残されている。あまりに生真面目で少々笑えるのだが。

 カラスやトビの被害は農業だけでなく、ゴミ荒らしなど都市問題でもあった。これには「巣払い」と「生け捕り」で対応したようである。「巣払い」も卵を産んでしまうと「殺生」に抵触するのでそれ以前に巣を払うことが命じられた。生け捕りのやり方もこと細かく決められていた。また捕まえた鳥のために、カラスには「ご飯に鰹節を混ぜて与えよ」、トビのエサのために「イワシやカタクチイワシ、コノシロなどを飼っておくこと」、病鳥は別扱いで「生類方」に引き渡すこと、等々、なかなか配慮が細かい。そして生け捕りしたカラスやトビは「江戸の富坂町にある鳥小屋」に集めて飼われたのち、一定数まとまると各地に放鳥された。伊豆大島など離島が多かった。一回に千羽近く、82回に及んだという。その際、人夫だけでなく「鳥医」もつけているところがすごい。大島にも人は住んでいたはずで迷惑この上ないが、「島流し」の地というような感覚だったのだろうか。

 イノシシやシカに対しては(当時はこの他にオオカミがあった)まず様々な方法で威嚇し、効果ない場合は「玉なし鉄砲(空砲)」を使って脅す、実弾発射は不可、というのが当初の予定であった。しかしすぐにこれでは防ぎきれないことが判明し、実弾を許可するようになる。しかしその場合も役所から「目付」を派遣し「誓詞」をさせたうえで実行された。誓詞の内容は鹿、猪、狼以外は殺生しないこと、殺生した場合はその場に埋めケガレを払うこと、食用にせぬこと等々であった。加えて、「いつも田畑を荒らしている獣類であっても、荒らしていない時は実弾を発射しないように配慮せよ」等なかなか厳しかったである。また、それらを逐一役所に届け出なければならなかった。「生類憐み」という原則と農業疫害対策という現実との妥協がそのラインだったのである。

 農業被害を防ぐために獣類を駆除するということについて今も昔も同じではないかということはできる。しかし人として正しい態度、正義が丁度逆になっていることに注意しなければならない。当時は害獣という言葉(概念)も駆除という言葉もなかった。本来は人としていけないことだけれども止むを得ず殺生するということであった。しかし今は「公儀」(権力)が駆除(殺すこと)を奨励し、「イノシシ一頭殺せば8千円」というご褒美(報奨金)を出すのである。殺すことが正しいとされている。明治の文明開化以来(近代化とともに)人々の意識は世代を経るごとに変わり、今では多くの人はそのことに何ら疑問を抱かない。たかが害獣問題と言ってはいけない。人が生類とどういう関係を結ぶのかということは社会の基本性格に関わってくる。それはめぐりめぐって我が身の問題となるはずだ。

 今日、「開拓地」の周辺を犬の散歩で歩いていたら、「狩猟」と書かれた禍々しい白い札が道路わきの小枝にぶら下がっていた。それも4カ所も。「くくりわな」が仕掛けてあるという表示だ。今は猟期ではないから「害獣駆除」ということなのだろう。「くくりわな」というのは何度も言うように昔のトラバサミのようにイノシシの足をワイヤーでとらえ、暴れれば暴れるほど締まるようになっている。悪意の塊のようなワナなのである。イノシシの処理施設には時々足の無いイノシシが持ち込まれるそうだ。ワナにかかったが自分の足を置いて逃げるイノシシが少なからずいるのである。そんなことを考えていて終日くらい気分になった。 S

[PR]
# by kurashilabo | 2017-09-23 15:47 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)

開拓村の作り方 10月講座のお知らせ

「“ヤマ”を遊ぶ、“住む”を作る」
「ジオパーク十三塚」

筑波山の直下、石岡市小幡十三塚集落の近傍にある谷津田。
四十数年前、耕作放棄地となったこの場所に、ふたたび暮らしのいのちを吹き込む。 

根っこから暮らしを考え、体感する年4回の“開拓”講座、3回目のご案内です。

-----------------------------
今日、いわゆる里山は必要な手入れや利用がなされていないまま捨てられ放置されています。竹林も同様です。現代生活には必要ないからです。

c0177665_09503182.jpg


しかし足を踏み入れるのも躊躇するようなそこに手をいれ、再開拓してみると、あれよあれよとワンダーワールドが開けてくるのに驚くでしょう。

c0177665_09503398.jpg


また、そこで得られる木や竹やあれやこれやを使えば「住む」も手に入りそうです。それは「住宅」ではありません。巣以上、住宅未満の空間。大昔し、遊動生活をしていたヒトが「定住」を始めた時に発見した空間、子どもの作る秘密基地。ヒトが人になった場所。

c0177665_09503277.jpg


そのプリミティブな空間を「小屋」と呼ぶとすれば、ワンダーランドとしてのヤマと小屋は現代を根っこから生き直すひとつの足場となるでしょう。それを大きく、皆でやれば「砦」のようなものになるはずです。隠し砦と自分小屋。私たちが開拓しようとしている「住む」はそのようなものです。

c0177665_09503367.jpg


「ジオパーク十三塚」は開拓地を地質学的スケールで読み解く試みです。この場所はどのようにしてこのようになったのか、専門家の話をうかがいます。開拓地の沢にはさまざまな模様、色をした小石が転がっています。筑波山の岩山が削られて流れ着いたそのひとつひとつの小石が語りかける地面の歴史に耳を傾けましょう。

c0177665_09503220.jpg


【日程】2017年10月7(土)~9日(月・祝) 2泊3日

【参加料】25,000円
*参加料には宿泊、食費、講座代、保険代などが含まれます。
*講座中のケガなどについては、旅行保険の範囲内での対応となります。

※日帰り参加、部分参加も可能です。
1泊2日 15,000円
日帰り 7,000円 夕食を食べる場合は+500円

【募集人員】10名(最小催行人数4名)

【講師/協力者】
永田勝之…建築家、NPOあおいとり主宰、札幌在住)
     やさと農場建築の中心人物
廣野匠…上林製材所/きこり
    2009年、上林製材所の親方にほれ込んで弟子入り

清水雅宏(つくばね森林組合)
矢野徳也(環境省委嘱自然公園指導員/筑波山ジオガイド)

-----------------------------------------------------------

c0177665_09503237.jpg


<タイムライン> ※細部の変更あり/小雨決行
●7日(土)
11:00 集合 オリエンテーション
12:30 昼食
13:30 開拓地と開拓予定地を見て回る
15:00 「砦」予定地、「小屋作り」予定地を見て、意見交換
16:00 「砦作り」始動(材の切り出し、運び出し、整地など) 
17:30 農場へ移動
18:00 風呂
19:00 夕食
20:00 建築家永田勝之氏の話 「農場って何?小屋って何?」(仮)
21:30 終了

●8日(日)
07:00 朝食
08:30 上林製材所と所有の山林の見学
12:00 昼食(開拓地で)
13:00 「砦作り」ワーク
17:00 農場or温泉
 (ゆりの郷 希望者のみ自費)
19:00 夕食
20:00 座談会 「ヤマ」をどう「遊ぶ」か
21:30 終了

●9日(月・祝)
07:00 朝食
08:00 地層を見る(農場裏と開拓地)
09:00 「ジオパーク十三塚」 
    開拓地周辺の地層を見る 沢の石の語りを聞く
12:00 昼食(開拓地)
13:00 「砦作り」
15:00 農場移動・次回の説明
15:30 解散

■申し込み方法
1)以下のフォームから、必要事項を記入して送信してください。
 https://goo.gl/forms/UEu5MhK7hjmISuSv2

 2~3日以内に事務局から確認メールをお送りします。
 メールが届かない場合はkurashilabo@gmail.com にお問合せください。

2)お申込み後、以下の口座に参加費をお振込みください。

【振込先】
*ゆうちょ銀行 
 10160-71440161 クラシノジッケンシツヤサトノウジョウ

*銀行から振込 
 018(ゼロイチハチ)店 普通 7144016 同上

-----------------------------------------------------------------------
<今後の予定>
1/6(土)~8(祝日)
 畜産の現場見学、屠畜や食に関する映画鑑賞
 狩猟・解体見学(未定)、鶏のトサツ・解体体験
 開拓地作業(小屋作り)

*講座内容は天候や諸事情で変更される場合もあります

------------------------------------------------------------------------
★詳細はお問合せください。

mail kurashilabo@gmail.com
TEL 0299-43-6769

[PR]
# by kurashilabo | 2017-09-12 09:55 | お知らせ(告知) | Comments(0)

ふみきコラム20170909 徳川五代将軍綱吉は「ビーガン」だった?!

 徳川五代将軍綱吉は今流にいえば「ビーガン」だった。肉食やミルクを飲む習慣はもともとなかったし、彼は魚や貝類などもとらなかったようである。直接の資料はないが、側に仕える「御側衆」にあらゆる貝類とサケ、マス、アユを除く魚の調理を禁じていた。魚貝を殺生して食すことによるケガレを忌み嫌ってのことである。そのことから考えれば当然ながら本人もそれらを食さなかったのであろう。サケ、マス、アユを食べたのかどうか、どうしてこれだけが別扱いなのかはわからないが(何となく清浄そう?)

 彼がなぜそこまで殺生やケガレに神経質であったのか真相はわからない。将軍後継者でもある最愛の一人息子を5歳で失い、本人も大病を患ったからとも、僧の何某が入れ知恵したとも言われている。あるいはもともと英明の誉れ高かったというから儒教や仏教の精神を体現していたのかもしれない(将軍に就いた時35歳)。いずれにせよ、現実派というよりイデオロギーに傾斜した人だった。
そんな彼が触れた「生類憐み令」は後に悪政の最たるもののように言われ、彼自身「犬公坊」などと揶揄されることになった。確かに江戸界隈で魚釣りや、鳥や虫(マツムシ、スズムシなど)や、金魚の飼育を禁じたり、生きた魚や貝やエビなどの商売を禁止したりと、「エーッ!」と言いたくなるお触れも多い。またどこぞの井戸にキツネが一匹落ちて死んでいたというだけで切腹しなければならない人が出たりとマトモとは言い難い。そういう話は沢山ある。

 世に有名な「犬小屋」政策もどれだけ見通しを持ってやっていたのか、はなはだ疑問だ。幕府は犬殺しや虐待の禁止だけでなく、「無主犬が来たら食べ物を与えなさい」「やせ犬や病犬がいたら面倒みなさい」等々「憐みの志」をもって接するようにとたびたび触れたが一向に改善しなかった。そこで幕府が直接犬の保護に乗り出すことになったのである。はじめは獰猛な犬だけ集めたり、雌犬だけ集めて繁殖をコントロールしたりしようとしたようだが最終的には10万匹を越える犬が中野に建設された30万坪(100ha前後)もの犬小屋に収容されることになった。あくまで保護であるので住や食や医療も手当しなくてはならず莫大な経費を要したようである。(建設時には1日2万人の人足を要したとか。またエサ代は江戸市中より徴収された。)それにしても入口はあっても出口は無く飼い続けなければならない訳でありどうするつもりだったのだろう?。

 また「生類憐みの令」は人を含めたあらゆる生類に「仁心」と「慈悲」の志をもって接しなさいという趣旨であるから犬だけなく、人を含めたあらゆる身近な「生類」が対象となった。人については捨て子の禁止や、あった場合の養育、あるいは「牢屋」環境の改善、牛馬については老あるいは病牛馬を捨てることを禁止し、病気になった時や死んだ時の扱いなど細部にわたっている。また武威の象徴でもあり、幕府と諸大名との儀礼的な絆ともなっていた「鷹使い」(鷹狩り制度)も廃止している。鷹狩りは殺生そのものであり、鷹の餌に犬の肉が用いられていたからである。綱吉の「諸国鉄砲改め」も、反乱防止というよりも、鉄砲は殺生の道具であり、無用な殺生を招く考えられたからであった(猟師鉄砲など生業に不可欠な鉄砲の所持は認められていた)。

 いろいろ問題は多かったにせよ、「人々が生類に対して『仁心』と『慈悲』 の志で接するようになれば、御上が上からあれこれ指図しなくとも世の中は自然と治まり平和な世の中になるものだ」というという「御仕置」(国家統治)についてのディープなイデオロギーは今でも考えさせられるものがある。ディープな分だけ現実政策としては人々の反感も大きかった訳だが。道端に犬がクソをしただけであれこれ言われ、人が犬のクソを拾ってあるくようなマッドな世の中の住人としては「無主犬が迷い込んできたら食事を与えなさい」「病犬や痩せ犬はいたわりなさい」「犬をつないでおく必要はない」などとささやく将軍がいたことはどこか救われた気分になる。(続く)  S

[PR]
# by kurashilabo | 2017-09-09 15:45 | 鈴木ふみきのコラム | Comments(0)